第36話 「歪の杯 3/6」
「くそ! どうなってやがる……!?」
セナとロカルシュはあちこちで立ち上る黒煙の間から、教会の十字架を目指していた。
彼らは氷柱に乗って壁を越えていったソラたちを口惜しい思いで見送った後、最初の爆発が起こった門へと向かった。そこで聞いたのは、黒髪の男と白髪の子どもがノーラの子を名乗って現れたということだった。
門の警備に当たっていた騎士は二人の言っていることが理解できず、たまたま外に出るため門を通りかかった魔法院の学者を引き留めて話を聞いたと言う。
学者は二人の問いに対し、「博士に子どもはいない」と答えた。途端、二人は激高し周囲の人間を手当たり次第に吹き飛ばし、燃え上がる感情と同じ色の炎をまき散らした。
「──セナ! 乗って!」
ロカルシュは住民の避難を手伝うため外の森からありとあらゆる動物を呼び寄せ、都に駐在する騎士の一人一人に着き従わせた。彼はその中から機動力に優れ、特別に勇気のある狼を二頭選んで自分の元に呼び、その背にまたがった。
セナもロカルシュに言われたとおりに狼の背に乗り、腕を首筋に回し足で胴を挟んで、急速に速度を上げて走り出した彼らに振り落とされないようぴったりと体をくっつけた。
人々の悲鳴と、建物が焼けて崩れる音。
赤黒く燃える空に鳴り響く警鐘。
狼はその乱雑の中を鋭い息づかいで切り分け走っていく。向かうは都の教会──狂乱の根元が向かったと思われるその場所へ。
焼けた地面を飛び越え、倒れる木々の下を足早にすり抜け、舞い上がる火の粉に自慢の毛並みを焦がしても、勇敢なる狼たちは二人の騎士を目的の地点へと送り届けた。
二頭は教会の手前まで来て体勢を横向きに変え、それまでの勢いを殺した。そしてセナとロカルシュを振り落とすようにして下ろすと、来た道を同じだけの速度で戻っていった。ロカルシュは地面を数回転がり、セナは空中で体をひねって足から着地した。立ち上がった二人はそのまま礼拝堂の方へと走る。
煙の先に見えてきたのは黒髪の男と白髪の子どもの背中だった。その向こうには焦りを滲ませた表情で杖を構える金髪の女と、地面に倒れた人物の手を握る黒髪の魔女の姿があった。
「あのクソ魔女──!?」
「待ってセナ! ちゃんと状況を見て!!」
この騒ぎを起こした張本人たちを無視してソラに突っかかっていこうとするセナを、ロカルシュが引き留める。
次の瞬間、セナが踏み出そうとした場所にがれきの一部がすさまじい速度で落ちてきて、大穴を開けた。
それはジーノがめったやたらに打ちまくっている魔法の一部だったが、セナの方に攻撃が飛び火したのは意図してのことではない。セナは自分たちの周辺に盾を展開し、ジーノの攻撃が向かう先に目をやる。
そこにいるのは子連れの男だった。
彼は手に握った乗馬鞭の先から細い光の刃を次々と放ち、ジーノの攻撃に当てて打ち消していた。彼が仕留めきれなかった魔法の断片は隣の子どもが盾を張り巡らせて阻んでいた。
「あの男……あんな軽い魔法で金髪女の攻撃を凌いでるってのか?」
それどころか、どういったわけか男の放つ閃光はジーノの盾に接触するとそれを溶かして無効化しているようなのだ。
いくら魔力を注ごうとも守りが役に立たない。ありったけの魔力を込めた魔法も歯が立たない。だから彼女は盾をなおざりにし、魔法で強化した「物質」を相手の攻撃に当て、その魔法を相殺しているのだった。
そこでセナの頭に一つの疑問が浮かんだ。
「あいつ、何で盾の内側で魔法を使えてるんだ?」
男は子どもが隙間なく編んだ盾の内側で鞭を振っているのだ。
内外の魔力を遮断するはずの、その内側から。
「何だよ? いったいどうなってんだ!?」
理解できない魔法を前に、セナは自然と眼球を裏返していた。そして、明らかに異質な魔力を目撃する。
いくつもの痕跡が重なって縦横無尽に流れを描く中であっても、見間違えようがないその形。角を生やした歪な多面体。
気味の悪い形状を前に、セナは息を呑む。
「──ノーラ!! あと少しだ! 頑張れ!!」
セナは聞いたことのない声が渦中の名を呼ぶのを聞いて、「眼」を元に戻した。意識を正体不明の二人組に向けたまま、声がした方向へ視線だけを動かした。
溢れ出た血を吸って黒く変色している地面の上に、女が一人横たわっている。
「そうですよ! あと少しです! 頑張って!!」
ノーラの手を握るソラの姿。その横顔には心底相手を心配し、勇気付けようという思いやりが見て取れた。
「エース、私の鞄は見つかったか!?」
