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出発

 翌朝、夜と同じ携帯食と水をそれぞれが食べ終われば、すぐに出発になった。


「見事に何にも無いね……」


 古城から一歩出れば、地味な景色が広がっていた。灰色のグラデーションの空と、緑の一つも無いむき出しの地面がどこまでも続いて起伏の向こうで混じり合っている。あちこちに転がっている大きな岩の間を風が吹き抜けるたびに、幽霊が現れる直前みたいな音がして不気味さを盛り上げている。


「これ、目印とか何にも無いけど、迷子にならない?」


 特徴のある岩もあるが、歩いているうちに見えなくなってしまう。気づいたらまた古城の前にいた、なんて状況は避けたい。


「夜のうちに方角は確かめてある」


 ぶっきらぼうにアートリーが答えた。そのまま先頭に立って歩きだす。


「夜?」

「星を見ていたのですわ」

「星だよ。知らないのか?」


 エナとゼマーが同時に答えた。ゼマーの答えには余計な質問がついている。


「星くらい知ってるけど。でも、ここはあたしの知ってる星空じゃないから」


 星空なんてしばらく見てないことは伏せておく。そもそも、星の位置から方角を割り出す方法もよく知らない。


(都会の空に星なんてあんまり見えなかったし――あれ?)


 瑞葵は首を傾げた。 夕べは満月が冴え渡っていた。星は覚えていないが、きっときれいだったのだろう。


「ねえ、『穢れ地』が曇ってるのって、もしかして昼間だけ?」


 魔王の呪いで、空は灰色の雲に覆われて日が射さなくなったと聞いていたのだが。尋ねれば、エナが褒めてくれた。


「ご明察の通りですわ、救世主様。月の光は魔を育てる力があるそうなので夜は晴れるのです」

「へー、そうなんだ。そういや、この世界の月も満ち欠けするの?」

「はい。救世主様の世界でもそうなのですか?」

「うん、そう。こっちも満月とか三日月とかもあるんだね」

「私は詳しく知りませんが、アートリーならよく知っていると思います」

「なんでアートリー? 魔術師だから?」

「時に魔術師は月光も魔法に使うと聞いております」

「へー、そうなんだ?」


 前を歩くアートリーの背中に問いかけてみたが、答えはなかった。雑談ができるほどうちとけるにはもう少し時間が必要なようだ。


(というか、このお姫様が打ち解けすぎって気もするけど)


 それとも、いわゆるコミュ力の違いなのだろうか。王族ともなれば嫌な相手でも笑顔で会話するスキルが必要だろう。


(もしそうなら王子様も不足気味かなあ)


 自分に足りないかもしれない可能性は、考えないことにした。


「呪いって言えばもう一個、気になってたんだけど」


 ゼマーが横で水を口に含むのを見ながら、瑞葵は言った。


「その水、飲んでも丈夫なの?」

「げほっ――いきなりなんだよ!」


 含んだ水を慌てて飲み込んだせいか、ゼマーはむせ込みそうになっていた。


「だってこの辺も『穢れ地』なんでしょ? 魔王の呪いで、大気汚染とか、土壌汚染とかそういう感じで人が住めなくなったんじゃないっけ?」

「それは旧帝国の中心地のことですわ。この辺りは、日が射さなくて魔物が出るくらいで済んでいるようです」

「それも結構大変なことだと思うけどね……」


 水と空気に問題が無いならそれでよしとする。どちらにしろ今の瑞葵には不要なものだ。しかし魔物が出る、というのは気になった。


「聞いてばっかりで悪いんだけど、出てくる魔物って、ゴブリンみたいのとか?」

「ああ。他にもいろいろいるぞ」


 ゼマーは出没する魔物の名を次々とあげていった。オーガやトロールといった、瑞葵でも知っている有名どころの他に、想像もつかない魔物がいくつもいる。というか、大半が知らないものばっかりで、それは二十以上もいる。


「あの、ちょっと多すぎない……?」

「少ない方だろ。『穢れ地』でもこの辺は中心から遠いし」

「だってそんなにいっぺんに襲ってきたら……って、もしかして王子様はそのくらい簡単に倒せるとか?」


 ゼマーは師に匹敵する凄腕の剣士だと聞いている。漫画みたいに一振りで大勢を倒すところを想像していると、ゼマーの表情が曇る。


「いや……オレの腕と言うよりエナのおかげ、だな」

「お姫様の?」


 そういえばエナは魔物を威嚇できる、とかなんとか。意味がわからないのでそのまま聞き流していた。当人に視線を向ければ、エナは微笑んで首を振った。

大したことはしておりません。最後はゼマー殿下の剣が必要なのですから」

「そんなわけないだろ。ちょうどいいから見せてやれよ」

「ちょうどいい?」


 瑞葵が首を傾げた、直後。


 ギィィィィイイイィィィイイ――!


 巨大な鉄板がこすれるような音がした、と思ったら岩の陰からいくつも黒い影が飛び出してきた。見える範囲だけで、その数は三十はいただろうか。こすれたような音はそれらが発する叫び声だった。


「え、なに?!」

「だから魔物だよ。お望み通りゴブリンだな」

「望んでないし!」


 生で見るゴブリンは、気持ち悪いの一言だった。ヘルメットみたいなものを被っている個体もいたが、ほとんどは、爬虫類めいた顔に不気味な笑いを貼り付けている。適当に接ぎ当てたような服から伸びる手にはバラバラな武器を持っていて、さびた刃をこちらに向けている。


「こっちにもいる!」


 逃げ出そうとして振り返ったら、後ろにも同じだけのゴブリンがいた。完全に囲まれている。もうダメだ。瑞葵は頭を抱えてうずくまった。


「救世主様、大丈夫ですか?」


 エナが声をかけてくれた。こんな状況で人を気遣えるなんて、立派なお姫様だ。


「魔王が何やってんだよ」


 あきれた声をかけてくるアートリーは今すぐゴブリンに刺されればいい。


「すぐに終わりますから、大丈夫ですよ」


 エナの声はどこまでも優しいが、内容が引っかかった。何が大丈夫なのか。

 ちら、と顔を上げてみてみれば、ゴブリンたちは武器を振りかざした格好のまま、止まっている。中には武器を取り落として、じりじりと交代しようとしているものも見えた。そこにゼマーが斬りかかって次々と倒れていく。


「なにがあったの?」

「ゼマー殿下が言ってただろ。エナ殿下は魔物を威嚇できるんだって」


 アートリーがめんどくさそうに説明してくれた。エナを振り返れば、


「すべて、キアユ神のお力ですわ」


 恥ずかしそうに微笑まれた。


「どんな力なのよ……」

「高度な浄化魔法の一つなんだろうな。あんなゴブリン程度なら、いくらわいてこようがエナ殿下のひとにらみで動けなくなる」

「睨んでなんかいません」


 エナはあくまでも神の力を主張した。


「……」


 動けない相手に剣を振るうのなら、子供にだってできる。ゼマーが微妙な顔をしていた理由がやっとわかった。

お読みくださってありがとうございます。

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