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十.ギルドは石畳だ。壁は白亜で


 ギルドは石畳だ。壁は白亜で元は白かったのだろうが、今ではすっかりくすんだ灰色に近い。


 朝早く呼び出されたアンジェリンがあくびを噛み殺しながら中に入ると、何だかいつもよりも人が多いような気がした。

 一度も見た事のない顔も多い。そんな連中はアンジェリンの事を不躾にじろじろと見た。アンジェリンが睨み返すと、何人かは青筋を立てて立ち上がったが、近くの仲間らしき連中に何事か囁かれて、青くなって元通り腰を下ろす。


「なんだこいつら……」


 アンジェリンは眉をひそめながらカウンターの方に向かう。カウンター前の人ごみにアネッサとミリアムの姿が見えたので、声をかけようとすると、何だかカウンターの所が騒がしい。

 はてと思ってよく見てみると、人ごみの向こうで、年季の入った軍帽を被り、インバネスを羽織った筋骨隆々の老人が、ギルドマスターのライオネルの首根っこを掴んで持ち上げていた。ライオネルはいつも以上にくたびれてやつれた様子である。目の下には濃い隈もある。

 老人がバカでかい声で言う。


「随分だらしねえ有様じゃねえの!! ライオネル! やる気あんのかお前はよ!!」

「いや、チェボルグさん、俺これでも結構頑張ってるんですよ……魔獣が異常発生してるのが原因てなもんで。あと声めっちゃでかい」


 ライオネルの情けない様子を見て、ひょろりとした長身をゆったりとしたローブに包み、長く白い口ひげを蓄えた老人が嘆息した。


「吾輩たちを呼び出す程に状況が悪化しておるとは情けない……いや、これは吾輩たちにも責任の一端はありそうではあるが……」


 アンジェリンは思わず嬉しくなって駆け出し、ひらりとひとっ跳びで人ごみを飛び越えて老人たち二人の元に着地する。


「マッスル将軍……! しろがねのおっちゃん……!」


 老人二人は現れたアンジェリンを見て、顔をほころばせる。


「おお、アンジェ! 元気にしてたかよ!!」

「勿論……わたしを誰だと思ってる」

「がっはははは! 相変わらずだなお前はよ!!」


 マッスル将軍ことチェボルグ老はライオネルを放り投げ、げらげらと磊落に笑いながらアンジェリンをばしばし叩く。長身の老人がチェボルグの肩を掴んだ。


「おいチェボルグ、お主の馬鹿力でアンジェを叩くでない。可哀想ではないか」

「えっ!? 何!? ドルトス、何か言ったかよ!?」

「耳元で叫ぶな馬鹿者!」

「いやあ、最近歳でよ!! 耳がすっかり遠くなっちまったんだよな!!」

「それでお主が喚く道理が何処にある! やれやれ……アンジェ、元気そうで何よりである」


 何も変わっていない二人にアンジェリンは笑った。


 この二人の老人は引退した元Sランク冒険者である。

 歳のほどはすでに六十の半ばを超え、七十に差し掛かろうとしているにもかかわらず体躯は立派であり、背筋もしゃんと伸びて矍鑠(かくしゃく)としている。

 彼らはおおよそ二年前に冒険者を引退した。

 既に冒険者として頭角を現していたアンジェリンとはいつの間にか知己になっていた。

 戦いの場では恐るべき実力を誇るこの老人たちも、アンジェリンの前では好々爺然として優しく、まるで孫にするように接して来るので、アンジェリンも彼らの事は好きだった。


 チェボルグは“撃滅”の二つ名を持ち、アンジェリンがマッスル将軍とあだ名するように、見事に鍛えられた筋肉をしている。

 かつてはエストガル公国の軍人だったらしく、その名残が年季の入った軍帽にうかがえる。両腕には魔術式の刺青がびっしりと刻まれており、強靭な肉体と、魔法の力を込めた拳とで数多くの魔獣を粉砕して来た実力者だ。


 ドルトスは“しろがね”の異名の通り、白金で出来た槍を操る。細身でしなやかながら、その体躯には常人の三倍以上の力が備わっていて、大の男二人がかりで持ち上げる槍を片手で軽々と振り回す。その鎗術はエストガル公国でも随一であり、倒した魔獣の数はもはや数える事が出来ない。

