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十一.魔獣は次々と


 魔獣は次々と穴から這い出して来る。しかしそこは流石に高位ランクの冒険者の集団だ、危なげなく魔獣を片づけて行く。

 その時ひときわ大きな魔獣が穴から這い出て来た。

 かろうじて人型だが、幾つもの魔獣が不自然に混ざり合ったような異形の容姿をしている。冒険者たちがざわめく。


「げっ、何だありゃ……」

「うわ、気持ち悪ッ!」

「……歪んだ魔力の影響で魔獣同士が混ざり合っちまったんだな。げほっ……まあいい、魔力も低いただの木偶だ」


 マリアは面倒臭そうに異形の魔獣に向かってほっそりした指を向ける。


「馬鹿弟子、合わせろ。『雷帝』だ」

「ふん、偉そうにしちゃってさー」


 ミリアムはムスッとしながら杖を掲げた。そして二人同時に詠唱する。


『天に黄道 光の粒連なり ひとつの粒は波を起こし 地に揺らめく陽炎に落つ』


 二人の周囲に半透明の幾何学模様が浮かび、マリアの指先とミリアムの杖の先が光る。魔獣の頭上に黒雲が渦巻いた。

 今にも雷鳴がとどろきそうになった時、アネッサが咄嗟に鉄の矢をつがえて放った。

 矢は異形の魔獣の額部分に突き刺さる。同時に、黒雲から激烈な電光が迸り、突き刺さった矢に集約されるように落ちた。異形の魔獣は細かく震えたと思うや、粉々に砕け散ってしまった。

 マリアが感心したようにアネッサを見た。


「げほっ……やるじゃねーかアネッサ。いいアシストだ」

「はは、ミリィとも長いですからね」


 はにかみながらも、アネッサは次々と矢を射って、前衛の冒険者たちを死角から狙う魔獣を仕留めて行く。マリアとミリアムも続けて魔法を放ち、次々と魔獣を黒焦げにする。

 アンジェリンは腕組みをしてこの光景を見ていた。


「さて、どうするかな……」


 魔獣は次から次へと湧いて来る。今のところは冒険者側が圧倒しているが、これでは埒が明かない。結界が解けた事で、ダンジョンの魔力は放出されている。これに惹き寄せられて他の魔獣も寄って来るかも知れない。疲労が重なれば動きは鈍るし、そんな状態で魔王とかち合えば勝率は下がるだろう。


「長引くとこっちが不利……かな」


 アンジェリンは剣を抜いた。ミリアムとアネッサに声をかける。


「二人とも、援護して」


 返事を聞く前にアンジェリンは地面を蹴る。魔獣を相手にせず、滑るような勢いで瞬く間にダンジョンの入り口まで到達する。途中で襲って来ようとした魔獣は、矢と魔法で排除された。

 入り口付近ではチェボルグとドルトスが暴れていた。Aランク以上の魔獣の屍がそこいらに累々と転がっている。アンジェリンはドルトスに声をかけた。


「しろがねのおっちゃん、このままじゃ埒が明かない……雑魚は皆に任せて突入しよう」

「道理であるな。お主ら! 援護せい!」


 ドルトスは背後を固めていたパーティメンバーに怒鳴る。一声で彼らは素早く陣形を組み直し、入り口に群がっていた魔獣を排除しにかかる。流石の腕前だ。魔獣の数はまだまだ多いが、中に飛び込めるだけの道は確保出来そうだ。


「魔獣どもはだらしないじゃねえの!! 行くぞオラァ!!」


 そこにダメ押しとばかりにチェボルグが拳を撃ち出す。腕の魔術式が光り、凄まじい衝撃波が魔獣たちを吹き飛ばした。

 アンジェリンは一気に加速しダンジョンの穴に飛び込む。少し遅れてドルトスとチェボルグも続いて来た。


「……なんだ、こりゃ」


 飛び込んだアンジェリンは呟いた。

 このダンジョンはEランクで、内部は土を穿った洞窟のようになっていたのが、今は壁面が黒い奇妙な物質で覆われ、それらは所々で青白い光を明滅させながら、生き物のように脈動していた。


