第131話 気に病む蛮族
「バカなことしたなリムのアニキよお」
「……」
タクロの一手が、リムの攻撃より先にその首をへし折ったのか。リムは何も答えない。平和の君も隅で震えている。
「受付女。医者がいたら呼んでやってくれ」
「首があらぬ方向に曲がってなお、助かると?」
「まっ、無理かもな。でもまあ、できるだけのことをしてやるのも、勝者の務めってやつだ」
「常駐医を呼ぼう」
「常駐?さっすがお役所だな」
そう明るく述べて振り返ったタクロ、
ドゴッ!
「うぐっ!」
なんと!ゼーヴァを殴り飛ばした。信じられない、拳骨で、女性を、殴るとは……
「コイツが死んだらお前のせいだぜ露出女、消え失せろ!」
彼女が衝力を用いて、リムの拘束を解いたということ?わたしでも気が付かなかった魔術のことを、タクロが気がついているとしたら、確実に衝力の動きを察知している。もう確実だ。思えば一昨日再会した時も、最初にリムと戦った時もそうだった。
「……わ、私は」
「消えろ。それともおれさまに叩き出されたいのか?」
「……」
ゼーヴァは力なく去っていった。入れ替わりで、アデライに連れられて来た医者がリムの負傷を見て、ため息をついて首を横に振った。
助からない、ということか……タクロが近づいてきた。
「レイスちゃん悪かったな。裁きの場に出すべきヤツを」
正当防衛、なのだろう。一歩間違えれば、タクロの体に大きな穴が空いていたかもしれないのだから。
「で、殿。あんたはおれ様をどうするね?」
「ど、どうするハイ?」
「この国にゃ死刑が無い。懲役も無い。それは大農場で学んだよ。つまり、おれはまた大農場戻りになるのか?」
「その通り、ハイ」
ビシッ!
「あいたっ!」
「違うだろ?おれが大農場へ戻ったら、新しい所長に色々言うことになる。あんたの悪事とかエメラルドエッジ氏の悪事とかな」
「そ、それは!」
「さあ、どうすんだ?」
「孤がそなたの身元を保護しよう」
「また怪しい自称が出たな。が、それはお断り」
「?」
「おれのことは忘れろ。お前はリムの死を好きなように処理すればいい。まああれだ、嫌われてるヤツなら死んでも誰も文句は言わないか」
「??」
「あんたワカってねえなあ。リムが死んでも、証拠はたっぷりある。その気になればアンタを破滅させることなんざ朝飯前だ」
「ひょっ!」
「アンタはもう、おれのいいなりなになるしかねえ。ワカるな?」
「はっ、はっ、はっ……」
「というわけでレイスちゃん。こいつに要求があるかい?今がチャンスだぜ」
なんだかタクロに流されてしまっているような気がする。でも、この方は王族。何か機密な情報をご存知かもしれない。
「あ、あの……わたしの母マリスについてのことを、何かご存知ありませんか?」
「マ、マリスか」
「母が今どうしているのか、わたしは知りたいのです。なぜ母が蛮斧の捕虜になったのか、母は陛下に助け出してていただけるのか……」
「承知した。そ、その三つだな?」
スパン!
「あいた!知ってること全部だな、わ、ワカってるからもう叩くな、ハイ」
「嘘吐いたら……ワカるな?」
「ハーイ!ええと、ええと……今、国境の町に囚われになっているが、どう過ごしているか?余にもそれはワカらない」
「おれのこと色々知ってたくせに?いい加減ヌカしてんのかあ?」
「ま、待った!朕とて情報網は持っている。でもマリスが蛮斧に囚われはや数ヶ月。もはや彼女に関する新情報は入ってこない。その心は」
「言ってみ」
「王府にそれを調べる気がないからだ、と思う」
前宰相なのに?
