第37話 「歪の杯 4/6」
ジーノの魔法攻撃がやんだ代わりに今度は銃声が鳴り響く中、エースはケイの医療鞄の中から輸血袋と器具を取り出していた。
ずいぶん昔──ミュアーが怪我をしたときのことを思い出しながら、彼は支柱を立ててフックに袋を掛け、準備を進める。
ノーラの手を握るソラが遠慮がちにケイに問うた。
「あの、ケイ先生。輸血するって言ってますけど、血液型とかは大丈夫なんですよね?」
「ああ。私の血液型は三型陰性だ。できれば同じ型がいいことは分かっているが、緊急だからな」
「この輸血パック、もしかして先生の血なんですか?」
「こんなこともあろうかと普段から貯金ならぬ貯血をしてるんだ。保存状態や使用期間にも気を使っている。安心したまえ」
「そうですか──、あれ? さっきオーマイナスって……?」
「悪い、キミの疑問に答えるのは後でいいかな。今は治療に専念したい」
「は、はい。分かりました」
そうこう話をしている間にエースは器具の準備を終え、あとは針を刺すだけの段階となった。
彼はソラにすがりつくノーラの片手をやんわりと引き離して、キャップを取った針をその腕に素早く刺す。赤い袋から延びる管の先には小さなレバーがついていて、その向きを変えると袋の中の血液がノーラの血管へと流れ込んでいった。
ノーラがソラの手を握る力を強くする。
「ノーラさん、大丈夫です。治療が終わるまでここにいます」
「しに、たく……な……い……」
「ばっ、馬鹿言わないでください。そんなことにはなりませんって。あと少しだから、頑張りましょ。大丈夫、ケイ先生はいいお医者さんです」
「わ……、わか……」
「何です?」
「分かって、る。わ……」
「それなら尚更ですよ。心配なんていらないんです」
ソラはノーラの額に浮かぶ汗を拭い、少しでも安心できるように頭を撫でた。
そこに背後から爆音とともに土煙が押し寄せる。舞い上がった砂の雨はソラたちのいる場所にも降り注いだが、ケイが張っていたガラス質の盾のおかげでそれを被るようなことはなかった。
ケイは患部から目を離さず、しかし舌打ちをしてぼやいた。
「もう少し静かにやってくれとは思うが、それも無理な話か。あのナナシとかいう男、どうにも特殊な魔法を使うらしい……」
「師匠でもあの魔法がどういうものか分からないんですか?」
「私にも分からんことはあるさ」
何か対抗できる手段があればいいのだが。
ケイのその言葉を聞いて、ソラは一度ノーラから視線を外し、背後を振り返る。そこでは攻撃を再開したジーノと騎士が一時的な共同戦線を張り、ナナシたちを足止めしていた。
連続する魔法の使用でジーノの息には疲労が滲んでいた。その隣で銃を撃つセナも、かなり魔力を消耗しているようだった。
ロカルシュの姿はいつの間にか見えなくなっていた。
「ええい! 何だってんだあの魔法は! あの魔力はっ!!」
「知りませんよそんなこと! 無駄口叩いてないで早くあの盾を砕いてください!」
「簡単に言うなっての!」
セナはできる限りの早撃ちで二発、三発と立て続けに銃弾を放ち、初弾が命中した箇所に集中して銃撃を浴びせていた。
そして何発目かの段階で盾にひび割れが広がったのを見ると、彼はすかさずそこを目がけて引き金を絞る──のだが、ジョンが盾を修復するスピードはセナの次弾発射までのコンマ数秒を上回っていた。
ほとんど脊髄反射のような体での修復速度にはセナも舌を巻いた。
しかも魔鉱石を使わず自力で魔力を魔法に変換していると知ったなら、それこそ巻いた舌を飲み込んでしまうほど驚いたことだろう。
「クソ! こんなことなら趣味じゃないとか馬鹿なこと言ってないで連射機能をつけときゃよかったぜ!」
そうして盾の破壊に集中していたセナの頭上に、突如としてナナシの攻撃が降ってくる。複数の光刃が宙を舞う中、その一本がジーノの弾幕を躱して、ナナシの愛し子をいじめる悪餓鬼へと向かったのだった。
ここで戦力を失うわけにいかないジーノはそれを見逃さなかった。
彼女は杖の先を自分に向かってくる刃に向けたまま、視線もナナシから逸らすことなく、空いた方の手を振り上げてセナに迫る攻撃を防いだ。
ジーノの強大な魔法で強化した礫の攻撃を受け、矛先を変えた閃光がセナの足下に突き刺さる。
「貴方は自分の面倒も見られないのですか!?」
「うっせー! 誰も頼んでねぇよ!」
「ハイ? 何ですって? ありがとうございます?」
「誰が言うか!」
それでもまだ口論をする余裕はあると見ていいのか。とにかく反りが合わないこの二人は、手の代わりに口を戦わせることで不本意を発散していた。
その舌戦の間にキテレツな声が上がる。
「あーあ、疲れた。ジョン、ちょっと休憩しようぜ」