 前を走るアンジェリンにチェボルグが怒鳴る。


「アンジェーッ! 一番槍は俺に譲れーッ!!」

「早い者勝ち……マッスル将軍、なまった?」

「がっはっはっは!! こいつはだらしねえのは俺じゃないの!! 面白れえ!!」

「二人とも油断するでない、来るぞ」


 頭上や横に開いた穴から、魔獣が這い出して来る。ドルトスは瞬く間に三匹を串刺しにし、それから横に薙いで二匹を真二つにした。チェボルグも拳を振るって魔獣を粉砕する。


「……本丸は何処」


 アンジェリンはあまり魔獣を相手にせずに、目を細めながら魔力の気配を辿り先を急ぐ。老兵二人が周囲を固めてくれているので、彼女が先導しているような形になった。

 だが分かれ道に突き当たり、思わず足を止める。ドルトスとチェボルグはアンジェリンを守るようにして魔獣を薙ぎ払う。アンジェリンは周囲を警戒しながら、しかし集中する。


 思い出せ。お父さんは何て言ってた? ダンジョンのボスモンスターの気配は、肌にぴりぴりと刺さるようだと。

 そう、確かにそうだった。何度もダンジョンには潜っているから分かる。

 しかしこれだけ強力な魔獣ばかりが溢れていると、その気配も微弱だ。しかも戦いの最中。集中しきれない。


「こんなんじゃ駄目だ……お父さんに笑われる」


 大きく深呼吸して、アンジェリンは目を閉じた。頭で考えるのを止める。不思議と周囲の喧騒が遠くなるように感じる。その分感覚が鋭くなり、押し寄せる魔力の気配から、ぴりぴりと肌に刺さるものは……。


「……こっち!」


 アンジェリンはカッと目を開いて走り出す。


 確かに道は合っているようだ。奥に進む程に気配が濃厚になって行く。

 小さな横穴は幾つもあるが、分かれ道はない。元がEランクダンジョンだけに、複雑な形をしていない事が幸いした。


「もう少し……?」


 アンジェリンは呟いた。

 その時、横の壁から強烈な魔力の気配を感じた。

 咄嗟に剣を構えて防御の姿勢を取る。その瞬間、壁をぶち破って大きな魔獣が飛び出して来た。

 蜥蜴のような容姿だが後肢が大きく発達し、牙も爪も鋭い。鱗は黒光りして丈夫そうだ。しかし飛ぶための翼は持っていない。大きさはアンジェリンの背丈を優に超える。亜竜の一種だろう。


 アンジェリンは魔獣の突進を受け止めたが、勢いに負けて弾き飛ばされた。しかしくるりと一回転して難なく着地する。


「がはははは!! 不意打ちとは面白れえじゃないの、蜥蜴野郎が!!」


 チェボルグが笑いながら亜竜を殴り飛ばす。

 しかし亜竜は少し後ろに飛ばされただけで、ぎゃあぎゃあと喚いてチェボルグを睨み付ける。ぎょろりとした大きな目は焦点が合っておらず、狂気を窺わせた。

 チェボルグは愉快そうに笑い、軍帽を被り直した。


「おお!! コイツはちょっと骨がありそうじゃねえの!! オォイ! コイツは俺によこせ!! な!? いいだろうよ!!」

「勝手にせい! アンジェ、行くぞ」

「マッスル将軍、気を付けてね……」


 自分よりも大きな亜竜と殴り合うチェボルグを残し、アンジェリンはドルトスと共に奥へと向かう。

 ドルトスは少し息が上がっているらしかった。


「チッ……歳は取りたくないものであるな……」

「しろがねのおっちゃん、大丈夫……?」

「なに、この程度。心配は無用であるぞ、アンジェ」


 ドルトスはニッと笑った。アンジェリンは眉をひそめた。


「おっちゃん……そういうのって死亡フラグっていうらしいよ?」

「……なんであるか、それは」

「最近読んだ本に書いてあった……」

「……若者の言う事は分からん」


 ドルトスは嘆息した。

 二人は魔獣を薙ぎ払いながら奥へと進んだ。段々と気配は濃くなり、魔力がぴりぴりと肌を刺す感覚が強くなる。Sランク魔獣とは何度も戦った事がある。しかし、そのどれとも違う気配だ。