「な、何故でしょうか?」
「……思うに太子も、飛龍乗雲女めも、そなたの母の敵。光曜不在のが都合が良いはず。国に戻そうとする動きもない。なら変化があるまで放置なのだろ」
「ほ、放置!そんな……」
「蛮族との身柄返還交渉も首尾良くいかなかったとの報告だが、どうかな?某には、強いて求めなかったというのが事実なのでは、感じるぞ」
「……」
「次だな?我が兄……王がマリスを救出するか?王にはそのつもりはある。が、今や王府は太子が掌握している。だからその答えは否、となる」
「な、何故でしょうか?何故殿下は……殿下は、僭越ながら母が師として学問を教えていたと伺っております」
「そりゃまあ、生徒が教師を嫌うなんて、よくある話ではないかね?そなたはどうか?」
「わ、わたしは……学園長を尊敬しています」
「今入院中のあの女が女半童の師か?フン、あんな偽善者。離れる良い機会だな」
わたしの教師を吐き捨てた平和の君に対し、タクロが叩こうとする仕草、急いで君は話を戻し、
「あ、あと、なぜ捕虜になったか、があったな。その前に蛮族よ。その方、かつての肩書きはもしや、庁舎隊長かね?」
「ふんふん、良く知ってんな。そうだぜ」
「庁舎隊長、すなわち族長会議と戦って勝った?」
「ふんふん、それは独裁者時代だけど、まあそうだぜ!」
「やはりか……」
「おれの武勲は轟いちまってるなあ」
「なら、女半童よ。この男がマリスを捕虜にした者だと、朕は聞いている」
「ふんふん」
「えっ」
タクロは真剣な表情で頷きつつ、目だけが上を向いた。
「ふんふん、えっ」
「光曜は蛮族の誰が誰かなんて一々正確に区別しておらぬが、国境の町の独裁者タクロと庁舎隊長がこうして同一人物である確認がとれた以上、余の機密情報に照らせば間違いない。第一報は、『光曜王国宰相蛮族に捕らわる!』、続報は『宰相マリス蛮斧兵の捕虜に』、詳報には『機密移動中の宰相は、戦場を突出して来た庁舎隊長の部隊に捕らわれた』とある。詳細はこの男に聞いた方がより正確だろう」
わたしはタクロを見、見据えていた。
「ええと」
「……」
「まあなんだ」
「そう、なんですか?」
声が上擦ったのが自分でもワカる。
「まあその、光曜境の戦場で偶然会ってね。それでひっとらえたのがもう何ヶ月前のことかな?当然、お嬢の母殿とは知らなかった。というかお嬢のことも知らなかったわけで」
違う。
「何故、黙っていたのですか?」
「い、言えると思う?彼女の娘さんを前に」
彼女の!
「わたしは……!言って、欲しかった、です」
なんといえば良い感情だろうこれは。強く湧き起こってくる。
「ま、まあまあ、今はほら。ええとその」
「あんたたち平和の君に話を聞きに来たんじゃないのかい?
「そうナイス受付女フォロー!このボンボンから何聞くか、だぜ!」
「重大な話が聞けました、既に!」
「お、おう?」
「待たれ女半童よ。マリスは誰もが認める容姿端麗極まりし女だ。蛮族よ、そなたの気持ちワカらぬでもないぞよ」
「!」
やはり、男たちは。
「うるさいぞ」
「いや、否定せずとも良し。朕にはワカった。国境の町の独裁者ならば、捕らえたマリスと懇ろになる機会があったのやもしれぬ。誰よりもな」
「う、うるさい。勝手なことヌカすな」
「彼女に惚れる男たちは多かった。当時の結婚も争奪戦だったと聞く。無理からぬ無理からぬ」
「その話詳しく」
詳しく、あは。
「そういうことなの……あなたが……あなたが母を捕らえたから、わたしは……!」
「う、うるさい!」
「っ!」
「あっ、タンマ。今の無し」
「蛮族よ、女半童を怒鳴るのが蛮斧風かね?」
こんな野蛮人の顔、もう見たく……
「ちょ、ちょっと。レイスちゃんどこ行くの!ちょっと待った!」
声も聞きたくない!