 アンジェリンはチェボルグの腕にぶら下がる。


「二人とも……復帰してくれるの?」

「おうともさ! 若え連中は随分だらしないじゃねえの!!」

「止む無しであるな。これだけ魔獣が出ているとなれば黙って見ているわけにもいくまい」


 ドルトス老が言うと、チェボルグ老が豪快に笑った。


「がっはっはっは!! 何取り繕ってんだよドルトス!! 暴れたくて仕様がなかったって知ってんだぞ俺はよ!!」

「やかましいぞチェボルグ。お主に言われたくはないわ」

「むふふ……嬉しい……けど二人ともなんで引退したの? 元気そうなのに」

「そりゃお前ひ孫を愛でる為じゃないの!! けど最近はじぃじうるさいって言われちまってよ!! あんまし構ってもらえないんだよな!! だから暇でよ!!」

「お主はもう少し声を小さくせんか……吾輩は単にくたびれただけである。冒険者なんてものは一生の仕事ではないと思っていたが……四十年以上続けていては最早逃れられぬようであるな」


 アンジェリンは満足げに笑った。

 もしかすると、ロビーにいた見知らぬ連中も、新しくスカウトされてギルドにやって来た連中なのかも知れない。先週せっついたばかりなのに、中々仕事が早いものだ、とアンジェリンはライオネルを見直した。


「ギルドマスター、今回は仕事が早い……ありがとう!」


 チェボルグに投げ飛ばされてひっくり返っているライオネルは、仰向けのまま「はは……」と力なく笑った。


「うん……半分はアンジェさんがせっついてくれたおかげだけど、おじさんも結構頑張ったから……めっちゃ高い水晶通信使ったし、領主さんに交渉してようやく今回はオルフェンの町からの依頼って事にしてもらったし、やっと申請が通ってちょっとだけど軍隊も動かしてもらう事になったし……まあ、おかげで職員もここんとこは家に帰れてないからグロッキーだし、ギルドの予算はスッカラカン。おじさんの財布もスッカラカンだよ……明日からどうしよう」

「……もっと早くやっておけと言いたいけど、過ぎた事は止む無し。許す」


 ライオネルはむくりと起き上り、仏頂面で頭をぼりぼり掻いた。


「だってさあ、ここ百年魔獣の大量発生とかなかったんだよ? ギルドの仕事斡旋なんか殆ど形骸化してたし、緊急時のマニュアルなんか中央ギルドにも存在しないもん。どうしていいか分かんないって……それにまさかここまでの事態になるなんて、誰も想像してないでしょ? 中央の連中は頭固いから、やらなきゃやらないで怒られるし、やったらやったで怒られるし、おじさんどうしたらいいのよ」


 ドルトスが呆れたように目を細め、髭を撫でる。


「それはお主の仕事の遅さの理由にはならないであるな、ライオネル」


 ライオネルは嘆息した。


「自分が無能だって事ぐらい分かってますよ……無能は無能なりに頑張ったつもりなんです」

「そこで他人を頼れぬのがお主の駄目な所である。アンジェに言われてから吾輩たちに声をかけるとは情けない……」

「いや、一応帝都の古い仲間に連絡したんですよ。けど、帝都からじゃこっちまで来るのに最低ひと月……いや、この時期じゃ、ふた月近くはかかるから実際まだ着かないし……」

「だから早くやっておけというのだ。地位を得て保身でも覚えたか?」

「きついよー、ドルトスさん……俺もうボロボロなんだから、もうちょっと手加減して……」


 ライオネルはかくんと頭を垂れた。

 ロビーの方で職員たちが大声で何か言っている。新しい連中に色々と指示を出しているのだろう。彼らはそれぞれ頷いたり指を鳴らしたりしながら出て行く。


 カウンターの周囲に集まっているのはAAランク以上の冒険者ばかりのようだ。総勢で大体三十人ばかり。

 最近は顔を見なかった他のSランク冒険者とそのパーティがいる。彼らもアンジェリンたちのように東奔西走していたから顔を合わせる機会がなかったようだ。

 他に二人ほどいた筈のSランク冒険者の姿はない。オルフェンに愛想を尽かして出て行ってしまったのだろう。

 高位ランク同士ともなれば見知った顔も多く、アンジェリンは幾人もと会釈した。

 十人ばかりは老人の姿も見える。チェボルグやドルトスのパーティメンバーだった者たちだ。皆既に引退して五十、六十を過ぎているのに壮健としており、かつての高位ランク冒険者は伊達ではない事を窺わせた。


