安全運転を心掛けろ
「遂にこの時が来た・・・!」
オレンジ色に染まる夕刻の静岡県F市の住宅街。赤毛の少女、朝木まどかは自宅の駐車場で、先ほど納車されたばかりの真っ赤なスポーツカー、S15型シルビアを前に喜びの絶頂にいた。
「私の公道最速伝説はここから始まる。」
夜も更けた頃。まどかは走り屋が集まると噂の社峠を流していた。
社峠。F市とM町を結ぶ全長約八・八キロメートルに及ぶ二車線の山道で、朝から夕方にかけては通勤などでそれなりの交通量がある一方。真夜中となれば、ここに来る者は走り屋かタヌキなどの野生動物くらいしかいない。
「・・・お?」
後方よりヘッドライトの光が高速で接近し、背後にぴたりとついて道を開けろと言わんばかりに右ウインカーを出す。
「上等!」
まどかはにやりと口元に笑みを浮かべ、アクセルをあおって一気に加速し、後続車を引き離す。
「相手は・・・FD・・・!?」
街灯を通過した際、ルームミラーの中で街灯の光によって浮かび上がったRX-7 FD3Sの特徴的な流線型のシルエットを確認し、思わず声を上げる。
「相手にとって不足なし!」
高揚感とともに、ステアリングを握るまどかの手に力が入る。
ヘッドライトの煌々とした光で夜の闇を切り裂きながら、獣のごとく社峠の曲がりくねった道を走り抜けるS15とFD。
「この先で決める。」
まどかはそう呟き、前方左手の赤い看板を睨む。
「今っ!」
看板の直前でブレーキペダルを踏み込み、そのすぐ先にある右コーナーの内側に向けてステアリングを回し、反対車線まで使ってコーナリングを決める。すると、背後に迫っていたFDのヘッドライトが急激に離れていく。
「スローダウン!?・・・ということは・・・やった!勝った!」
まどかは初勝利に歓喜し、右手で小さくガッツポーズをする。
・・・以上が数十分前までの出来事であり、現在、まどかは右コーナーの先にあるY字路手前の道路脇で正座をし、FDを運転していた若い男から説教を受けていた。
男によると、まどかは峠における走りのルールを無視し、かなり危険な走りをしていたと言う。
「基本的にどこの峠でも、コーナリングで反対車線まで使うのはマナー違反だ。あぶねぇから二度とするな。」
特徴的な青いホイールとエアロパーツで武装した自身の黒いFDを背に、腕を組み、仁王立ちをする男がまどかに強い口調で言う。
「はい、ごめんなさい・・・」
しゅんとしてまどかが詫びる。
「・・・それで、お前はそこで何してるんだ?」
男がそう言ってじっとりとした目で横を見る。視線の先には、エアロパーツを纏った白いワンエイティーがおり、開かれた運転席の窓から眼鏡をかけた男がスマホのカメラを向けていた。
「珍しい光景だから動画を撮ってた。」
眼鏡の男がスマホをしまいながら答える。
「いや、見せ物じゃないから。」
「ごめんごめん。とりあえず、車動かすよ。」
そう言って眼鏡はワンエイティーをS15の前に移動させた。
「で、どうしたの?」
ワンエイティーから降りて来た眼鏡に、FDの男は煙草を吸いながら事の顛末を説明した。
「なるほどね・・・確かにそりゃ怒るね。ルールは守らないといけないよ。えーと、君は・・・」
「まどかです。朝木まどか、十九歳です。」
立ち上がって足についた小石や砂を払いながら、まどかが顔を上げて自己紹介をする。
「僕は台場芳文、二十三歳。彼は・・・」
「臼井陸斗。」
FDの男が紹介しようとする眼鏡を遮って名乗る。
「年齢は僕と同じ。」
「・・・あ、そういえば芳文、アイリさんは?」
陸斗が思い出したように聞く。
「先にファミレスに行ってるって。」
「そうか。じゃあ、移動するか。」