 こんな相手は初めてだ、とアンジェリンは武者震いした。恐怖感はなく、むしろ強敵にまみえる事を期待している自分がいる事に気付いた。


「……ふふ」


 剣を握り直し、迫って来た魔獣を斬り倒す。血が滾る。


 不意に、広い空間に出た。

 まるでドームのように丸い天井が広がっている。しかし壁面は相変わらず奇妙な物質が覆い、青白く明滅しながら脈動している。

 この空間に入ると途端に魔獣がいなくなった。異様な雰囲気が満ち、肌には魔力がびりびりと突き刺さった。


 中央に、何かがいた。

 “それ”は黒い影法師のようだった。しかし人の形はしている。小さく、幼子のようにぺたんと地面に座り込んで、ゆらゆらと左右に揺れていた。


「あれが……魔王?」

「アンジェ、油断するでない。妙な気配である」


 ドルトスは油断なく槍を構えている。

 影法師は揺れながらぶつぶつと何か呟いていた。アンジェリンは目を細めて耳を澄ます。


『あるじー……あるじ、どこいっちゃったのー……さびしい……さみしい……』


 “それ”はずっとそう呟いている。

 アンジェリンは首を傾げた。確かにこの歪んだ魔力の中心は“あれ”だ。しかし見る限りはまるで害がないように見える。恐ろしいほどに無垢な印象を与えるのだ。それが返って異常に感じる程に。


 アンジェリンは思わず一歩踏み出し、“それ”に話しかけた。


「ねえ……何をそんなに悲しんでるの……? あるじって誰……?」

「アンジェ!!」


 ドルトスの怒声が響いた。

 背筋に冷たいものが走った。咄嗟に横に飛んだ。さっきまで自分が立って居た所に“それ”が飛びかかって来ていた。


『さびしい……さみしい……もっところせば、あえる……?』


 ぎょろり、と影法師の顔らしい所に目が現れ、アンジェリンを見た。その瞳は黒く、狂気に満ちており、見ていると吸い込まれるようだ。

 その時ドルトスが、剛! とすさまじい勢いで槍を繰り出した。“それ”は槍をまともに受けて後方へ突き飛ばされる。ドルトスは舌打ちした。


「貫けぬか……魔王というのは伊達ではないようであるな」


 吹き飛ばされた“それ”は受け身も取らずに地面にべちゃっと落ちると、ゆっくりと起き上って左右に揺れた。そして無垢な子供が母親にするように両腕を前に突き出し、まるで抱き上げて欲しいとねだるような格好をする。