 アンジェリンの隣にミリアムとアネッサが来た。


「おはようアンジェ」

「おはよー。なんか凄いねー」

「おはよう二人とも……これは頼もしい事になった」


 アンジェリンはワクワクした様子で二人の肩を叩く。

 ドルトスが髭を撫でながら言った。


「それで、吾輩たちはどういう仕事をすればいいのであるか? 災害級の魔獣出現対策にここで待機していろというならば御免であるぞ」


 ライオネルはぼりぼりと頭を掻きながら、口をへの字に曲げた。


「そんな贅沢な事しませんよ。頭数揃ったんで原因叩きます」

「原因……? 分かったの?」

「まだ昨日分かったばっかで確定じゃないけどね」とライオネルは肩をすくめた。「俺だって信じたくないよ、魔王なんてさ」


 ざわ、と冒険者たちがざわめいた。魔王の復活に関しては、ここのところ巷で噂にはなっていたが、誰もが眉唾だと思っていた。何せ伝承の中の存在なのである。

 アンジェリンは身を乗り出した。


「それ本当……?」

「だから確定じゃないんだって、俺の調査だけじゃ限界あったから、今別の人に確認してもらってる」

「……? ギルドマスター、自分で調査してたの? 文献とかじゃなくて現地で?」

「まあねー……だってそりゃ、職員は皆一般人だから文献漁りくらいしか任せらんないでしょ。それで現役冒険者が手一杯ならおじさんが動く他ないじゃない。けど合間合間に中央ギルドのお偉いさんとか領主さんとかと交渉しなきゃいけなかったし、色んな申請の手続きはしなきゃダメだったし、中々進まなかったよ……」

「でも、下位ランクの冒険者とか……」

「いやいや、災害級が出るかも知れない現場に下位ランクの冒険者を出すわけにはいかんでしょ……安全な場所だけは頼んだけど、この状況じゃそんな所多くなかったから」

「でも……上位ランクに手の空いた時に頼めば……」


 ライオネルは苦笑して頭を掻いた。


「あのね、調査って一日二日じゃ終わらないからね、アンジェさん……ただでさえあちこち行かせてくたびれてイライラしてるところに、調査依頼なんか出したらおじさん殺されちゃうよ。それで実際怒って出て行っちゃった冒険者も何人かいるんだよ……」

「……じゃあ、ギルドの教官とか……」

「教官なんてFかE、行ってもDランクくらいしか相手にしないんだから、最高でもAランクしかいないよ。AA以上が出る可能性があるんだから、無理させらんないって……それに実際は高位ランクの人たちって天才肌ばっかりだから教えるの下手だし」

「あ、じゃあエストガルとかから冒険者の応援を……」

「アンジェさん……依頼ってのはね、頼んだ人がお金を払うわけ。個人なら個人。町なら町ってね。ギルドから依頼を出せばギルドの予算を使わなきゃダメでしょ? でも今は拘束費として高位ランクの人たちに固定給を出さなきゃいけないし、依頼料も予算削って増額してたし、要するに他のギルドの高位ランク冒険者を呼べるほど余裕がなかったの。最初はしばらくお願いしたけど、予算が切れたらさようならだよ。冒険者ってそんなものだから」

「で、でも、ギルド同士でしょ……? お願いして支払いは待ってもらえば……」


 オルフェンのギルドは他の町のギルドの仕事まで肩代わりしてやっていた筈だ。アンジェリンもそういう仕事は何度もした。ライオネルはバツが悪そうに頬を掻く。


「一応そう頼んではみたんだよ……けど冒険者って高位になるほど基本はシビアな考え方するじゃない。命かけてタダ働きなんて誰もしたくないでしょ? うちは俺が断り切れなかったからアンジェさんたちには無茶させちゃったよ、本当にごめん」

「それはちゃんとお金払ってもらってたし……けど、冒険者はそうでも、ギルド同士のつながりはあるでしょ……?」

「中央ギルドの方針のせいもあるけど、ギルド同士の横のつながりって案外弱くてね、守られるか分からない約束よりも金銭が物を言うんだ。何せ既得権益とお偉いさんの保身が凄いからね。冒険者が一番求めているのは結局お金だし、地方ギルドも予算削られてるから成果の確約のないタダ働きは渋るし……けどそれで高給を払っても皆出て行っちゃうんだもん、おじさん心が折れそうだったよ……」

「じゃあ……ずっと一人で?」

「……まあ、ね。おかげで災害級と何度も一人で戦わなきゃいけなかったし、ここ半年近くまともに寝れてないし、すっごい疲れた……現役時代もこんな無茶してないよ、俺……」


