ドライブイン
「前にも言ったように、お前はまず、ドラテク以前に運転の基礎を覚えろ。」
S15のステアリングを握る陸斗がそう指導する。
「はい。・・・でも、峠に来たのはなぜです?」
まどか達を乗せたS15は夜の社峠を走っていた。
「それは、スポーツ走行寄りの基礎を覚えてもらうためだ。」
「スポーツ走行寄りの基礎ですか?」
「そうだ。主にコーナリング。・・・まあ、細かいことは実際にやって説明する。」
迫る右コーナーを見つめながら陸斗が言う。
「まず、ライン取り。次にブレーキング。」
そう説明しながら車を左側に寄せ、コーナー手前でブレーキを踏んで減速する。
「そして、ブレーキを緩めてハンドル操作。」
前につんのめる感覚が緩み、車が右に旋回して中央線を目指す。
「このとき、インを舐めるようにして、徐々に加速しながらアウト側へ逃げる。これが、俗に言うアウト・イン・アウトだ。」
説明通りに車を動かし、コーナーを抜けていく。
「普段からさっき教えたことを意識して運転すれば、実際に峠とかサーキットを走ったときに無意識で出来るようになるから。」
社峠の中間にある、運送会社の正門の脇に設置された自動販売機の前で、缶コーヒーを飲みながら陸斗が言う。
「はい!」
「よし、じゃあ、レッスン1は終了。次のステップに行こうか。」
そう言って陸斗は、空き缶を自販機横のごみ箱に捨て、車を停めている会社正門の広いスペースに歩いていく。
「え!?私まだ何もしてないですよ?」
慌てて陸斗を追う。
「あくまで今のは基本中の基本だから・・・つーか、そもそも、さっき教えたことは教習所で大まかに教わってる筈だけど?」
「そうなんですか?」
「ほら、座学でカーブを曲がるときはスローインファストアウトって聞いたことないか?」
「え!?えーっとぉ・・・座学はほとんど寝てました・・・。」
「・・・お前、免許取り直した方がいいんじゃないか?」
呆れ果てた顔で陸斗が言う。
ちなみにスローインファストアウトとは、その言葉通りにゆっくり入って素早く出るという、全てのドライビングにおけるコーナリングの基本の動きである。
「え~、それはひどいですよ~。」
「ひどくねぇよ。・・・芳文、どうだ?悪魔でも憑いてたか?」
アイリに懐中電灯で照らされながら、S15のエンジンルームを見ている芳文に陸斗が聞く。
「え?そっち?ちょっと待ってて・・・今から悪魔を呼び出す儀式・・・痛っ!」
胸の前で十字を切り、SRエンジンに祈りを捧げようとする芳文の尻に、アイリが無言で蹴りを入れる。
「で、実際のとこはどうなんだ?」
「程度の良いノーマル車ってとこだね。」
「カスタムの幅が広がるってことですか?」
「まあ、そうと言えばそうだね。でも、まずは消耗品と必要最低限のパーツ交換かな。」
芳文はそう言ってS15のボンネットを閉める。
「さて、僕はちょっと走ってくるよ。アイリンも行く?」
「あ~、やめとく。」
そう言うと、アイリはS15の隣に停まっているエボ5に寄りかかり、煙草に火をつける。
「わかった。陸斗は?」
「行く。まどか、横に乗れ。」
「はい!」
陸斗に促され、私はFDの助手席に乗り込む。狭い車内のダッシュボードには、四連メーターやコントローラーなどの計器類が配置されており、航空機のコックピットのような雰囲気を醸し出していた。
「芳文のライン取りをよく見とけよ。」
運転席に乗り込む陸斗が言う。
「はい!」
ワンエイティーが移動を始め、その後を追ってFDがゆっくり道路に出る。そして、ワンエイティーが先ほどの自販機の前で停止した。
FDがワンエイティーの後ろについて停まると、ワンエイティーは二回エンジンを吹かした後、ホイールスピンをさせ、白煙をまき散らしながら加速を始めた。それに続いてFDも走り出す。
加速によって生じる強烈なGが、私の体をシートに押さえつけた。
「うお・・・ッ!速・・・!」
瞬く間にワンエイティーとの距離が縮み、第一コーナーが目前に迫る。
「ワンエイティーが外に広がった!」
陸斗がエンジン音よりも大きな声で言う。