 アンジェリンはふうと息を吐いて剣を構えた。


「ごめん、おっちゃん……気が抜けてた」

「うむ……来るぞ」


 二人は同時に左右に分かれて飛んだ。

 影法師はアンジェリンに飛びかかって来る。狼の魔獣などよりも遥かに速い。顔と思しき場所には目ではなく赤く大きく裂けた口が見えた。鋭い牙が幾つも並んでいる。

 しかし油断さえしていなければ、Sランク冒険者である彼女にとっては左程脅威的な速度ではない。まとわりつく歪んだ魔力が鬱陶しいが、動きが鈍るほどではない。


 アンジェリンは体勢低く剣を構えて向かって来る“それ”に斬りかかった。

 驚くほどあっさりと、“それ”は避けるそぶりもなく剣を受ける。だが、斬り裂かれる事なく弾き飛ばされるだけだ。


「ぬん――――ッ!!」


 飛ばされた“それ”に、ドルトスが物凄い勢いで槍撃を加える。まるで流星群が降り注ぐかの如き手数と勢いだ。

 流石の“それ”も堪らずに吹き飛び、壁面に激突した。みしみしと音がする。

 影法師は地面にずり落ち、それでもよろよろと立ち上がった。


『ある、じ……さみ、しい……』

「砕け散れいッ!!」


 ドルトスは大きく体を捻り込み、全身のバネを勢いよくしならせて槍を突き込んだ。まさしく必殺と言っていい一撃である。

 “それ”はまともに槍を受けた――かに思えた。


「むっ!」


 ドルトスは驚き、目を見開く。“それ”は槍を牙で受け止めていた。穂先にかじり付き、そのまま力を込める。白金の槍がみしみしと悲鳴を上げた。

 その時アンジェリンが横から“それ”の側頭部を蹴り飛ばした。“それ”は槍から離れ、もんどりうって転がり、向こうの壁に激突した。


「しろがねのおっちゃん、平気……?」

「すまぬな、アンジェ。しかし魔力コーティングされた槍にヒビを入れるとは……」


 穂先の刃にはひびが入っていた。

 長らく苦楽を共にした得物の予想外の傷に、ドルトスも流石に顔をしかめる。

 アンジェリンはずいと前に出た。


「わたしがやる……おっちゃんは下がってて」

「うむ……不甲斐ない」


 ドルトスは荒くなった息を整えながら後ろに下がった。

 “それ”が飛びかかって来た。大きく開けた口で、アンジェリンの剣にかじり付く。アンジェリンは“それ”の腹を上に向かって蹴り飛ばした。

 吹き飛ぶそれに向かって、アンジェリンは体を捻じって刺突を繰り出した。

 ドルトスが目を剥く。それはまるで彼がするように、全身のバネと勢いを見事に利用した一撃だったからだ。


 だが、それでも“それ”を貫く事は出来なかった。アンジェリンは舌打ちした。“それ”は刺突の威力そのままに壁に激突し、よろよろとおぼつかない足取りで立ち上がる。しかし、かなりのダメージのように見えるのに、次の瞬間には同じ速度でアンジェリンに飛びかかって来る。


 次第に“それ”の動きは鋭くなるように思われた。まるでアンジェリンと戦う事で動きを思い出しているような、そんな具合だった。

 それに呼応するかのようにアンジェリンの動きも加速していく。槍が使えないとはいえ、ドルトスですら手を出す事を躊躇するほどの激戦であった。


 近づき、離れ、また近づく。

 鋭い牙が体を掠める度に、アンジェリンはひやりとした。

 手の一撃も怖い。爪も何もないのっぺりとした手なのに、それをかわす度に肌が泡立つ。おそらくまともに受けると腕が消し飛ぶだろう。

 命の危険なんてものを感じたのはどれくらいぶりだろう?