 ライオネルは大きくため息を吐いた。


 アンジェリンはたまに文句を言おうとライオネルを呼び出す時があった。しかしそういう時、大抵ライオネルは留守で、アンジェリンは居留守を決め込んでいると憤慨していたが、実は一人で魔獣発生の原因を調べ続けていたらしい。それと並行して、冒険者や中央ギルド、領主などからのクレームや小言も一身に受けて対応していたようだ。この前呼び出した時、やたらくたびれた様子だったのはそれが原因だったのである。


 平時ならば何となく機能していたギルドのやり方が、この異常事態になってまったく機能せず、かといって長い平和な時に、既得権益と保身でがちがちに固められた制度がそうそう覆る筈もなく、魔獣はひたすらに発生し続け、その間に挟まれて方々から責め立てられていたのがライオネルだったのだ。

 それでも本当に殆ど一人で原因に辿り着いたというのは、流石元Sランク冒険者の面目躍如といったところだろうか。


 あくまで力のない人間を最優先で考えている辺り、この人、怠け者だし仕事は遅いけど、凄く不器用で優しいんだな、とアンジェリンは思った。そうしてちょっと赤くなってムスッとした。


「……言ってくれればよかったのに」

「いやあ……だってなんか言い訳っぽくなっちゃって嫌なんだよね、そういうの。今言っちゃったけどさ……」

「でも、何もしてなかったわけじゃなかったんでしょ……? この前偉そうにギルドマスターに説教したわたしが馬鹿みたいに見えて恥ずかしい……ギルドマスター、ごめんなさい……」


 しょんぼりと頭を下げるアンジェリンを見て、ライオネルはバツが悪そうに頬を掻いた。


「はは、いいのいいの、アンジェさんは何も間違ってないし、俺が無能なのは事実だし……それに、ああやって怒ってくれたのってアンジェさんだけだったんだよね。普通はギルドが気に食わなくなると皆何も言わずに出て行っちゃうから。他の町にもギルドはあるしね。けど、アンジェさんは本気で怒ってくれたでしょ? あれで相当踏ん切りついたし、随分背中を押してもらったよ。ありがとう」

「むう……」


 俯くアンジェリンの頭を、チェボルグが大笑いしながらわしわしと撫でた。


「がっはっはっは!! いいんだよアンジェ!! つまんねえ大人よりも突っ走る子供の方が世界を動かす!! お前がせっつかなけりゃ俺たちだってここにいないんだからよ!! ライオネル!! お前一人で無茶する前になんで早く俺たちを呼ばねえんだよ!! ギルドマスター向いてないんじゃねえの!?」


 ドルトスが同調して頷き、アンジェリンの肩をぽんぽんと優しく叩く。


「そうであるぞアンジェ。それに対策を後手後手に回し、ギルドマスター自らが動かねばならぬ事態を招いたのはこやつ自身の失態である。冒険者がギルドを見限って逃げて行くなぞ、普通はあり得ぬ。普段怠けているしわ寄せが来たのだ」


 古参の老兵二人に突っつかれて、ライオネルはかくんと頭を垂れた。


「厳し過ぎですよ、二人とも……大体、国とか中央ギルドのシステム自体が形骸化した欠陥品なんだよ……何度言っても中央ギルドのお偉いさんとか領主さんは責任回避と地方の予算削減しか考えてないし……高々元Sランクってだけのおじさんにどうしろっていうの……腹ん中まっ黒の古狸どもとやり合うなんて、荷が勝ちすぎるっての……」

「えっ!? 何!? ライオネル、何か言ったかよ!?」

「いいですよもう! ほら! 歩きながら説明するから行きますよ!」


 ライオネルはヤケクソ気味に肩を怒らせて建物の外に出て行く。

 集まった老兵たちは豪快に笑い声を上げ、その後に続く。アンジェリンたちも一緒になって外に出た。


  ○


 外に出ると陽光が彼らを照らした。ここのところは分厚い雲がかかっておらず、風はひんやりしているけれども陽光は暖かい。往来には溶けかけた雪が薄く残っている。


 ライオネルに先導された一行は都を出、それぞれ馬車に分乗して東に向かった。都の城壁を守る兵隊の数は普段より多く、領主が軍を動かしているらしい事が分かった。アンジェリンはそれを見てムスッと口を曲げた。


