第8話 ドワーフの誇りと、鉄のハンマー
王都の周縁部、巨大な煙突から絶え間なく黒煙を吐き出している一画がある。
そこはフェザーン王国の技術開発と建築の心臓部であり、建設大臣バルガンが取り仕切る国営の大工房であった。
出立を明日に控えた昼下がり。
むせ返るような熱気と、油と鉄の焦げる匂いが充満する工房の最奥で、鼓膜を震わせるような重く甲高い金属音が規則正しく響き渡っていた。
「まだまだっ! 叩き込みが浅いぞ、ベリア! 手首のスナップだけで誤魔化そうとするな、腰から腕、そしてハンマーの先まで、一直線に力を叩き込め!」
「わかってるよ、親方! 怒鳴らなくたって聞こえてるっての!」
灼熱の炉の前に立ち、自身の背丈ほどもある巨大なハンマーを振り下ろしているのは、ドワーフの女性戦士ベリアだった。
額から滝のように汗を流し、火の粉を全身に浴びながら、彼女は金床に乗せた自身の武器――高純度のミスリル鉱石を圧縮して打ち上げた『特製ミスリルハンマー』の最終調整を行っていた。
ガァァァンッ!
ハンマーが金床に振り下ろされるたび、工房全体が地震のように揺れる。
魔法による武器の精製など、生粋の鍛冶師であるドワーフたちにとっては邪道中の邪道だ。大地の底から掘り出した鉱石を溶かし、自らの汗と血と筋肉で叩き上げ、魂を込めて形にする。それこそが、彼らドワーフ族が誇る絶対的なものづくりの哲学であった。
「そこだ! 今の角度を忘れるな」
腕組みをして厳しく指導していたバルガンが、満足げに短く頷いた。
ベリアは大きく息を吐き出し、ハンマーを金床から下ろして肩に担いだ。分厚い布で顔の汗を乱暴に拭う。
「ふう……。どうだい、親方。重心のブレは完全に消えたはずだ。これなら、魔界軍の分厚い装甲だろうが、城の城門だろうが、紙屑みたいにひしゃげさせてやれるよ」
「威勢がいいのは結構だが、調子に乗って味方まで巻き込むなよ。お前のそのハンマーは、破壊力に特化しすぎている。シオンの坊主やアベルの動きをよく見て、連携を崩さないように振るんだな」
口うるさく小言を言うバルガンだったが、その目はベリアの鍛え上げられた筋肉と、完璧な仕上がりを見せるハンマーを前に、確かな信頼と誇らしさで細められていた。
「わかってるさ。あたしは突撃は好きだけど、馬鹿じゃない。アベルの奴が困っていたら、一番に道を切り開いてやるのがあたしの役目だ」
ベリアは豪快に笑い、近くの樽から柄杓で水をすくって一気に飲み干した。
バルガンはそんな弟子の姿を黙って見つめていた。ドワーフ族は長命であり、四十歳前後のベリアは人間で言えばまだ十代後半の若者だ。しかし、彼女の内に秘められた戦士としての度胸と、金属の声を聴き分ける鍛冶師としての才能は、かつて伝説と呼ばれたバルガン自身をも凌駕する可能性を秘めていた。
「……ベリア。ついてこい。お前に見せておくものがある」
バルガンは不意に声を落とすと、工房のさらに奥、厳重な金属の扉で閉ざされた特別格納庫へと歩き出した。
ベリアがハンマーを置いてその後を追う。分厚い扉のロックが重々しい音を立てて解除され、中に入ると、そこには巨大な防水布を被せられた、小山のような物体が鎮座していた。
「これは……」
「今回の旅の要となる、俺の最高傑作だ。布をめくってみろ」
言われるがまま、ベリアが防水布の端を掴んで勢いよく引き剥がす。
現れたのは、無骨でありながらも、究極の機能美を備えた巨大な車両だった。
分厚いミスリル合金の装甲で覆われた車体。荒野の悪路を走破するための巨大で特殊な車輪。そして、車体の下部と後方に組み込まれた、水上航行用の推進機関。
馬などの牽引獣を必要とせず、内部の魔力炉から動力を得る、バルガンの技術の結晶――『装甲付き水陸両用魔導馬車』であった。