 それが逆に彼女の闘志に火を点ける。

 剣を振る腕、地を蹴る足が自分の意思より先に動く。


 何十合ものやり取りの後、アンジェリンは“それ”を剣で弾き飛ばした。どれだけ剣が当たっても斬れない。不毛なようにも思える。

 向こうは疲労しているのだろうか? 分からない。

 しかし剣を受けた後は足取りがおぼつかないようだ。効いていないわけではないらしい。

 アンジェリンも少し息が上がった。

 細かな傷から血が流れている。

 しかし、諦めるわけにはいかない。それに、自分が帰れないのはこいつがそもそもの元凶だ。それを考えると、怒りがふつふつと沸いて来た。


 “それ”は相変わらず呟いている。

 戦っているにも拘わらず、アンジェリンの事など見えていないといった風だ。


『あいた、い……あるじ……どこいっちゃったの……ばある、いいこにしてた、よ……?』

「……誰に会いたいのか知らないけど、わたしだって会いたい人がいるんだ」


 アンジェリンは静かに剣を構え、集中する。

 体内の魔力が渦を巻き、心臓から血が巡る如く体中を巡って行くのを感じた。指先、そこから剣先まで。魔力が手と剣を一体に繋いだ。凄まじい感応に剣が光り輝く。


「そんなに会いたいなら……もたもたしてないでさっさと会いに行けよ……ッ!」


 アンジェリンは地面を蹴った。“それ”は牙をむき出しにしてアンジェリンに向かって来る。

 交差。そして剣を振り抜く。


『ある……じ……』


 肩が熱い。

 血が噴き出すのを感じる。しかし腕は落ちてはいないようだ。だが力が入らない。一撃に力を込め過ぎたか。

 がくん、とアンジェリンは膝を突いた。倒れそうになる所をドルトスに支えられる。集中し、全霊を込めた分だけ息が上がっている。それでも何とか顔を上げた。


「しろがねのおっちゃん……あいつは……?」


 ドルトスは優しく微笑み、顎で示した。

 アンジェリンは肩越しに後ろを振り向いた。

 “それ”は真二つに斬り裂かれ、地面に横たわっていた。その肉体がぼこり、と沸き立つように動いたと思ったら、溶け始めた。同時に周囲に満ちていた歪んだ魔力が霧散していくのを感じた。壁面を覆っていた奇妙な物質も、色あせて光を失い、崩れて行く。

 アンジェリンはドルトスの方を見た。


「……勝った?」

「ああ、我らの勝利である。よくやった、アンジェ」


 アンジェリンはホッとして力を抜いた。倒れ込みそうになる。ドルトスが慌ててアンジェリンを抱き止めた。“黒髪の戦乙女”は静かに寝息を立てていた。



  ○



 冒険者たちが立ち去り、廃ダンジョンは静けさを保っている。

 “それ”の残骸の横に、何者かが立っていた。暗闇に浮かび上がるような真っ白なフード付きのローブを着ている。

 とうに溶けて黒い水たまりになってしまった“それ”を見て、そのローブの何者かは舌を打った。


「情けない奴だ……」


 声は低い。男のようだ。ローブの男は水たまりの上に手をかざし、何か詠唱を始める。手の先に光が灯り、水たまりに反射してキラキラ光った。

 ずるり、と水たまりの中から影法師が立ち上がった。その立ち上がった影に吸い込まれるように水たまりが消える。“それ”はゆらゆらと左右に揺れ、ローブの男に気付いた。


『あるじ……? あるじー』


 とてとて、と両腕を前に出して“それ”はローブの男に近づく。だが、男はイライラした様子で“それ”を乱暴に蹴り飛ばした。


「たわけが! 俺がソロモンに見えるのか!」

『ある、じ……? どこ……? ばある……は、ここに、いる、よ……?』


 ローブの男は舌打ちした。


「もういい。力が戻るまで静かにしていろ」


 そうして手をかざす。すると“それ”は宙に浮き上がり、小さな黒い宝石になって男の手の平に収まった。男はそれを懐にしまいながら呟く。


「少し焦り過ぎたか……? いや、オルフェンのギルドを見誤っていたな。無能だとばかり思っていたが、ここを嗅ぎつけるとは……だが一番は“黒髪の戦乙女”とやらか……まあいい。まだ何も始まってはいない」


 ローブの人物は踵を返して歩き去った。



  ○



 アンジェリンが目を覚ましたのはギルドの病室だった。脇にはアネッサとミリアムが心配そうな顔をして座っていた。アンジェリンが起き上ると、ミリアムは泣きながら彼女に抱き付いた。


「アンジェー! よがっだぁー! 死んじゃっだがど思っだよぉおおー!」

「ミリィ、大げさ……というか肩が痛い……痛いってば!」

「ほらミリィ、痛いってさ」


 アネッサに言われて、ミリアムはべすべすと泣きながら離れた。


「けど、よかった無事で……ホントに魔王を倒すなんてな」


 アネッサは苦笑しながらも、矢張り目元には涙が浮かんでいる。

 どれくらい寝ていたのだろう、とアンジェリンは首を傾げた。しかし、肩の怪我に包帯を巻かれている他は服もそのままだ。

 どうやらダンジョンからの帰りの間中、ずっと馬車で寝ていただけらしい。暗くはなっているが、まだ日も変わっていないし、病室の隣のロビーはがやがやと騒がしい。他の冒険者たちが残って何か話し合っているようだ。