「……領主も軍を動かすのが遅い」

「軍隊って動かすとお金がかかるらしいからな。それが結果的にギルドに依頼が来る要因になっているんだろう。魔獣からの防衛はギルドの仕事、みたいな」


 とアネッサが言った。ミリアムが頷く。


「今まではそれでも何とかなっちゃってたからねー。なまじずっと上手く行ってるとこういう時に動きが遅いのは困っちゃうね」

「うん、それにここのところ東の国境がキナ臭いらしいから、そっちに力を割いてるらしいぞ。それで魔獣に国を潰されちゃ元も子もないけど」

「まったくだ……けど、それも今日で終わり。魔王だかなんだか知らないけれど、叩き潰してやる……!」

「ふふ、腕が鳴るねえ……でもおじいちゃんたちいるから、先越されちゃうかもー」


 ライオネルによると、オルフェン近郊の廃ダンジョンの奥に大きな魔力溜りがあるらしい。

 余程高位のダンジョンかと思いきや、Eランクのダンジョンであったそうだ。その為下位ランクのパーティに一度周辺を調査させたがそれと見抜けず、逆に調査が遅れたという事である。


 その魔力溜りから地脈を通って各地のホットスポットに溢れた魔力が、魔獣に影響を及ぼして災害級魔獣を始めとした魔獣の大量発生につながったのであろう、という事らしい。


「魔力って地脈を伝うのかよ……知らなかった……」


 アンジェリンが言うと、ミリアムがむつかしそうな顔をする。


「普通はそんな事ないんだけどねー、余程魔王って魔力が凄いんだね」

「強敵だな……どんな相手なんだろう」

「どんな相手でも関係ない……叩き潰すのみ」


 あくまで淡々としているアンジェリンを見て、アネッサは嘆息した。


「本当になんとかなりそうだから困るな……」


 馬車は小一時間走り、小さな林を抜け、丘陵の連なる所に来た。その中で一際大きな丘陵に横穴があって、そこから地下ダンジョンへとつながっているようだ。

 しかしそのダンジョンは随分前に核がなくなって廃止されていた。その為この辺りに冒険者が近づく事はなかったようだ。


 今回はこのダンジョンに入り、恐らく魔力溜りの原因になっているであろう存在を討伐する。それが魔王だろうという事だ。

 馬車が止まり、冒険者たちが降りる。

 アンジェリンは長く揺られて痺れた尻をさすり、顔をしかめてダンジョンの入り口を見た。別段異常が感じられる風ではない。本当にこの中に魔力溜りがあるのだろうか?


 そこでふと、入り口に向かって誰かが立っているのを見つけた。艶のない灰色の長髪で、分厚い外套とマフラーでもこもこと着ぶくれている。

 ライオネルが足早にその人物に近づいた。


「どうですか、マリアさん。何か異常ありました?」

「ねえよ。けど中に異様に歪んだ魔力の塊があるのは確かだ。しかもそれが外にばれないように誰かが結界を張ってやがる。相当の腕だぜ、これは。だから魔力も魔獣も外に出て来ねえんだ」

「やっぱり……で、地脈は?」

「結界のせいで余計に地脈の方に魔力が漏れてやがる。これじゃ魔獣も元気になるに決まってる。ったく、こんな危ない所に可憐な乙女一人置き去りにしやがって、げほっ、げほっ」


 咳をしながら不機嫌そうに振り向いたその顔は妙齢の女性である。端正な顔立ちであるが、どこかくたびれた雰囲気を纏っている。また女性でありながら、ライオネルと並ぶとかなり長身である事が分かった。