フロントガラスの向こうでワンエイティーが、右コーナー手前で左側のガードレールにギリギリまで接近していた。そして、ブレーキランプが点灯し、吸い込まれるようにコーナーへ進入する。
コーナリングを開始するFDの横Gに耐えながら、コーナーを抜けていくワンエイティーを見続ける。そして、第一コーナーを抜けた後も、絶え間なく襲い来るGに振り回されながら、先行するワンエイティーの動きを目に焼き付けた。
「今からやることはズバリ、カスタム!」
芳文はテーブルに置かれた数冊の車雑誌を前にそう言った。
社峠を往復した私たちは、先日のようにF市のファミレスを訪れていた。
「おお!カスタムならいろいろ考えてありますよ。」
意気揚々と手元のグレーのトートバッグから、カスタムプランをまとめた一冊のノートを取り出し、テーブルに置く。すると芳文がテーブルに置かれた状態のまま、ノートを開く。
「車高調とホイールのチョイスは良いんじゃないか?」
足回りに関するカスタムのページに貼られた、黄色いバネの付いた車高調と、スポークタイプの白いアルミホイールの写真を見て陸斗が言う。
「うん、エアロとメカも良い物を選んでる・・・。」
私の考える完成予想図のイメージに近い、有名ショップのデモカーの写真が貼られたページを見て芳文も高評価を出す。
免許取得前から情報収集していただけあって、なかなかの高評価だ。
「でも、現実的じゃないよね?」
ここでアイリが否定的な評価を下す。
「私は完璧だと思いますが・・・。」
「確かに、僕も完璧だと思うけど、このメニュー全部やったら車検通らないよ?」
「え?」
「・・・いろいろあるけど、まず、この直管マフラーとハミタイ、あと座席の取っ払いもダメだから。」
芳文がノートをめくりながら指摘をしていく。
「さすがは整備士ですね・・・。」
「いや、整備士じゃなくてもわかることだからね。・・・まあ、とにかく、今回するカスタムっていうのは、走るのに最低限必要なカスタムのこと。」
芳文がぱたんとノートを閉じる。
「エアロですか?」
「違う。どうしてそうなる?・・・まずは、ブレーキパッドとオイル関係の交換。」
「あと車高調も入れた方がいいかも知れない。さっき運転したとき、サスが抜けてる感じがした。」
「ふむ。まあ、オイルは純正を使うとして、パッドはプランにある奴で問題なし。車高調はどうするか・・・。」
芳文が再びノートを開き、足回りについてまとめたページを見ながら、ぶつぶつと考え込む。
「車高調はこれじゃダメですか?」
陸斗が良いと言った、黄色いバネの車高調を指さして聞く。
「これは俺のFDにも着けてるけど、なかなか良いよ。でも、値段がな・・・。S15でも、おそらく工賃込みで三十万は行く。」
「確かに、現実的じゃないですね・・・。プラン組み直そうかな・・・。」
「いや、組み直すほどでもないよ。・・・まあ、車づくりって、どこをこだわってどこで妥協するかっていう話だから・・・。ね?芳文君。」
煙草に火をつけてアイリが言う。
「そうそう、全部こだわったらホントにキリがない。僕も陸斗もかなりつぎ込んでるからねぇ・・・。」
「俺たちはまだマシな方だよ。・・・で、とりあえず、車高調はその辺の中古屋で安く調達でいいんじゃね?」
「いや、お前、シルビア舐めてんだろ?」
「わりぃわりぃ、冗談だよ。ネットオークションの車高調はどうだ?安いし、割と良いって聞くけど・・・。」
「使い捨てとして考えるならありかな。あとは朝木ちゃんがドリフトとグリップ、どっちをやりたいかにもよるね。」
「どっちをやりたい?」
陸斗が聞く。
ちなみにドリフト走行とは、タイヤを滑らせながらコーナリングをする、主に派手さ重視の走行方法であり、一方のグリップ走行は、タイヤを滑らせないスピード重視の走行方法である。
「いや、なんで師匠のお前が知らないんだよ・・・。」
「まあ、まだ基礎の段階だし、どっちにしろドリフトは覚えてもらうから・・・。で、どっちをやりたいんだ?」
「特に決めてないです。ただ、漫画みたいにかっこよく走りたいです。」
「そうか。まあ、練習しながら決めればいい。」