「はい! すぐに輸血の準備に入ります!」
「準備ができ次第始めてくれ。慌てず正確に、いつも通りやるんだぞ」
ノーラは壮年の女の治療を受けて、何とか一命を取り留めている。今はようやく出血が収まってきたところだが、傷口は未だ開いたままで、激痛が続いているようだった。麻酔行為に魔力を割いている余裕がないのだろう。
絶え絶えに呻くノーラを、ソラが必死に励ましていた。
「大丈夫、出血はもう止まりますから! そうなったらあとは、あとは傷口を塞ぐだけです!」
「そうだぞノーラ! こんなの私の手に掛かればすぐに終わる。あっという間さ。だから頑張れ……!」
嘘でも、根拠のない励ましでも、ソラはノーラが生きる希望を失わないためなら何でも言った。
その様子を見たセナは驚きを隠せずにいた。
「何で、魔女があんなことを? まさかアイツ──!?」
「もうっ、セナってばぁ!」
ロカルシュは早合点しようとするセナの肩を力一杯に掴んだ。
「さっき魔女さんに言われたでしょ! ちゃんと自分で考えようよ!」
自分が見たものさえも否定し始めるようなら、ロカルシュはセナをひっぱたくつもりでいた。
「私、セナが子どもでも大人でも、自分勝手でも何でも気にしないけど、卑怯なのは好きじゃない! そういうのは好きじゃないよぉ」
初めのうちは強かった口調も、最後の方になると尻すぼまりだった。
「そんなのセナじゃない」
魔法が炸裂する騒音の中、振り返ってロカルシュの目を見つめるセナの耳に、ノーラの細い声が届く。
「行かないで……。一人に、しないで……」
「はい、はい。ずっとここに! 何があっても、絶対に貴方を一人にしたりしませんから。大丈夫。大丈夫ですよ!」
耳元で聞こえたソラの言葉は誠実そのものだった。自分が善き者であることを示そうとして言っているのではない。最初はそうだったかもしれないが、今はもう、彼女は本心からノーラに助かってほしいと思っていた。
それがセナには分かってしまった。
「──ああもう! 分かったよアンタの言うとおりだよ!! チクショウ! 魔女の言いなりになるのは癪だが今はガキになってる場合じゃねぇ!!」
彼はホルスターから拳銃を抜くと、こちらに背を向けている例の二人に向かって引き金を絞った。
彼らの注意を引いておいて、セナは叫んだ。
「おい! フラン博士を殺したのはテメェらか!?」
「フラン?」
黒髪の男は鞭を振るのをやめ、セナたちを振り返ったかと思うと、首を傾げてその名を聞き返した。
ジーノはそこに攻撃を加えようとするが、それに対しロカルシュが身振り手振りでやめるよう言った。彼の意図を察したジーノは杖を下ろさないまでも、なかなかに消耗した魔力を回復しようといったん手を休めた。
「ふらんって、だぁれ?」
「しらばっくれるな! 屋敷の人間ともども皆殺しにしただろうが!!」
「えー? マジで知らないんだけど。ジョンは知ってるか?」
「ななしがしらないの、ぼく、しりません」
「だよなぁ。うーん? フラン、ふらん。腐乱するといえば死体だけど……ん? もしかしてオトーサンのこと?」
「あ! そういえば、ろんぶんに、ふらん。なまえかいてあった!」
場違いなほどに明るい調子で話す子どもを前に、セナは背中を這い上がる寒気を耐えて話を続けた。
「間違いようがない。お前らの魔力はあの屋敷に残されていたのと同じだ。言い逃れはできないぞ!」
「あっそ。何だか知らねぇけど、オトーサンってやっぱ死んだんだ?」
「やっぱりも何もお前らが手を下したんだろうが!」
「てをくだした、は。まちがい。ぼくたちがねるとき、しくしくうるさかった。まだいきていたのよ」
「朝方には静かになってたけどな~。だから正確に言えば僕たちはオトーサンを殺しちゃいない」
「しけい。せんこくをしただけ」
「そんでポイッと捨てておいたら勝手に死んじゃった? ワケなんだわ」
底知れぬ泥沼の目を弓なりにして男は笑う。
「残念。運がなかったんだよ」
無責任で無慈悲。
あまりにも身勝手なことを言っているのに、彼の様子はまるで平静そのもので、ともすると「そうなのか、じゃあ仕方がないな」と許してしまいたくなる妙な雰囲気があった。
セナは頭を振ってその答えを意識の外に追い出す。
「お前ら頭おかしいんじゃないのか……!?」
「ハァ? 失礼なガキだな。僕もジョンも正常だっての」
救いようがない。
救う意味もない。
この二人はごく自然に外道なのだ。セナはそう結論を出して彼らに銃口を向けた。