 アンジェリンはまたも嬉しくなってその女性に駆け寄った。


「マリアばあちゃん……!」

「げっほげほ……っ、ああん? アンジェか? 相変わらずだな、このガキは」

「ばあちゃん、元気だった? 病気大丈夫……?」

「大丈夫じゃねえよ。げほっ。それなのに引っ張り出しやがって、乙女をいたわれってんだ」


 口では悪態を吐きながら、まんざらでもなさそうにマリアはアンジェリンを撫でた。そして後ろにいるアネッサとミリアムにも目をやる。


「おい小娘ども、ちゃんとやれてんのか? あたしを呼び出すなんざ気合が足りてねえぞ。がはっ、げっほげっほ!」


 言いながら喉に何かからんだらしい、マリアは盛大に咳き込んだ。アネッサが呆れたように駆け寄って背中をさすってやる。


「マリアさん、あんまり無茶しないで……もう歳なんだから」

「げほ……うるせえよ、まだピチピチの六十八だっつーの」

「六十八はピチピチじゃなくてババア!」


 指を差してけらけら笑うミリアムをマリアは睨み付けた。


「うるせえぞ馬鹿弟子が! 師匠になんて口利きやがる! げーっほげっほ!」

「あははー、散々弟子をいじめた報いだよ、ザマ見ろー」

「こんのガキ……げほっ! ごほっごほっ! がはっ!」


 マリアは怒りながらも盛大に咳き込んだ。アネッサが慌ててまた背中をさすってやった。ミリアムはけらけら笑っている。


 彼女は三年前に引退した元Sランク冒険者だ。

 駆け出しの頃のミリアムの師匠であり、“龍殺し”や“灰色”などの異名を持つ大魔導で、公国だけでなくローデシア帝国全土にその名は知られている。

 その強大な魔力によって肉体の老化を止めている為、六十八歳だが若い容貌をしている。

 しかし、かつてSランクの魔獣である呪龍を退治した時に返り血を浴びて呪いを受けてしまった。

 以来その体は病に蝕まれ、恒久的な悪寒、発作的な痛みと咳が一向に止まらないらしい。それでも帝国随一の大魔導である事に変わりはないのだが。


 そこにドルトスとチェボルグがやって来た。ドルトスは髭を撫でながら、おやという顔をする。


「なんだマリア、お主も呼ばれたのであるか」


 マリアは小さく舌打ちして目を細めた。


「ドルトスか……まあな。ったく、老いぼれのくたばり損ないばっかり集めてどうすんだよ、げーっほげほ!」


 相変わらずむせ込むマリアを見て、チェボルグが大声を出す。


「マリアーッ!! 仮病はまだ治らねえのかよ!! だらしねえな!!」

「仮病じゃねえっつってんだろ!! 死ね筋肉ダルマ! ごほっ! げほげほっ!」

「えっ!? 何!? マリア、何か言ったかよ!?」

「死ねっつったんだよ!! それともあたしが殺してやろうか!!」

「あのー……話を進めていいですかね?」


 久闊を叙す老人たちに隅の方に追いやられていたライオネルが、うんざりした表情で言った。老人たちは笑いながら、身振りで続けろと示す。ライオネルは嘆息した。


「えーと、マリアさんにも確かめてもらったんで、この中に魔力の塊があって、それが地脈を辿って広がってるのは確実みたいです。そいつを叩けば今回の魔獣の大量発生も落ち着くのではないかと」

「どうすればいいの……? 作戦は? ギルドマスター」

「うん、まあ普通にダンジョンに乗り込んで最深部目指す感じよね。元々Eランクダンジョンだから深くはないだろうけど、魔力の影響で魔獣のランクが上がってる可能性はあるわけで……でもまあ、これだけの実力者揃いなら……」

「ごちゃごちゃうるせえな!! つまりまとめてブッ飛ばせばいいわけだろうがよ!!」

「えっ、ちょ」


 ライオネルが制止する間もなく、チェボルグは拳を振り上げた。

 着ているインバネスがはためき、腕に彫り込んだ魔術式が光り出し、そのままダンジョンのある丘陵をぶん殴る。

 同時にすさまじい衝撃波が迸り、丘陵が半分ばかり消し飛んでしまった。


「あ、結界消えた……げほっ」


 マリアが呟いた。と同時に、ダンジョンへと下る穴から禍々しい瘴気が舞い上がり、魔獣が次々と溢れ出て来た。元Eランクダンジョンの筈なのに、BランクやAランク以上の魔獣の姿も散見された。

 ライオネルが頭を抱える。


「なにやってんすかチェボルグさん……」

「がっはっはっは!! 面倒がなくていいじゃねえかよ!! オラァ魔王出て来いよ!!」

「待てチェボルグ、抜け駆けは許さんであるぞ」


 ドルトスは槍の穂先の布を外し、瞬く間に手近な魔獣を数匹串刺しにした。さっきまでの好々爺然とした顔つきではなく、完全に戦人の顔になっている。実に楽しそうだ。

 老人二人は意気揚々と魔獣の群れに飛び込み、難なく粉砕した。

 後には二人のパーティメンバーだった老人たちも続き、恐るべき手並みで次々と魔獣を屠って行く。誰も彼も年寄りなのに元気だ。やたらに張り切っているのは、誰も彼も魔獣と戦うのを実は楽しみにしていたからだろうか。


 唖然としている現役の冒険者たちを見て、ライオネルはやれやれと首を振り、ぱんと手を叩いて、叫んだ。


「よーし、敬老会の始まりだ! じいさまたちが活躍しやすいようにお膳立てしてやろうかね!」


 その声で我に返った冒険者たちは、苦笑しながら武器を構えた。


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