「きゅうけいして、だいじょうぶ?」
「大丈夫! 向こうさん何やったって無駄なんだから。ジョンの防御は完璧だし、僕の魔法は特別。負けっこねぇって」
ナナシは鞭を振る手を止め、呑気にそんなことを言った。
「ななしは、せいじん。だからねー」
「そ。何を隠そう僕は聖人なんだから! なっ!!」
せいじん、成人。二十歳以上なのは見れば分かる。セナは胸の内でそう突っ込みを入れるが、彼はその実、二人が言う「せいじん」が何を指すのか分かっていた。
「──馬鹿野郎! お前みたいな聖人がいてたまるか!」
「だって何か変な石持ったら白く光って、オトーサンもそれ見て僕のことを聖人だって言ったんだぜ?」
「ありえねぇ! 聖人がクソ野郎で魔女がまともだなんて……!!」
セナは背負っていた狙撃銃を一秒もしないうちに構え、瞬間で出せる最大の魔力で銃弾を撃ち出した。
先が鋭く尖った弾頭は勢いよくジョンの盾にぶつかり……、
「わ~、こわぁい!」
少女は砕け散った弾を指さしながらケタケタと笑う。
それを見ていたナナシも大爆笑で腹を抱えていた。
「ハハハハッ! ウケるわ~!! いい加減諦めろよ。ジョンにだって敵わない奴が僕の上位魔法に勝てるワケないんだからさ!」
「上位魔法だァ!?」
「そ。僕の魔法は格別ってね、オトーサンが教えてくれたんだ。えーっと、何だっけ? 四属を上回る? 打ち破る魔力、だっけか?」
「ひかりとかげの、にぞく。は、ちすいかふう──しぞくの、じょういごかん」
「それそれ。とにかく格が違うんだよ」
ナナシは乗馬鞭で肩を打ち、得意げに笑みを浮かべた。
「格だって? そういや魔女もそんなこと言って……おい妹! お前、もしかしてこの魔法のこと知って……!?」
それというのも、壁の外でソラが切った大見得のことだ。
「あんなのハッタリに決まってるじゃないですか」
セナは半眼になって、しれっと言うジーノを睨みつける。その直後、何かをひらめいたようにして小声で話しかけた。
「あの魔女、魔法は使えるのか?」
「……いいえ」
「チッ! 役に立たねぇ女だな」
「あらまぁ、貴方。いっそ燃やして差し上げましょうか? 口には気をつけた方がよろしいですよ。だいたい、あの方は魔法の概念がない世界からおいでになったのです。使い方を知らなくて当然でしょう」
「なら何であのクソ野郎は使えてんだよ?」
「それは──」
「それはぼくが、ななしのまりょくをちょっちょいちょいっと、いじって。つかいかたをおしえてあげた、からです! えっへん」
歯を剥いて視線で火花を散らせるジーノとセナはそろってジョンの方を振り向いた。
「他人の魔力をいじった、だと? んな馬鹿なこと──」
「ぼくのずのう。を、もってすれば、ぞうさもないこと。なのです」
彼女は長い袖から覗かせた指でピースサインを作る。その隣では、ナナシが肩をぐるりと回したり、その場で飛び上がったりして、体の調子を整えていた。
「さーてと。無駄話はこのくらいにして、そろそろボコり合い殺し合いの再開といこうぜ。僕たちは何が何でもあのオバサンをブッ殺さないといけないんだし、さっさとそこを退いてもらわなきゃな」
ナナシが乗馬鞭を振り下ろすと、その先端から再び光の刃が現れた。
ジーノとセナは示し合わせたように表情を曇らせた。
──と、そこに間延びした声が届く。
「セナー! 援軍えんぐーん! 呼んできたよー!!」
「よくやったロッカ!!」
ロカルシュは手を貸してくれる騎士を探し回っていたため、今までこの場にいなかったのだ。
煤けた顔の騎士たちは明らかな敵意を持ってナナシたちに相対した。何とか焼かれずに残っていた建物の上から狙う銃口もあって、これならあの二人もさすがに太刀打ちできまい……などという楽観的な考えを、セナはすぐさま改めねばならなかった。
ナナシたちはそれでも余裕綽々といった様子で薄っぺらな表情を浮かべていた。
その自信が、どことなく恐ろしい。
「おい、妹」
「はい?」
「アンタはいったん下がってろ」
「何ですって?」
「このままじゃジリ貧なんだよ。あいつらの相手はこっちに任せて、今のうちに休んで……じゃねぇ! つーかアンタのお兄様な、あいつは頭が良さそうだ。分かってること伝えて知恵でも何でも借りて来い」
事はそう簡単に収まりそうにない。セナはジーノの前に立って、振り返らずにそう言った。
「……仕方ありません。ここは任せましたよ」
「任されてやらぁ。さっさと行きやがれ」
セナには暗に頭が悪いと言われたようなものだが、ジーノは今、この状況下でそこに腹を立てるような愚か者ではない。
彼女はセナの背中を数秒見つめて、ノーラの治療に当たっているエースの元へと走った。