そう言って陸斗は、短くなった煙草を携帯灰皿に押し込み、ポケットにしまう。
「・・・それじゃあ、俺たちは行くけど、危ないことはもうするなよ。俺が知る限り、ここで走り屋が三人死んでる。」
陸斗はまどかにそう警告すると、FDに乗り込んだ。
「へー、そりゃ災難だったね。」
社峠から少し離れたF市内のファミリーレストラン。窓際の喫煙席で、陸斗達から話を聞いた茶髪の女が、眼鏡をナプキンで拭きながら笑う。
「それで、さすがに頭に来たから、その場で正座させて説教してやった。」
「その時の映像がこちらになります。」
芳文がスマートフォンで動画を再生する。
「珍しい。こりゃ傑作だ。」
芳文のスマートフォンを片手に、綺麗になった眼鏡を掛けた女が大笑いをする。
「・・・ところで、なんでこいつがここに居るんだ?」
陸斗が隣に座るまどかを指さして言う。
「え?」
まどかがクリームあんみつを食べる手を止め、間の抜けた声を出す。
「何か問題が?」
芳文がフライドポテトを片手に、眼鏡をキラリと光らせる。
「いや、ねーけどさ。」
「えへへ、ついてきちゃいました。それにしても、芳文さんの彼女さんってエボ5に乗ってるんですね。」
駐車場に停まっている黒いランサーエボリューションⅤを窓越しにちらりと見て、女に羨望の眼差しを向ける。
「まあね。私は小山アイリ。よろしく!・・・で、なんでついてきたの?」
アイリが自己紹介をし、くわえた煙草に火をつけてまどかに聞く。
「峠で陸斗さんと芳文さんの走りを見させていただきました。」
十数分前・・・
「・・・ついて行くだけなら怒られないよね・・・?」
常連二人の走りを背後から見学するため、Y字路の交差点でUターンを終えたワンエイティーとFDの後ろについたまどかがぼそりと呟く。
「・・・まあ、大丈夫か。」
まどかが一人で勝手に納得している間に、先頭のワンエイティーが右ウインカーを出し、FDとともにスタート。
「ああ!待って!」
まどかも慌ててついて行くが、第一コーナーへ吸い込まれるようにコーナリングする二台を前に唖然とする。
「え?速・・・」
そして、コーナーを越えた先で、既に遠く離れたところにいる二台分のテールランプを見て、まどかはさらに唖然とする。
「もうあんなところに・・・」
「あの走りを私に教えてください!」
まどかがその場で頭を下げる。
「よし。じゃあ臼井、教えてあげなさい。」
「芳文に任せた。」
オムライスを食べる陸斗が、アイリの命令を芳文に丸投げする。
「え?ドラテクなら陸斗の方が上だと思うよ。」
「やだ。面倒くさい。」
芳文の投げ返しに対し、本音で拒否る陸斗。
「お願いします!師匠。」
まどかが陸斗の腕を両手でつかみ、懇願する。
「師匠言うな。お前の場合、ドラテク以前にまず普通の運転だろ。」
「う・・・」
手を振りはらわれた上、痛い所を突かれて声を上げる。
「じゃあ俺、明日早いからそろそろ帰るわ。」
オムライスを食べ終わった陸斗が代金をテーブルに置き、席を立ってさっさと店を出て行ってしまった。
「ここか・・・」
翌日。芳文とアイリから陸斗の居場所を聞いたまどかは、社峠の向こう側の麓にある小さな煎餅屋を訪れていた。
絵に描いたような田舎の駄菓子屋。そんな印象を覚える店の煎餅屋岩木と書かれた看板の下の透明なガラス戸の向こうで、店主と思われる眼鏡をかけた三十代くらいの男がたいやきを焼いていた。
「よし。」
意を決してまどかが入店しようとすると、白い軽自動車が店の狭い駐車場にに入ってきた。
運転していたのは陸斗だった。
「お前、人の職場で何してんだよ。」
車から降りるなり、茶色のエプロンを着けた陸斗が呆れた顔で言う。
「あ、師匠、お疲れ様です。」
