とりあえずはそれで
「今日は一日、なんだか平和だったなー」
そう呟きながら、記入を終えた書類をトントン、と机で叩いて揃えると、ちらりと時計に目をやった。
時刻はそろそろ17時に差し掛かろうとしている頃合いだった。
「書類もスムーズに綺麗に全部片付いたし、今日が期限の依頼を受けてる冒険者の人たちはすでにみんな戻ってきて、完了手続きも終わってる。……え、待って、もしかして私、今日……」
あることが頭の中をよぎった。あと数分で17時の鐘の音が聞こえてくるはずだ。
そう、その音が聞こえさえすれば、今の私はこのまま帰ることができる!
後残り僅か。なんだか緊張して、心臓の音がうるさいくらいだ。
「あぁ、どうしよう。私、私……!」
時計の針が17時を指した瞬間だった。
「定時上りだー!!!」
喜びと共に大きく手を突き上げた。
「いてぇ!!!」
「いたぁぃ!!!」
それと同時に、突き上げた左のこぶしに何かが当たり、しびれるような痛みが全身に走る。
定時になるはずの街の鐘の音も聞こえてこず、軽くシエラは混乱する。
「……え、あれ?ジェルマさん?ていうか、なんで私、ジェルマさんの部屋にいるの??」
さっきまで、自分の持ち場にいたはずなのに、なぜかそこはギルドマスターの執務室。そして、窓の外はうっすらと白んできているが、夕方にしては若干色合いがおかしい。夕暮れ時、というよりはどちらかと言うと夜明けに近い色をしている。
「お前……居眠りこくのは勝手だが、書類はできたのか?」
思いきり顔を顰めながら、いてててて、と涙目になりつつ顎をさすりながら聞いてくるジェルマに、シエラは何のことかわからず、え?と首を傾げる。
「……おいおい、お前、寝ぼけるのも大概にしろよ?フィーヴの書類、できたのかって聞いてんだよ」
ジェルマがその言葉を放った瞬間、シエラはすべてを悟った。
「…………ゆ、夢…………」
よくよく考えてみれば、平和な一日だった、などと口にしてはいたが、その日一日、なんの仕事をしていたかなんてさっぱり思い出せなかった。(だって夢だから)
手に持っていた書類だって、何の書類か思い出せないし、完了手続きをした冒険者が誰だったかだって思い出せない。(だって夢だから×2)
壁にかかっている時計に目をやると、時刻は5時を回ったところのようだが、外の様子からするに、どうやら今は夕方ではなく明け方。
「夢ならもう少しみてたかった……」
魂の抜けたような表情を浮かべているシエラを見て、ジェルマはなんとなく、これは今はちょっとそっとしておいた方がいいな、と判断し、彼女の前に置かれている書類をそっと手に取って中をチェックしていった。
「……よし、内容は問題ないな。種族のところはとりあえず、竜人族と書いておいてくれ」
そう言って、シエラの肩をポンポンと書類で叩いた。
「はっ……!!え?すいません、もう一度良いですか?」
脳みそが真実を受け入れるのを拒否していたため、ジェルマが何を言っていたのかさっぱり聞いていなかったので、慌てて聞き直す。
「種族は竜人族と書いておいてくれ、と言ったんだよ」
「あ、はい、わかりました」
正直、言われた通り書いて申請を上げて、通るものなんだろうか?と思いはしたものの、領主様にも話をしてあるだろうし、何とかする方法があるんだろう、と深く考えるのはやめて、言われた通り、空欄にしておいた箇所をどんどんと埋めていった。
「とりあえず、まだギルドを開けるまでには時間があるし、ちょっと仮眠してこい」
「良いんですか!?」
ジェルマの思わぬ提案に、シエラはパァっと目を輝かせた。
「流石に昨日、あれだけ色々あったうえに、徹夜で書類書かせてるしな。ま、ここで仮眠とるなら、あと2・3時間は寝れるだろ」
「ありがとうございます!それじゃさっそく、寝てきますね!失礼します!」
シエラはそう言うなり、さっさと執務室を出て、軽くスキップをしながら、仮眠室へと向かって行った。
「……一緒に行かなくてよかったのか?トーカス」
珍しく、シエラの後をついて部屋を出て行かなかったので、不思議そうにジェルマがトーカスに声をかけた。
「あぁ、俺は十分、睡眠とったしな。それより、龍種を竜人族なんてどうやってごまかす気なのか、そっちの方が気になってるんだが?」
トーカスが言うと、ジェルマは小さくハハッと笑った。
「まぁ……もしかしたらトーカスには、ちょっと頑張ってもらわないといけないかもしれないし、シエラにまだ言ってないが、先に伝えておくか」
ほんの少しだけ考えた後、うんうん、とジェルマは頷いて、トーカスに言った。
「本来なら、種族のところを偽ることはできないんだが、一つだけ方法があるんだよ」
「……なんか、その言い方からしてちょっと厄介っぽい感じがするのは気のせいか?」
