アートリー
「ここにも月ってあるんだねえ」
満月だった。満ち欠けまで同じなのかは、まだわからない。静かな夜だった。風も無いので静かだ。もっとも、城の周りには草木類が何も生えていないので、風が吹いても何の音も聞こえないだろう。
「このお城にも昔は人がいっぱいいたのかな」
瑞葵は城の前庭と思われる辺りでふわふわと佇んでいた。真夜中の廃城の庭なんて不気味以外の何物でも無いが、今はこの静寂が心地よい。
「昔のことなんか、俺は何も知らない」
機嫌の悪さを隠しもしないで、アートリーは言い放った。
「じゃあ知ってることは、なに?」
瑞葵が振り返ると、アートリーはそっぽを向いていた。手足の縛めはほどかれていて、腕組みして両足を広げて立っている。
「黙っててもかまわないんだけどね。さっき話してたとおり、あたしと王子様と王女様はあんたを道案内に推薦した師匠さんに会いに行くつもりなんだけど」
水を確保した後は、携帯食を胃に収めるだけの短い食事の時間になった。自然と今後どうするのかという話になり、ゼマーの強い提案でアートリーを護衛によこしたシノーシュに会いに行くことになった。ゼマーの言い方を借りると、「話をつけにいく」である。話だけで終わらない気がするが、瑞葵にできるのは見守ることだけである。
ちなみにこのときエナは瑞葵にも携帯食を勧めてくれたのだが、案の定、食べることはできなかった。しゃべっているので口があるとは感じるが、どうやって食べるのかがわからないという不可解な状況に陥った。ほかに栄養をとる手段があるのかもしれないが、今のところは空腹を感じないので後回しである。ゼマーの「俺たちの魂を食うつもりじゃないだろうな」という台詞はちょっぴり胸に刺さったが、直後にエナが鉄拳制裁を下してくれたので不問にする。
「このまま何も話してくれないなら、このまま逃げてもいいし。王子様はあんたのことを縛ってここに捨てていくつもりらしいけど」
「……そうすればいい」
「思った通りの反応をありがとう。失敗したからどうせ殺されるとか、そういう捨て鉢な感じ? それとも、あたしたちがいなくなったあとに魔法が使えるようになればどうにでもなるとか思ってる方?」
「……」
「どっちでもいいんだけど、それよりあたしたちに乗り換えない?」
「……条件は?」
意外と簡単に乗ってきた。これは予想外だった。
「『穢れ地』の外まで一緒につれてってあげるわ。その先はどこでも好きなところに行って」
魔王が支配する土地のことを、通称『穢れ地』と呼ぶ。これもエナとゼマーが教えてくれたことだ。旧帝国領とも呼ばれるのは、その土地の大半が、数百年前に大陸中心部を制したシアケイラ帝国の領土だからだ。当時の帝国の王は神の代理人として土地を収める代わりに、神に生贄を奉じていた。生贄は王家の血統の中から選ばれていたが、毎年のように捧げているので当然、足りなくなる。生贄になるために生まれる王族が現れるのは、必至だった。帝国最後の生け贄となった名前の無い姫は、己の運命と、帝国全土と、世界のあらゆる全てを呪いながら神に捧げられた。直後、帝国の守護神は魔神になり、姫は魔神の巫女、魔王として蘇った。
姫の呪いは魔王の呪いに変わった。帝国の空は灰色の雲に覆われ、光が射さなくなった。草木は枯れ果て、大気は濁り、淀んだ大地に適応するかのように人々は魔物に変わっていったと、エナは言った。そうじゃない、魔物は魔王が呼び寄せて人を食っちまったんだとゼマーは主張した。どちらにしろ、人は残っていないようだ。
魔王の呪いは今も続いていて、人が住む領域は中心からじわじわと端っこに追いやられている。魔王を倒せば呪いは収まるのだろうという各国の賢者の意見を元に、討伐隊は何度も遠征しているが何の結果も得られなかった。魔王本人も強力だが、人が住めなくなった土地を魔王の元まで渡っていくことが、なにより大変だったのだ。
エナとゼマーが、アートリーという道案内がいたとしても少数で『穢れ地』を渡れたのは、エナが魔物を威嚇できるという天性の才能を持っていたことと、ゼマーが、意外にもといったら本人は怒るが、剣聖と呼ばれた師に匹敵する才能の持ち主だったことが大きな理由だった。ここに魔王の力を持った瑞葵が加わるとすれば、道中怖いものなしである。
「俺を逃がすのか?」
怪訝そうに、アートリーは聞き返した。瑞葵はそれに答えず、質問を重ねた。
「王子様と王女様を狙った理由は?」
アートリーの目が丸くなった。それから、考え込むようにうつむき、何か思い当たったように顔を上げた。
「俺が狙ったのはあんただけだ。殿下二人は、まあ、ついで、だな」
「……は? ついで?」
「そうだ。俺は死に損ないの魔王にとどめを刺すことを命じられてたんだ。そこにちょうど殿下二人の道案内の話が降ってきた。さらにその話を聞きつけたやつが、別々に依頼してきたんだ」
アートリーに依頼した人物はそれぞれ別の人間だったが、内容は同じだった。『魔王討伐には犠牲がつきもの。殿下の身に万一のことがあっても、それは防ぎきれない事故であったと、さるお方からのご伝言です』と、そう言って大金をアートリーの前に置いていった。
「で、それを受けたの? 両方とも?」
呆れたように瑞葵が言うと、アートリーはつまらなそうに視線をそらした。
「ちょうどいいと思ったんだよ。昔から俺の術は、威力ばかりでかいだけで使い物にならないって評判でな。ここなら周りを気にしなくてもいいし、そばにいるのは巻き込んでもいいやつらばかりだし、ってな。ま、全力で放った術もあんたに軽くあしらわれて、魔力まで持ってかれてちまったし……考えてみたら俺に選択権なんて無いな」
最後の方は独り言だった。めんどくさいスイッチ入れちゃったよ、と瑞葵は後悔した。ここは最年長のあたしが、なんて出張るんじゃなかった。おとなしくエナとゼマーに任せておけばよかった。
反省中の瑞葵の心中をよそに、アートリーは自嘲を浮かべて顔を上げた。
「あんたが俺のこと連れてくって言うならそうすればいい。俺はあんたに従う。ああ、先に言っとくが、あんたを狙えと行ってきたのは連合の使いだった。殿下二人の命を狙ったやつの身元は知らない。あいつら、独り言みたいに好き勝手しゃべって金置いていったからな」
自棄になったアートリーはべらべらとしゃべった。あとはもうどうにでもすればいいと、開き直っている。
「なるほど……サスペンスドラマで犯人が崖っぷちで悪事を全部しゃべるのってこういうことか……」
「何の話だよ」
「気にしないで。えーと、じゃあ、そういうことなんだけど、いいかな?」
問いかけは、背後に向かってだ。
瑞葵が言い終える前に、何かがものすごい勢いで駆け抜けた。
「ついでってどういうことだーーー!」
疾風のごとく現れたゼマーは、アートリーの胸ぐらを掴んで叫んでいた。
「エナを狙ったのが、ついでとはなんだ、ついでとは!」
「怒るのはそこなんだ……」
なんだか、どっと疲れた。
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