まどかがぺこりとお辞儀をする。
「師匠じゃねぇ。昨日、断っただろ。」
「えー・・・。あ、そうか!ちょっと待っててください。」
肩を落とすまどかだったが、何かを思いついた様子で店に滑り込む。
「やあ、いらっしゃい。」
レジカウンターの奥で、たいやきを焼く店主の男がまどかに柔らかく微笑む。
「配達終わりました。」
後から入って来た陸斗が店主にそう告げる。
「はーい、おつかれー。・・・知り合い?」
「今朝、話したS15ですよ。・・・で、何をする気だ?」
レジカウンターの奥に移動しながら陸斗が聞く。
「たいやき、五個ください。」
「はい、五百円ね。俺は店主の岩木っていうんだけど、よろしくね。」
代金を受け取りながら岩木が自己紹介をする。
「あ、はい。今日から陸斗さんの下でドラテクを学ぶことになった朝木まどかです。よろしくお願いします。」
たいやきの入った温かい紙袋を受け取ったまどかが岩木に頭を下げる。
「というわけで、たいやきもたくさん買ったので、ドラテクを教えてください。」
「いや、そういうことじゃないから。」
苦笑いの陸斗がツッコミを入れる。
「じゃあ、どうすれば・・・」
「おーッす。」
会話を遮るようにして、紺色のつなぎを着た芳文が店に入ってきた。
「やあ、いらっしゃい。」
「どうも。焼きそば二つください。やあ、朝木ちゃん、やっぱり来てたか。」
芳文がカウンターにいた岩木に焼きそばを注文し、まどかの方に向き直る。
「来てたかじゃねぇよ。まったく、人の個人情報バラ撒きやがって・・・」
陸斗は悪態をつきながら、奥の厨房で焼きそばを作り始める。
「芳文さん、どうしてここに?」
突然の登場にまどかがきょとんとして聞く。
「ん?昼ご飯を買いに来たんだよ。ほら、僕の職場近くだから。・・・で、どんな具合?」
「一筋縄ではいかないようです。・・・とりあえず、明日もまた来ますね。」
まどかは困ったように笑うと、駐車場のS15に乗り込み、店を後にした。
「あの様子だと毎日来るよ。多分。」
S15を見送ったままの岩木が語る。
「・・・。」
「別に悪い子じゃなさそうだし、ドラテクを教えてあげてもいいんじゃない?」
そう言って岩木は沈黙する陸斗を見る。
「・・・。」
「前のチームのこと引きずってんのも分かるけどさ、そろそろ気持ち切り替えてもいいんじゃない?僕たちもサポートするからさ。」
さらに芳文がカウンターから身を乗り出して追撃をかける。
「・・・あー、もう!分かったよ。やりゃあいいんだろ。」
陸斗が参ったと言わんばかりに、二人分の焼きそばが入ったビニール袋をカウンターに置く。
それを見た岩木と芳文が顔を見合わせニッと笑う。
「こんにちわー。」
翌日もまどかは煎餅屋を訪れた。
「やっぱりまた来たか・・・」
たいやきを焼いていた陸斗がうんざりしたように言う。
「私は諦めませんよ。」
そう言ってまどかは陸斗を見つめる。
「・・・俺の修業はものすごく地味で時間がかかるぞ。」
ため息をついて陸斗が言う。
「ものすごく厳しいの間違いじゃないですか?」
「俺は厳しくするのもされるのも嫌いでね。・・・で、どうする?」
たいやきを鉄板から取り出し、専用のホルダーに移した陸斗は両手を腰に当ててまどかに問いかける。
「え?それって・・・」
まどかが質問の意図に気づいて目を丸くする。
「ドラテク、教えるよ。」
「ホントですか!?ありがとうございます!」
「ただし、俺の下で修行する以上、街乗りでは常に安全運転を心掛けろ。違反で捕まったら即破門だからな。」
飛び跳ねて歓喜するまどかに、陸斗が釘を刺す。
こうしてまどかは走り屋としての第一歩を踏み出したのであった。




