第10話 伝説の鍛冶師と『フェザーンのナイフ』
王都の喧騒から遠く離れた、入り組んだ裏路地の一角。
華やかな表通りとは打って変わり、この辺りには古くからフェザーン王国を影で支えてきた職人たちの工房がひっそりと軒を連ねている。
出立の前夜。特命部隊のリーダーとしての重圧と、自身の力不足への不安に押し潰されそうになっていたアベルは、夜の闇に紛れるようにして、とある古びた工房の重い木の扉を叩いた。
「……開いてるぜ、入れ」
中から響いてきたのは、地鳴りのような低くしゃがれた声だった。
アベルが軋む扉を押し開けて地下への階段を下りると、そこにはむせ返るような熱気と、むき出しの鉄が焼ける匂いが充満していた。
赤々と燃え盛る巨大な炉の前にあぐらをかいて座っていたのは、頭に鋭い角を持ち、全身に無数の傷跡が刻まれた筋骨隆々たる魔族の男。
かつて魔王の専属鍛冶師でありながら、ヴァンの生き様に惚れ込み、伝説の武器を打ち上げた幻の刀鍛冶、ガルドである。
「来ると思っていたぜ、アベル坊主。親父さんから話は聞いている。明日、魔界討伐の特命部隊として王都を立つそうだな」
ガルドは立ち上がり、炉の火を落としながらニヤリと牙を見せて笑った。
バルガンとはまた違う、静かで底知れない凄みを持つ職人の顔。アベルは緊張しながら深く頭を下げた。
「夜分遅くにすみません、ガルドさん。……父さんから、ここへ行けと言われて」
「ああ。お前が物心ついた頃から、ヴァンの旦那に極秘で頼まれていたもんがあってな。いつかお前が、親の影から抜け出して自分の足で戦場に立つ日が来たら渡してやってくれ、とな」
ガルドは作業台の奥から、使い込まれた厚手の革に包まれた細長い物体を取り出し、アベルに向かって無造作に放り投げた。
アベルが慌てて受け取ると、見た目に反して驚くほど軽い。革の紐を解き、中身を露わにしたアベルは、思わず小さく息を呑んだ。
「これは……ミスリルの、ナイフですか」
そこにあったのは、刃渡り三十センチほどの、装飾の一切ない純白のミスリルナイフだった。
刀身は極めて澄んだ最高純度のミスリルで打たれており、柄の部分には奇妙な幾何学模様が刻まれている。美術品のような美しさだが、父の振るっていた巨大な大剣に比べると、あまりにも小さく、頼りなく見えた。
「そうだ。名を『フェザーンのナイフ』という」
ガルドは腕を組み、怪訝な顔をするアベルを見据えて静かに語り始めた。
「いいか、アベル。大前提として勘違いするなよ。お前の母親であるセリア様は、世界最強の召喚師だが、治癒魔法や攻撃魔法といった一般的な魔法は一切使えない。できるのは他者の肉体に魂を降ろす同化召喚だけだ。その血を引くお前も、シオンの坊主も、純粋な魔法攻撃はできない。お前自身の手から何もない空間へ魔力で武器を精製したり、炎を遠距離から飛ばしたりすることは絶対にできないんだ。お前が戦場で敵を斬り裂くのは、あくまでその手に握った物理的な武器だけだ」
アベルは真剣な顔で頷いた。純粋な攻撃魔法が使えないこと、それこそが、自分の戦い方の限界を生んでいると悩んでいたからだ。
「だがな。お前にはセリア様から受け継いだ最大の武器である、同化召喚がある。シオンの坊主のように召喚獣を独立させて戦わせながら自身は剣を振るう連携とも違う。お前は、己の肉体そのものに力を降ろすんだ。……そこで、そのミスリルのナイフの出番ってわけだ」
ガルドがナイフの刀身を太い指先で弾くと、キィン、と修練場の空気を浄化するような澄んだ音が響き渡った。