「すげえ……。設計図はチラッと見たことがあったけど、実物はこんなにデカくて、こんなに美しいのか……」
ベリアは鍛冶師としての本能を刺激され、食い入るように車体の装甲やジョイント部分を撫でた。隙間なく噛み合う歯車、衝撃を吸収する極太のサスペンション。どこを見ても、一切の妥協がない。
「いいか、ベリア。大魔王の軍勢は、俺たちが想像する以上の軍事技術を持っている。空を飛ぶ飛空艇は、奴らの強力な対空魔法の的になり、蜂の巣にされるだけだ。だからこそ、この地上を這い、海を渡り、どんな悪路でも突破できるこいつが必要になる」
バルガンは車体をバンと叩き、極めて真剣な表情でベリアを振り返った。
「戦場において、こいつはお前たちの『足』であり、唯一の『家』であり、絶対的な『盾』となる。もしこいつが荒野のど真ん中で故障して動けなくなれば、お前たちは魔物の群れに囲まれて全滅する。それだけ重要な機体だ」
「親方……」
「出発前夜の今、俺はこの機体の整備とメンテナンスの全権を、お前に託す」
バルガンは腰の工具袋から、鈍く光る分厚いミスリル製のマスターレンチを取り出し、ベリアの前に差し出した。
それは、バルガンの工房において「最高責任者」を意味する、ドワーフの魂とも言える証だった。
「俺が同行してやりたいのは山々だが、俺は王都の防衛設備を強化しなければならねえ。だから、お前が俺の代わりだ。道中、エンジンから微かな異音がしたらすぐに対処しろ。装甲が傷ついたら、お前のハンマーと知恵で叩き直せ。機械の悲鳴を聞き逃すな」
差し出された重いレンチを見つめ、ベリアはごくりと唾を飲み込んだ。
自分が任されたのは、ただハンマーを振り回して敵を殴ることだけではない。この最強の機体を守り抜き、仲間たちを安全に生きて帰らせるという、途方もなく重要な任務だったのだ。
それは、尊敬する師匠から一人の独立した職人として、そして戦士として完全に認められた瞬間でもあった。
「……あたしで、いいのかい。親方の最高傑作を、あたしなんかに」
「馬鹿野郎。俺の技を一番近くで盗んできたのはどこのどいつだ。お前以外の誰に、この複雑な歯車の噛み合わせが理解できるってんだ」
バルガンは不敵に笑い、レンチを持った手をさらに前に突き出した。
「俺の最高傑作を、お前の手で守り抜け。お前なら絶対にできる。ドワーフの誇りにかけてな」
ベリアの瞳に、熱いものが込み上げてきた。
ドワーフにとって、師匠からのこの上ない信頼の言葉。それはどんな高価な宝石よりも、どんな強力な魔法よりも価値があるものだった。
「……任せな、親方」
ベリアは両手でしっかりと、その重いマスターレンチを受け取った。
金属の冷たい感触が、手のひらから全身へと伝わり、覚悟という名の炎となって心を熱くする。
「この機体に指一本触れさせない。あたしのハンマーと、親方から叩き込まれたこの腕で、絶対にアベルたちを最後まで運んでみせる。……ドワーフの誇りにかけて!」
ベリアはレンチを高く掲げ、涙混じりの豪快な笑い声を格納庫に響かせた。
バルガンもまた、満足そうに腕を組み、愛弟子の頼もしい姿を力強く頷きながら見つめていた。
魔法の才能に恵まれた天才もいれば、人を惹きつける優しさを持つ若者もいる。
しかし、激しい戦場を生き抜くためには、泥臭く鉄を叩き、油にまみれて機械を直す、強靭な職人の力が必要不可欠なのだ。
破壊のためのミスリルハンマーと、守護のためのマスターレンチ。
二つの重い鉄を託されたドワーフの女戦士は、過酷な旅路への不安を微塵も感じさせることなく、ただ燃えたぎる闘志と共に明日の出立を待ちわびていた。