「はい。どっちが私向きかじっくり見極めます。・・・それで、オイルは純正で、パッドはプラン通り。あと車高調はオークションでいいですか?」
ノートの空いたスペースに、メモ書きしながら聞く。
「問題ないけど、すぐにってわけじゃないから。」
「そう。金もかかる話だから、よく考えてくれ。」
「わかりました。」
一週間後。俺はまどかを軽自動車の助手席に乗せ、煎餅の配達をする為、F市に向けて昼の社峠を走っていた。
「配達車ってハチロクとかじゃないんですね。」
「漫画の見過ぎだ。第一、普通車じゃコストがかかるだろ?」
「まあ、そうですね・・・。」
なぜ、まどかと配達をしているか説明すると・・・
三日前。
「配達終わりました~。」
「は~い、おつかれ~。」
配達を終え、店に戻った陸斗を、レジカウンター越しに煎餅を焼きながら出迎える岩木。
「お疲れ様です~。」
聞き慣れた声に振り向くと、エプロン姿のまどかが陳列棚を雑巾で拭いていた。
「そこで何してんだ?」
「拭き掃除です。」
「ああ、今日からバイトすることになったから、いろいろ教えてあげてね。」
「は!?」
「よろしくお願いします。先輩。」
まどかが満面の笑みで言う。
「・・・マジかよ。」
・・・ということから、バイトをするにあたって仕事を一通り覚えてもらう為、二人で配達業務をしてるわけだ。
「ところで、配達ってどこに行くんです?」
「F市のスーパー五ヵ所と、その隣のI市のショッピングセンター二ヵ所の計七ヵ所だ。」
「結構多いんですね。人気があるんですか?」
まどかが驚いたように言う。
「まあ、岩木さんが作る煎餅は美味いからな。」
「確かに美味しいですよね。私はザラメ煎餅が好きです。」
「俺はシンプルな醤油煎餅だな。ところでまどか。」
「はい。なんでしょう?」
「お前って普段、何やってんだ?」
まどかとは休日だけでなく、平日の昼間にも出会うことが多く、岩木や芳文達との間でニートだのフリーターだのと、様々な憶測を呼んでいた為、俺もかなり気になっていた。
「普段ですか?普段は大学にいますけど・・・。」
「なんだ、大学生だったのか。」
ここ最近の中で最も大きな謎が解け、すっきりした。
「はい。理工科大学の一年です・・・って、知りませんでした?」
「ああ。知らなかった。芳文達との間でよく話題になってたよ。」
「はあ・・・。」
「さて、ちょうどいい機会だし、街乗りで練習できるテクニックを教えようか。」
「おお!是非、お願いします。」
まどかの目がより一層輝く。
「よし。じゃあ、ヒールアンドトゥについて教える。」
「つま先でブレーキを踏んで、踵でアクセルを煽るやつですよね?」
「そう、それ。簡単に説明すると、ブレーキで減速しながらエンジンを吹かして、スムーズにシフトダウンをするテクニックだ。まあ、詳しくは自分で調べてくれ。・・・それじゃあ、実際にやって見せる。」
ストレートで加速してエンジンの回転数を上げる。そして、右足を真横にしてクラッチ、ブレーキ、アクセル、全てのペダルをほぼ同時に踏む。すると、車がガクンと前につんのめるような減速をする。
ブレーキが強すぎたようだ。
「ミスった。もう一回。」
また加速をし、今度は少し加減をしてペダルを踏む。エンジンが唸り声を上げ、滑るような減速をする。
「よし。大体、こんな感じ。」
「なるほど。・・・あの、積荷は大丈夫でしょうか?」
「・・・・・・。」
「よし。大丈夫だ。」
中間地点の自販機前に車を停め、積荷のチェックを終えた陸斗がラゲッジスペースのドアを閉めて運転席に戻る。
「頼むから岩木さんには黙っといてくれよ。」
自販機で買ったペットボトルの紅茶をまどかに渡す。
「じゃあ、ケーキもお願いします。」
「よし。破門だ。」
「ああ!冗談です!絶対に言いませんから、破門だけはご勘弁を・・・ッ!」
「・・・まあ、とりあえず、ヒールアンドトゥの練習は車の少ない直線と、壊れ物を積んでない状態でやるように。」
「はい。わかりました。」
まどかが苦笑いをして言う。
「じゃあ、行くか。」
そして、陸斗とまどかを乗せた軽自動車は、配達先に向けて社峠を下って行った。