「まぁ、厄介というか、本来、その方法をとることは難しいって言うのが正しいな」
そう言って少し考えると、ジェルマはうん、と頷いて、口を開いた。
「その方法ってのは、この国の一番の権力者である、王族に口添えしてもらって、簡易検査のみで提出する書類内容そのままにステイタスボードを発行してもらうってやつだ」
「一般人にはまず無理なやつじゃねーか、それ」
トーカスが突っ込むと、普通はそうだな、と言って、ジェルマが豪快に笑った。
「もちろん、現国王だの王妃だのにお願いするわけにはいかねー。龍種が実在するなんて知ったら、どんな行動に出てくるかわかんねーしな。……ま、そもそも、そんな気軽に会えねえけど」
「いや、当たり前だろ」
トーカスが呆れたように言う。
「ははは、ところが、だ。世の中には思ってるよりは気軽に会える王族ってのがいるんだよ」
「は?気軽に会えるって……、そんなどっかのアイドルじゃあるまいし……」
そう言ってブツブツ言っている時だった。
「トーカスも会ったことあるだろ?」
「え?」
言われて首を捻るトーカス。残念ながら記憶にある限りでは、王都に行ったのは一度切りで、しかも、ジェルマについて中央ギルドの会議に出たくらいしか記憶にない。
「王族だろ?そんな偉い奴になんて、会った覚えないぞ?」
「え。お前、もしかして気づいてないのか?」
驚いた表情を浮かべるジェルマに、トーカスは何がだよ、と少しムッとしたように答える。
「エディ・ボルトン卿。こないだ護衛して、王都まで送ってっただろう?」
「エディがどうしたんだ?あいつはただの公爵家の息子だろ?」
「おぉ、そうきたか……」
貴族の中では一番位が高いとされる公爵家の息子をただの、と言い切る辺りはやはり魔獣だからなんだろうか、とジェルマは苦笑する。
「ただの公爵家の息子ではあるが、エディの父親は現国王の弟で、一応、王位継承権も持ってんだよ」
「なんだと!?」
「まぁ、現国王に息子が2人いるし、正直エディが王位を継ぐ可能性は極めて低いんだが、そう言うわけで、あれでもあいつは、王族の一員なんだよ」
「もっと早くに知りたかった……!!」
ジェルマに言われて、トーカスは悔しそうに翼を地面に叩きつける。その様子に、なんでこいつ、こんなに悔しがってんだ?と今度はジェルマが不思議そうにトーカスを見た。
「あいつについて学園に行ったときに、そのことを知ってたら、あの時にみた修羅場だって、もっと違う考察もできたはずなのに……!!」
その一言に、ジェルマは思わず顔をひきつらせた。
「おま……くだらなすぎるぞ!?」
「どこがくだらないんだよ!!」
ジェルマの言葉にトーカスは思わず反論する。
「滅多に見れない修羅場なうえに、エディが王位継承権を持ってるとなったら、殿下がバッチバチやりあってたエディの婚約者とのやり取りも、エディへの個人的な感情も含まれてたかもしれないってことだろ?そうなったら、単純に、男爵令嬢に対する彼女の態度に」
「わかった、俺が悪かった!」
長くなりそうだ、と本能的に察したジェルマは慌ててトーカスに頭を下げる。
「とにかく、そう言うわけで、会える王族に今回の件は一肌脱いでもらおうってことだ」
「なるほどな。で?それに関して俺は何を頑張るんだ?エディに頼みに行けばいいのか?」
トーカスが聞くと、いや、とジェルマは頭を横に振る。
「クロードから依頼するから、そこは別に気にしなくていい。ただ、あいつがまた、こっちに来る可能性が高いから、もし来たときは、あいつの相手してやってほしいんだよ」
言われてトーカスは、なんだ、と苦笑した。
「てっきり、2・3日で往復してなんか書類でも受け取って来いとか言われるのかと思ったわ」
トーカスの言葉に、まさか、とジェルマは笑う。
「トーカスだけで行かせるわけにはいかないからな。それにあいつも、こっちに来る口実ができて喜んでるだろうし」
「ま、俺は別になんでもいいけどな。それじゃシエラのとこにでも行くわ。また、詳細が決まったら教えてくれ」
そう言ってトーカスも、ジェルマの執務室を出て行った。
「……そもそも、使い走りみたいなことをさせられるような相手じゃねーんだよなぁ。うっかり忘れそうになるけど」
そもそも、コッカトリスはそこそこ高ランクの魔物で、しかもコーカスやトーカスをはじめとするシエラの従魔であるコッカトリス達は、たぶん、さらに進化している可能性が高い。
「下手に鑑定なんぞして、ほんとにそんな事実がありでもしたら面倒だから、あえて気にしないことにしてるわけだが……しかし、進化した魔物どもってのは、あぁも人間臭くなるもんなんか?」
ポリポリと頭を掻きながら、いなくなったトーカスの方を見て、ジェルマは小さく呟いた。
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