前進
「いらっしゃい。あれ?芳文は?」
ある日のお昼時。陸斗が一人で煎餅屋の店番をしていると、アイリが来店した。
「今日は非番。」
「一人で来るなんて珍しいな。」
いつもは芳文がアイリの分の昼食を買うのだが、芳文が非番などでいない時はアイリは前もって昼食を用意しているため、この時間帯に一人で煎餅屋に来ることは非常に珍しい。
「まあ、ね。・・・あ、焼きそば貰える?」
アイリが短く答えるが、どことなくぎこちない。
「おお。・・・どうした?何かあったのか?」
何か言いたげなアイリに陸斗が聞く。
「実はこの間・・・」
数日前・・・
「え!?このバンド解散したの!?」
この日の昼、アイリは芳文との待ち合わせのため、社峠入り口のコンビニを訪れていた。
「小山さん。」
店舗前の灰皿付近で煙草を吸いながら、スマートフォンをいじっていたアイリに、短髪で小柄な若い男が声を掛ける。
「カズヤ・・・!」
元カレ、カズヤとの久しぶりの再会に驚くアイリ。
「俺、あれから色々考えたんだ。だから、また小山さんとやり直したい。」
「いや、無理。私、もう彼氏いるんだけど?」
突然の復縁の要求を容赦なくぶった切る。
「・・・じゃあ、俺とバトルして俺が勝ったら、やり直しを考えてくれ。」
カズヤが後方に停めてある白いレガシィB4 2.0GTを親指で指して言う。
「何でそうなるんだよ・・・。諦めなよ。」
心底迷惑そうにアイリが言う。
「それが出来ないんだ。・・・とにかく、バトルの詳しい話はまた連絡するから。じゃあ。」
言い終えると、カズヤはさっさと車に乗り込み、その場を後にした。
「じゃあ、じゃない!・・・ああ、ちょっと!もう・・・!」
「・・・と言うわけ。」
「なるほど。で、それ、芳文に相談したのか?」
「勿論したよ。」
「それで、アイリンはそのバトル受けるの?」
その後、アイリと合流し、一連の事を聞いた芳文はそう返した。
「まあ、私としてはこんなバトルは受けたくないけど、さすがにあの一方的な態度は頭に来たから、バトルであのバカの鼻っ柱をへし折ってやろうと思ってる。ただ・・・」
「うん。」
「私、そんな速くないから、バトルを受けたところで勝てるかどうか・・・。」
「まあ、負けたときは、僕が仇を取るから安心してよ。」
「珍しく頼もしいじゃん。」
アイリがにやりと笑う。
「そりゃあ、彼氏ですから。」
芳文が眼鏡をクイッとやる。
「よし。じゃあ、バトルを受けてやるか。」
「おー、芳文の奴、よく言ったな。・・・はい、焼きそば。」
陸斗が感心し、焼きそばの入ったビニール袋を渡す。
「ありがと。でしょ?正直私も驚いたね。」
アイリが焼きそばを受け取り、代金を支払う。
「うーす。」
そして、タイミングを見計らったかのように、芳文が来店した。
「いらっしゃい。今日はどうした?」
「ん?なんとなく。・・・あれ?一人で来るなんて珍しいね。」
「この間のことを話したくて・・・ああ、ごめん。・・・もしもし?」
アイリがスマートフォンを耳に当て、店の外に出る。
「・・・そういえば・・・。」
アイリを見送った陸斗が口を開く。
「ん?」
「アイリさんって、何で前の彼氏と別れたの?」
「あー、まあ、簡単に言うと、前の彼氏はアイリンに走り屋をやめさせようとしてたんだよね・・・。」
「なるほど、それで、最終的にアイリさんがキレたと・・・。」
「そんなところ。」
「バトルの日程が決まった。再来週に愛知の表海街道でやるって。」
電話を終えたアイリが、入り口から顔を出して言う。
「あと時間ヤバいから、もう行くね。」
そう言ってアイリは小走りでエボ5に乗り込み、煎餅屋を後にした。
「ふう・・・、随分遠いところまで来ましたね。」
バトル当日。水平線の彼方に沈む太陽によって、赤く染められた海沿いの公園駐車場。そこでまどかは伸びをして言う。
ここは愛知の表海街道の終点に位置する愛ヶ浜公園。本日のバトルのゴール地点だ。
「バトル後にここで改めて告白する気なんじゃねえの?」
FDの横で、煙草を吸う陸斗が言う。
「確かにここ、景色良いですけど、こういう場所でそういうことしても、大抵の場合、逆に引かれますよ?」
「俺もそう思う。」
「ルールはこの道の駅から愛ヶ浜公園まで、片側一車線を使った先行後追い。勝敗の条件は、俺が二勝すれば俺の勝ち。そっちは、どちらかが一勝すればそっちの勝ち。いいかな?」