「皆いるの……?」

「うん。マリアさんは喉が痛いって帰っちゃったけど」

「薄情だよね、あの若作り!」


 ミリアムはぷんすか怒った。アンジェリンは笑った。悪態を吐きながらも、アンジェリンは大丈夫だろうと、内心は信頼してくれているマリアの姿が容易に想像できた。

 肩は痛むけれど、立てないわけではない。ふらつきながらも立ち上がり、アネッサとミリアムに付き添ってもらって病室を出る。


 ロビーでは冒険者たちがテーブルを囲んだり壁にもたれたりして、あれこれ話をしていた。どうやらギルドの今後の展開をざっくばらんに意見交換し合っているらしい。

 アンジェリンの姿を見ると、冒険者たちが色めき立った。立ち上がり、それぞれに武器を掲げて称賛の声を上げる。


「アンジェリン! 黒髪の戦乙女!」

「魔王殺しの勇者!」

「オルフェンの守り神!」

「……やめてよ、むず痒い……」


 アンジェリンは恥ずかしそうに頬を染めてもじもじと身を震わせた。

 チェボルグが笑いながらアンジェリンの頭をわしわしと撫でる。


「がっはっはっは!! 魔王を倒すとは流石じゃねえかよアンジェ!! 間に合わず先越されちまうとは、俺もだらしないじゃねえの!!」

「マッスル将軍……肩が痛いから勘弁して……」

「えっ!? 何!? アンジェ、何か言ったかよ!?」

「チェボルグさん、アンジェさんは肩を怪我してるんですよ、乱暴にしないでください」


 ライオネルがチェボルグの腕をひっこめさせた。それからアンジェリンに深々と頭を下げる。


「アンジェさん、この度は本当にありがとうございます。オルフェンのギルドマスターとしてお礼を申し上げます。数々の不手際も本当に申し訳ない。貴女がいてくれたからオルフェンの都、ひいては冒険者ギルドも無事だったようなものだ。どれだけ礼をしても、し尽せません。落ち着いた時にちゃんとした謝礼を――」


 アンジェリンは不機嫌そうな顔でライオネルの言葉を遮った。


「ギルドマスターがそんなに殊勝だと不気味……やめて」

「え、ええー……」


 冒険者たちが笑い声を上げ、からかうようにライオネルをつつく。ライオネルは苦笑しながら頭を掻いた。


「ならまあ、いつも通りで……ともかくね、これで後は残った災害級を片づければ大体終わりなんだ。アンジェさんが魔王を片づけてくれたおかげだよ、本当にありがとう」

「そう……なら、もうちょっと仕事がある?」

「いや、そこは、ねえ?」


 ライオネルは冒険者たちの方を見る。腕組みをしたドルトスが頷いて言った。


「それは吾輩たちが引き受ける。だからアンジェよ、長らく欲しがっていた休暇を好きなだけ取るがよい。もう誰もお主を引き止めはせんよ。そもそも、わざわざ休暇を取る必要もなくなるであろう」

「でも……」

「がっはっはっは!! 気にするんじゃねえよアンジェ!! 俺たちもまだまだ暴れ足りねえって事だよ!! 言わせんな恥ずかしい!!」


 チェボルグの言葉に、引退組の老冒険者たちも笑って頷く。


「じゃあ、皆しばらく復帰してくれるんだ」


 アンジェリンが言うと、ライオネルは頷いて肩をすくめた。


「そうなるね。ついでに皆に協力してもらって、ギルドの抜本的改革もしようかと思って……中央ギルドみたいな形骸化したお役所仕事じゃ駄目だって今回でほとほと身に沁みたよ……もうオルフェンは独立した地方ギルドとして新しくシステムを構築しなきゃ不味いよね……怠けてる場合じゃないみたいだよ」