ド ン
「うわっ、危ね!」
「ついて来ないで!」
「おおおお、おう……」
信じられない。
信じられない。
信じられない。
あの蛮族男。わたしに隠していた。母とのこと。つまりわたしにだって関わること。そのくせ、わたしを助けて……どうして?何故なのか。思わないでもなかった。でも簡単だった。母に惹かれていたからだ。母の美貌に。この三日間、わたしを助けた理由はきっとそれ。悔しい。悔しい。なぜわたしは母のためにここまで苦しまねばならないのだろう。ここまで心をかき乱されるのか。わたしは別にタクロなんかが好きなわけでは全くない。しかし、あの男はわたしを通して母を見ていたのだ。リムにしてもそう。リムは母に心酔していた。彼が母を見つめる目を、思い出した。ああ。リムがあんな惨めになったのは、きっと母のせい。それがワカるから、悔しい。涙が止まらない。わたしは、わたしは、母よりも何もかも劣るわたしは……優れた母に劣った娘、わたしはどうしたら良いのだろう。
どれだけ走ったか。気がつけば、大都会の北の入り口のあたりにいた。
「……」
冷静になったが、山洞宮には戻れない。戻りたくもない。では王都へ帰る?それしかない。何の収穫もなく、社会の闇に幻滅し、蛮族に幻滅し、自分に幻滅したまま帰る……なんて惨めなのだろう。
その時、タラナ更新を感じた。宰相職から母が降ろされて以降、感じることのなかった久々の感覚。確認すると、
「あ……」
血は肌に縫われた刺繍
美貌も権力もただの幻
真物は心の傷だけ
それだけで立つ者は美しく
幻が映る鏡を砕き捨てて
それはアデライからの詩だった。こうしてわたしを慰めてくれているのだろう。
「……」
胸が温かくなる。昨日は食事を、今日は慰めを。お礼は伝えないと。礼儀に外れないよう、内容を考え抜くのに三十分くらいかかった。伝えようとした瞬間、またアデライから……
生きてりゃできるリカバリー
「……」
この感じ、タクロだろう。さてはアデライと話をしているな。そしてこれを伝えさせた……わたしは何を思っているのか。彼はわたしに言えなかった、と弁解していた。
「……蛮族」
本当は戻って話を聞くべきなのだろう。でも、どうしてもその気になれなかった。
「帰ろう」
もうこの大都会ですることもない。学園へ帰ろう。それにしても。わたしがこの大都会へ来たことで、リムは命を落としたのだろうか。わたしの行動のせいで。
ー王都 王立学園
結局、母の今について、確たることは何もワカらなかった。あれ以来、タラナにアデライから何かが届くこともない。タクロも同様だ。平和の君に関するニュースも無い。わたしはいつも通りのわたしに戻っていく。自分がこんなにも退屈な人間であることを、思い知ってしまう。ふと、リムが最後に言った言葉、この社会が傾いている、という言葉を思い出すが、全く信じられないという気分になる。
いつもの日々。友人だった人たちがそっけない日々。未だに学園長は入院中で、彼女ほど優れてはいない教師に教わる日々。それでも大都会に比べたら快適な日々。
ある日、学園内でカミエルとすれ違ったが、彼女は徹底してわたしを見ない。地下外でのことが過去になったようで、ある意味ほっとする。だがわたしも彼女と同じく一人ぼっちである。
休みの日。気持ちが落ち着かず、できることがない。午後に。花を持って学園長のお見舞いに学園内の病棟へ行く。学園長の病室に、先客がいる。
「そんなわけで、無役が続いているというのは自由でいい。自分の生涯の仕事に没頭できるし、ストレスが無いからな……おや」
その女性がこちらを見た。凛々しい人だ。
「生徒が見舞いに来たようだグロリア。また来るよ」
女性は眠り続ける学園長にそう語りかけ退室した。その際、軽い会釈を交わした。彼女は学園長の友人だろうか。病室の花は新鮮であった。
持ってきた花を挿しながら思い続けること。それは、あの時、タクロの話を聞いてあげていたら、こんなにも退屈では無かったに違いない、ということ。きっとわたしは後悔しているのだろう。
ただ、学園に戻って来てから自分が惨めだとは感じなくなっていた。社会の暗部を知ったことによる満足がそうさせているのか。周りはきっと、ほとんど誰も知らない。国の非情も、王族の非道も、カミエルやゼーヴァに代表される光曜人の無軌道も、アデライのような深謀遠慮も…付け加えるならタクロの生命力も。
わたしはそれを知っている。もしかしたらこの学園ではわたしだけ。
この密かな満足感が、ここでのわたしを支える気がする。よし、明日からまた頑張ろう。友達も作り直そう。
ふと、わたしはキラリと光るものを見た。病室の棚の鏡。覗き込んだ次の瞬間、わたしはその鏡にヒビを加えて粉々にした。そこに映る全てのものに嫌悪を堪えられなかったから。
そして無数のヒビ割れの中に、一種だけ母の顔が見えた気がした。