表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AI少女の転生特典~119番を呼べなかったAIが異世界で俺を再構築する。代償は利き手、甘味、そして彼女の命~  作者: 鳴島悠希


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

75/136

第75話 世界樹の森

 声がかかったのは、朝食を終えて少し経った頃だった。


 ヴァリスの衣装が昨日と同じ白い上衣だった。カルスも連れていなかった。公務ではないことは分かった。恒一は頷き、外套を手に取った。


 城の勝手口から石段を降りると、朝の空気が冷えていた。石畳の継ぎ目に夜露が残り、日の当たらない場所はまだ湿っていた。厩の前に馬が一頭繋がれていたが、ヴァリスは手綱だけを取り、歩き出した。馬を引いていくが、乗らなかった。


 城下の西区画を通り抜けた。石畳の商店街を荷運びの男たちが行き来していた。露店がまだ設営を始めたばかりで、木箱を並べる音が朝の空気を叩いていた。金属と土埃と、どこかで焼かれている油の匂いが混じっていた。


 区画を抜けると、舗装が途切れた。土道に変わり、道の両脇の木が増えていった。城下特有の匂いが薄れ、木と土の気配が前に出た。落ち葉が踏まれて乾いた音だけが、二人の歩きを刻んでいた。


 「密室の話の後で、考えていることがあるだろう」


 ヴァリスが前を向いたまま言った。


 「あります」


 「整理する必要はない。ただ——別の場所から見ると、見えてくるものもある。それだけだ」


 それきり、二人は黙った。道がさらに細くなり、木の高さが増した。頭上の枝が重なって、空が狭くなった。鳥の声だけが、遠くで続いていた。


---


 木立の密度が変わった。


 野生の木が自分勝手に伸びているのではなく、何らかの意図に従って配置されている、という気配が出てきた。幹の太さが揃った木が等間隔で並び、下草が一定の高さで刈り整えられていた。整備された公園とも違う。手入れの痕跡がない。木が最初からその形を持つよう、育てられてきた。


 木の列が途切れたところに、建物があった。


 幹が生きたまま柱として立ち、太い枝が梁の役割を果たし、葉と板が重なった屋根が形を成していた。石でも加工した木材でもなく、生きた植物がそのまま建築の骨格になっていた。


 見るうちに、違和感が形を持ってきた。


 柱の間隔が、均等だった。梁の高さが揃っていた。屋根の傾斜が一定の角度を保っていた。植物の成長が本来持つ不規則さが、ここにはなかった。生きた素材が、精密な構造へと誘導されていた。


 「精霊魔法(スピリットアーツ)文献魔法(アーカイブアーツ)の合作だ」


 ヴァリスが言った。恒一の視線を読んで先に答えた、という調子だった。


 「精霊魔法(スピリットアーツ)で木の成長を誘導し、形を作る。文献魔法(アーカイブアーツ)で構造を計算に乗せる。どちらか一方では、こうはならない」


 恒一は建物を見たまま、答えなかった。


 工学的には理に適っていた。二つの魔法体系が、それぞれの弱点を補い合っている。


 洗練されすぎていた。


 植物が本来持つ、乱雑さがなかった。


 奥へ歩いた。建物が数棟、同じ間隔で並んでいた。日当たりが均等になるよう建物の高さと間隔が設定され、敷地の端に細い水路が引かれ、排水の勾配が整えられていた。人が住むのに必要な機能が、漏れなく揃っていた。


 その「漏れのなさ」が、少し引っかかった。


 前の世界で管理職をやっていた年月の中で、恒一はいくつかの設備改修案を通してきた。部署の動線設計、更衣室の配置、予算分配の調整。よく設計された職場環境は、働く人間の不満を減らすことはできる。しかし、職場を好きにさせることはできない。「用意されすぎた環境」は、自然に育った環境とは、何か違う空気を持つ。整備されていることは分かる。維持されていることも分かる。使われている、という感じが、薄い。


 人の姿が見えた。外壁に沿って歩く、細い体躯の男だった。淡い灰色の上衣。髪が白く、顔の皮膚が薄く透けていた。七十代か——そう見えたが、恒一はすぐにその印象を留保した。エルフの老化は人間とは違う。六十歳を過ぎてから急速に衰えると聞いていた。若く見える者が実際には何十年も生きていて、老いて見える者がそれほど年長ではない、という逆転がありうる種族だった。


 男がヴァリスを認め、礼をした。深くはなかった。形式を知っている者が、形式を果たす、という礼だった。


 「管理を担っているフォルカ殿だ。集落が出来た頃からここにいる」


 フォルカは会話に加わらなかった。礼を保ちながら、少し遠い場所を見ていた。


 「今、何家族いますか」と恒一が問うと、「八家族です。春にもう少し増える予定です」とフォルカが答えた。声は穏やかで、感情の起伏がなかった。


 必要なことには答えるが、業務の外には出ない。それを責める気にはなれなかった。


 フォルカが一礼して戻っていくのを見送りながら、恒一は周囲を見回した。建物の一棟から、何かを煮る匂いが漂ってきた。微かな香辛料の気配と、煮詰まった汁物の匂い。声はしなかった。音もなかった。それでも誰かが確かに、そこで火を使っていた。


 木の根元に、小さな跡があった。複数の足跡が重なり、走ったような乱れ方をしていた。子どもが何人かで走った跡に見えた。泥の乾き方から、今朝か昨日のものだった。


 その跡だけが、建物の整然さとは別の気配を持っていた。


---


 帰り道で、ヴァリスが口を開いた。


 「うまくいっているとは言えない。正直に言えば」


 「感じました」


 「住まいを用意し、仕事を用意し、制度を整えた。条件は揃えた。それでも——あれはまだ、共存ではない」


 恒一は少し考えてから答えた。「隣に住んでいる、という段階だと思います」


 「そうだ。それ以上でも以下でもない」


 否定はなかった。ヴァリスが続けた。「下水道を整備した時も、似たことがあった。配管を引いても、住民が使い方を覚えるまでに何年もかかった。施設は先にできる。習慣は後からだ」


 「建つのと、根付くのは、時間軸が違う」


 「そうだ。それが——今でも、たまに分からなくなる」


 「分からなくなる、ですか」


 ヴァリスは足を止めずに答えた。「設計はできる。仕組みは作れる。ただ、それが人の動きと本当に一致するには、自分の見ていない時間まで待つしかない場合がある」


 重い言い方ではなかった。事実として言っていた。二十年以上この国に生き、下水道から農業まで動かしてきた人間が、まだそれを「分からなくなる」と言っていた。謙遜でも嘆きでもなかった。本当のことを言っている、という声だった。


 石畳が始まった。城下の音が戻ってきた。荷車の軋み、遠くで何かを叩く音、子どもたちの声が混ざっていた。


 恒一は歩きながら、考えた。


 フェリルがこの世界の骨格を描いた。ヴァリスがその中に制度を作った。水路と農業と衛生と、今のエルフとの共存区。前の世界で積んだ下水道の十年が、別の形でここに続いていた。


 自分の前の世界でやってきたことは、記録を取り、段取りを整え、誰かが動けるための状態を作ることだった。この世界でも、似たことをしていた。班の動線を把握し、戦闘の記録を残し、観察を続ける。


 ——設計する人間と、動ける状態を作る人間と、実際に動く人間がいる。


 自分がどこにいるかは、まだ分からなかった。あの建物の隙間を走っていた子どもたちは、設計のことも、制度のことも、共存の方針のことも、何も知らない。ただ走っていた。


 城の表門が見えた。ヴァリスが馬を厩に引いていった。恒一はその少し後ろを、黙ってついていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