「当たり前である。またいつ何時同じ事が起きるとも分からんのだからな。ライオネル、一度ここまでガタガタにしたのだから、逃げずにお主がきちんと立て直すのが筋であるぞ。それまで吾輩たちがきちんと監視しておいてやる」

「ならいっそ代わってくださいよドルトスさん……俺みたいな無能じゃ働いても意味ないですって」

「乗り掛かった舟であろうが、責任持って最後までせんか。それに一人で抱え込んで暴走しなければお主とてそう手ひどい失敗もするまいよ」


 それを聞いてチェボルグが豪快に笑う。


「何カッコつけてんだよドルトス!! 魔王に槍を傷つけられた鬱憤晴らしに暴れたいだけだろうが!! 知ってんだぞ俺はよ!!」

「あー、うるさいわ、この筋肉ダルマが……」

「あはは、はあ……けど、忙しくなるなあ。町の防衛なんかも領主さんとちゃんと話をしないと駄目だし……というか今回で予算がスッカラカンだから、まず金策しないと……あーあ、ギルドマスターって無能向きのお飾りの閑職の筈だったんだけどなあ……皆さん、ホントに助けてくださいよ?」


 ライオネルは嘆息した。アンジェリンは満足そうに笑う。


 気が抜けたら腹が減った。何か食べたいなと思う。

 いつもの酒場にでも行こうか、と歩きかけたアンジェリンに、チェボルグが声をかけた。


「そういえばよ、アンジェ!!」

「なに? マッスル将軍」

「ライオネルに聞いたけどよ! お前、こんな状況でよく逃げなかったな!! 負担とかやばかっただろ!? 普通の冒険者なら嫌になってとっくに別のギルドに行ってるぞ!! 俺でもそうすらあ!!」


 ドルトスも頷いた。


「うむ、連日の討伐に次ぐ討伐、自由人たる冒険者には到底耐えられぬ。増してお主は父親に会いたかったのであろう? 別に依頼なぞ無視して行っても良かったのだぞ? 今回のギルドのやり方は前例のない事態に直面していたとはいえ、いささか強引に過ぎる。無視しても冒険者としての評判は落ちまい」


 二人の言葉に、ライオネルはバツが悪そうに頭を掻いた。


「ですよね……俺自身手一杯だったとはいえ、完全にこっちが悪いわけで」


 アンジェリンはきょとんとして首を傾げた。


「だって……それで困るのはギルドじゃなくて一般の人でしょ? 酒場のマスターとか、アーネとミリィの住んでた孤児院とか、お菓子屋の店員さんとか……冒険者なら弱い者を助けるのは当たり前、ってお父さんが言ってた……オルフェンを見捨てて帰っても、お父さんはきっと褒めてくれないから……」


 ドルトス、チェボルグを始めとした冒険者たちはぽかんとしてしばらく呆けていたが、やにわに笑い出した。誰も彼も心底愉快そうで、建物が揺れんばかりの爆笑であった。


「こいつはいいじゃないの!! アンジェ! お前良い親父を持ったなあ!!」

「まったくである……やれやれ、自分の器の小ささを思い知らされたわい……」

「……アンジェさんがギルドに残ってくれたのはアンジェさんのお父さんのおかげだったわけかー……おじさん、もうアンジェさんとお父さんには頭が上がらないなあ……」


 古参の老兵たちやギルドマスターは笑う。

 アネッサは感動したような面持ちでアンジェリンの頭を抱えて撫で回し、ミリアムはまた泣きながら抱き付く。


 沸き立つ冒険者たちを見て、アンジェリンは得意気に胸を張り、高々と声を上げた。


「そう! わたしのお父さんは凄いんだぞ! 人呼んで“赤鬼”のベルグリフ! “赤鬼”のベルグリフだ! 覚えておいて!」


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