「かつて俺が親父さんに打った大剣は、肉体に同化させた神々の力に呼応してその形を変えた。このナイフも、根幹の仕組みはそれと全く同じだ。お前が自身の肉体に中級の魔獣を同化させる。すると、お前の肉体を巡る魔力波長と野生の特性に、このナイフに練り込まれた特殊なミスリル合金が共鳴するんだ。魔法で新しい武器を作り出すんじゃない。お前の肉体に宿った力に呼応して、その物理的なナイフそのものが、最適な形状へと変幻自在に姿を変える」
ガルドの解説を聞き、アベルの目が大きく見開かれた。
自身の肉体に同化させた力に、物理的な武器が呼応する。
「たとえば、疾風の魔獣をお前の肉体に同化させれば、お前自身の機動力が跳ね上がり、それに合わせてナイフは風の刃を纏った短槍や流線型の曲刀へと物理的に変形する。炎の魔獣を肉体に同化させれば、分厚い装甲を断ち切る重い炎の鉈に変わる。魔法で武器を精製するのではなく、お前が肉体に宿した力に合わせて、こいつが勝手に一番使いやすい姿に変形してくれるんだ」
「俺の肉体に宿した力に合わせて、形を変える……」
アベルはナイフの柄を強く握りしめた。
驚くほど手に馴染む。まるで自分の身体の一部、神経の延長線であるかのような錯覚すら覚えた。
「アベル。お前は自分のことを、剣も召喚術も半端な器用貧乏だと思っているようだがな、それは戦い方を間違えているだけだ」
ガルドは、アベルの心の奥底にあるコンプレックスを見透かしたように、静かで力強い言葉を紡いだ。
「痛覚があるお前は、親父さんのように上位の神々を同化させることはできない。中級の魔獣が限界だろう。だが、それは逆に言えば、肉体への負担が少なく、戦闘中に一瞬で別の魔獣へと次々に切り替えられるという最大の利点でもある。風から炎へ、炎から雷へ。己の肉体に宿す半端な召喚獣の力を、このナイフの変幻自在さで補うんだ」
ガルドの言葉が、アベルの心に分厚く立ち込めていた暗雲に、一筋の強烈な光を差し込ませた。
強大な一撃で敵を粉砕する必要はない。相手の動きや弱点に合わせて、瞬時に自身の肉体に宿す魔獣を切り替え、それに呼応して形を変えるナイフで翻弄し、急所を突く。
それこそが、父の剛剣でも、母の神霊召喚でも、天才シオンの召喚獣との連携剣術でもない、アベル・アッシュクロフトだけが到達できる独自の戦闘スタイル。
「一つの形にとらわれるな、アベル。状況に合わせて千変万化の戦い方をしろ。その半端さこそが、お前の最大の武器だ」
「ガルドさん……」
アベルは手の中の純白のナイフを、もう一度しっかりと握り直した。
昨日の修練場では、いくら肉体に魔獣を同化させてもこれまでの通常のナイフでは威力が伝わりきらず、木人ダミーを壊しきることができなかった。
しかし、このミスリル製の『フェザーンのナイフ』なら。自分の肉体に宿した熱と風と雷を、余すことなく刃の形状変化へと繋げてくれる。
「ありがとうございます、ガルドさん。俺、このナイフと一緒に戦ってみます」
アベルの瞳から、それまで抱いていた迷いや劣等感の色が薄れ、代わりに次世代の戦士としての確かな希望の光が宿っていた。
その顔つきの変化を見て、ガルドは満足そうに大きく頷き、太い腕でアベルの背中をバンと叩いた。
「へっ、ようやく親父さんに似た、いい面構えになってきやがった。大魔王の軍勢だろうが何だろうが、お前のその半端で変幻自在な刃で、魔界の奴らを引っ掻き回してこい」
伝説の鍛冶師から受け取った、軽くて、変幻自在な一本のミスリルナイフ。
それはアベルにとって、ただの強力な武器というだけでなく、自身の抱えるコンプレックスを肯定し、強さへと昇華させてくれる唯一無二の相棒との出会いであった。