夜も更けた頃。愛ヶ浜公園から五キロほど離れた道の駅では、カズヤによるルール説明が行われていた。
「とりあえず、あんたの鼻っ柱をへし折ってやるから、覚悟してね。」
アイリが笑顔で中指を立てて言う。
「こらこら。・・・まあ、今回の件は僕も正直、頭に来てるから、全力でやらせてもらうよ。」
中指を立てるアイリの腕を、上から押さえるようにして下ろさせ、芳文が言う。
「ああ・・・正直、今回の件に関しては、俺も申し訳ないことをしたと思ってる。・・・でも、こうでもしないと踏ん切りがつかなかったから・・・ごめん。」
カズヤが申し訳なさそうに目を伏せる。
「・・・わかった。この際、勝敗は無しにしようか。」
息を吐いてアイリが提案する。
「え?」
芳文が驚いてアイリに顔を向ける。
「多分だけど、あんたが望んでるのは、復縁じゃなくて前進だと思う。それなら、もう勝敗は関係ない。だから、これを機会に前に進みなよ。カズヤ。」
アイリがカズヤをまっすぐ見つめて言う。
「・・・ありがとう。」
カズヤの表情が少し柔らかくなる。
「じゃあ、始めようか。芳文君、スタートコールお願い。」
「任せろ。」
アイリとカズヤがそれぞれの愛車に乗り込み、エンジンを始動する。そして、レガシィ、エボ5の順にスタート位置である駐車場入り口につく。
「カウント行くよー!五!四!三!二!一!スタート!!」
芳文の合図とともにレガシィとエボ5が、道の駅から表海街道に飛び出していく。
山と海に挟まれた表海街道の、連続するコーナーを走り抜けるレガシィとエボ5。
「どうにかついていけてはいるけど・・・。」
渋い顔で呟くアイリ。
前を走るレガシィのテールランプは一見、付かず離れずの距離を保っているように見えるが、その差はじわじわと確実に開いていた。
「ふう・・・。」
アイリとカズヤが熱戦を繰り広げている頃。道の駅では、芳文がまったりとペットボトルのお茶を飲んでいた。
「ん?」
道の駅の前を赤色灯を回したパトカーが、愛ヶ浜公園の方向に向かって走っていく。
「・・・これちょっとマズくね?」
少し考えてそう呟いた芳文が、スマートフォンを取り出す。
「そろそろオーバーホールが必要かもな・・・ん?なんだ?」
まどかと会話をしていた陸斗が、振動するスマートフォンをポケットから取り出す。
「どうした?・・・ああ。・・・わかった。ありがとう。」
電話に出た陸斗が数回返事をし、電話を切る。
「どうしたんです?」
「芳文からだ。警察がこっちに来てるらしい。アイリさんが来たらすぐに移動するぞ。」
「わかりました。」
「ヤバイな・・・このままじゃ負ける。」
アイリが先程より、さらに前を走っているレガシィを見て呟く。
「振り向いてくれなくてもいい。俺はただ、先に進みたい。」
見通しの悪い道の先を睨みながら、カズヤは漫画のような台詞を口にすると、ルームミラーに映り込む
頻度が減ってきたエボ5を確認するため、ミラーをチラ見する。
そして、視線を前に戻すと、一匹の猫が道路を横切っていた。
「うわぁ!」
カズヤが驚いてブレーキを踏む。
「うわ・・・!あぶな・・・!」
レガシィの急ブレーキと、道路を横切る猫を見て、アイリの口から言葉がもれる。
「お先に失礼。」
そして、その隙を突いてレガシィの横を通過し、ゴールの愛ヶ浜公園の駐車場に飛び込む。
「アイリさんに伝えろ!」
「はい!」
公園駐車場に入ってきたエボ5とレガシィに、陸斗とまどかが走り、移動を促す。
そして、駐車場を出て行く二台の排気音を背に、二人はFDに乗り込み、駐車場を後にする。
「それで、バトルはどうなったの?」
公園から十キロほど離れた市街地のコンビニ駐車場で、電話をするアイリに、電話の向こうにいる芳文が聞く。
「勿論勝った。」
「おめでとう。それで、カズヤと陸斗達は?」
「途中ではぐれたけど、多分、大丈夫でしょ。」
「なら良いんだけど・・・合流しようか?」
「いや、もうこのまま解散でいいよ。」
「そうかい?じゃあ、僕はこのまま帰るけど、帰り気をつけてね。」
「うん。芳文君もね。じゃあ、明日、仕事で。」
「じゃあ、おやすみ。」
電話を切ったアイリは、ナビシートにスマートフォンを放り投げると、ドリンクホルダーに置かれた飲みかけの缶コーヒーを一気に飲み干した。
「さて、帰るか。」




