1-1 唐突で不可解な縁談
……やっぱり血塗れはなかったな、と、エルフリーデは後悔した。
縁談の初の顔合わせとなった本日。荘厳な室内には、彼女から放たれる血の匂いが充満。これでは、せっかく提供された王家ご用達の高級紅茶も意味をなさない。こんな、血なまぐさい匂いの中では、どんなに素晴らしい香りも消し飛んでしまう。
彼女は一見冷静にすごしながらも、非常に居たたまれなさを感じていた。
王城のなかは、どこもかしこも美しい。大変申し訳なかった。我が身の凄惨さが。
けれども彼女だって、本当にこんな恰好でここにきていいのかと疑問に思ったのである。
──ただ、現在。
彼女のそんな疑問も、不穏な匂いも霞むような出来事が、この部屋の中で起こっているが。
「…………」
エルフリーデは、ある意味だまされたような気持ちで、自分の夫となる男を眺めていた。
(……妻でも……親でも。王太子殿下のためなら非情に切り捨てる男……と、聞いていたんだが……な?)
心の中には疑問がいっぱい。
けれども騎士団に属する者としては、どんなときも冷静でいなければならない。
彼女は表面上ではいつも通り、背筋を伸ばし、真っすぐ静かな視線を縁談相手のほうに伸ばしていた。
しかしながら……先出のとおり、その恰好はいささか不穏。
それを思い出したエルフリーデの瞳には、わずかな哀愁。
彼女が着ている騎士団の団服には、つい数時間前に浴びた魔物の返り血が点々とついている。
特に、足元がひどい……。
チラリと視線を落とすと、己のブーツには黒々とした血がベッタリと付着。
魔物の血は特に匂うし、これがなかなか落としづらい。洗濯しても十日は匂うという代物を、こんな高貴な場所に持ち込んでしまったことは、本当に悔やまれるところ。
いや、だが仕方がなかったのだ。
数日前から彼女は、王都外で魔物の討伐任務に出ていた。それなのに、急遽王太子から王城に呼び出されてしまったのである。
エルフリーデ・バルヒェット。
武の腕に自信ありの、一応子爵令嬢。父は騎士団長で、母はすでになく、現在彼女は第四騎士団の団舎住まい。
腕の立つ彼女が任務に駆り出されるのはいつものことなのだが。その直後、まさかこんな状態のまま、王太子に召喚されるとは思ってもみなかった……。
それは何やら緊急な話だったようで、彼女は着替える間もなく迎えの馬車に放り込まれた。
辛うじて、共に任務に就いていた彼女の四番目の兄が慌てて上着だけを交換してくれたが、下はそうもいかなかった……。
エルフリーデとて、本当なら清潔な格好でここに来たかった。
しかし、王太子などという大物に『なんでもいいから! 今すぐに来てほしい! お、お願いだ!』と、必死に哀願されては。しがない従騎士であるエルフリーデには拒否権など、ない。
けれどもまさか、とエルフリーデは静かに嘆息。
(……呼び出しの理由が、縁談とは……)
これにはさすがの彼女も仰天した。
困惑したエルフリーデが見つめる先。白いクロスをかけられたテーブルの向こうにいる怜悧な風貌の男が、その、彼女の縁談相手。
王太子の腹心アクスル・クヴァント。
彼はクラーブルグ侯爵の嫡男。歳は彼女より五つ上の二十六歳とのこと。
彼女には、彼と同じ年頃の兄がいるが、アクスル・クヴァントからは、その兄たちとはまったく違う印象をうけた。
兄たちは、いつでも明るい。……迷惑なほどに。
特に長兄は豪快で、思考が単純。ガサツだが、細かいことは気にしないエルフリーデとはとても気が合う。
けれども……目の前の青年は、どうにも神経が細かそう。
はじめにエルフリーデが待つこの部屋に入って来たとき、彼の表情はいかにも不機嫌そうだった。
自分を連れてきた王太子の手前、しぶしぶここに来たのだと言いたげな顔は一向に彼女を見ず。そんな彼を、ただ淡々と観察していたエルフリーデは、兄から聞いた通りのお方だなと思ったのである。
彼は王太子の筆頭補佐官。最側近と言っていい人物。
幼い頃は王太子に従者として仕え、その後補佐官となった。彼はとても優秀で、この主従の絆は非常に固いとのこと。
彼は王太子を守るためならば、どんな手段をも使い、王太子を害する者はけして許さない。敵は徹底的に排除する。
実際、彼は、彼の補佐官という立場を利用し、王太子に不当な要求をした親族を宮廷から手ひどく追い出している。
もしそれが彼自身の両親であっても、彼はきっと容赦はしなかっただろうねぇ、と、四兄から警告めいた話を聞き。エルフリーデは察する。
つまりアクスル・クヴァントが本当にそんな人物ならば、その非情な刃は、彼の妻となる予定の自分にも向く可能性が十分にあるということだ。
もちろんエルフリーデには、彼や、彼の主たる王太子と敵対するつもりはないが、これはしっかり気を引き締めなければと思った。
縁談、とはいっても、王家から与えられたのならば、この婚姻はほぼ決定しているのと同じ。
たとえそれが、もし、有事にはあっさり自分たちを切り捨てそうな男との縁談でも。
これは重々覚悟して挑まなければ、と……。
……そんな不穏な事前情報があったものだから。
当然エルフリーデは、はじめはとても警戒していたのである。
……しかし。
「あの……」
エルフリーデは怪訝なあまり、つい口を開く。
本当は、この急で不可避な縁談について、腹の探り合いをするべく、あまり余計な口はきくまいと考えていたのだが……。
だが目の前の青年のようすはあまりに変である。
普段は『人は人、自分は自分』と心得え、他人の行動にはケチをつけないたちではあるが……。つっこまずには、いられなかった……。
「……アクスル卿。いかがなさったのですか。汗がひどうございますが」
冷静に訊ねると、彼女の未来の夫アクスル・クヴァントは、ぎくりと身を揺らす。
反応を待っていると、いかにも恐る恐るといったふうに、その顔が彼女のほうへ向いた。
銀髪の下には薄く細い眉。琥珀色の切れ長のつり目。唇は薄い。
なかなか整った顔立ちだが、訊いていた通り鋭利な刃物のような印象を受ける殿方である。いかにも合理的なことが好きそうな、理性的な人格が見てとれた……はず。
もし、その顔が……平静であったのなら。
ゆっくり震えながら彼女のほうへ頭を向けたアクスル・クヴァントの瞳は、あらんかぎりに見開かれていた。そんなに力一杯開いたら、目頭と目じりが裂けてしまうのでは……? と、エルフリーデはいささか心配に。
だが、彼は彼女を視界にとらえた瞬間に、高速で視線を逸らしてしまう。
その素早さを目撃したエルフリーデは、なかなか機敏だな……と、複雑ながらも感心。
しかし、やはり挙動不審のアクスル・クヴァントからの返事はない。
彼はただ、エルフリーデから視線をそらしたまま身を折って、何事かに苦しんでいた。
ブルブル割れそうに揺れている背を見て、さすがのエルフリーデも困惑。
(……これは……いったいどういう状況なんだ……?)
縁談初心者の彼女には、さっぱりそれが分からない。
なんだか非常に不可解な縁談のはじまりであった。
お読みいただきありがとうございます。
すでに完結させている作品なので毎日更新予定。補佐官のこじらせまくった偏愛にしばしお付き合いいただけると嬉しいです(^^)




