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歌鳥  作者: ねこじゃ・じぇねこ
6章 約束
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1.階段

 地下牢への入り口が開かれると、ウグイスは立ち止まった。

 彼が先導するのは此処までらしい。ためらいも無く手を離し、真っ黒な獣の食道のように続く細長い階段へとわたしを促す。

 無言のまま彼の顔を少しだけ見つめ、わたしはその階段を下りた。

 この暗い道を通るのは決して初めてではない。けれど、一人きりで通るのは初めての事だった。此処から光りある地上へと這いあがった時はヨダカに手を引かれていたし、囚われたヨダカと面会させて貰えた時も、ウグイスやライチョウが傍に居た。

 一人きりで通るこの場所はとてもきな臭い。

 段を降りるごとに不安がわたしを押し返そうとしてくるのが分かった。だが、それも長くは続かなかった。

 ようやく牢獄が見えてくると、檻越しにヨダカを見つめる人影があるのが見えた。

 青年だ。炎の灯りに目が慣れてくると、その全貌が良く見えた。鳶色の髪は短く刈られているが、その色はライチョウのものによく似ている。わたしの気配に気づいて振り返る彼の双眸もまた、ライチョウによく似た狼のような輝きをしていた。

 それだけで分かった。

 彼こそが、ライチョウの弟なのだと。

「君は――」

 彼の口が開きかけ、ふと閉じる。

 姉によく似ている。年もさほど離れてはいないのだろう。ただ、姉と違う所と言えば、その存在のさり気なさと、それでも見つめていればいるほど伝わってくるしぶとそうな生命力だろう。

 その口元にそっと笑みを浮かべると、彼は牢獄からやや距離を置いた。

「ああ、お姉さまに言われてきたのかな。誰とも契っていない歌鳥――カナリアって君の事だろう?」

 やはり、わたしの想像は合っているらしい。

 狼のような目にちらりと見つめられ、わたしは残り数段のところで立ち止まった。

 この状況で見下ろすと言うのは悲しいほどに効果をもたらさない抵抗だ。その証拠に、ライチョウの弟は苛立ちもせずにわたしから目を背け、再びヨダカを見つめた。

「もしかして、俺は邪魔かな? お姫様」

「分かったなら、さっさと行きなさい。ハヤブサ」

 牢獄の中よりヨダカの決して震えない声が響いた。

 昨日聞いたよりも、少しは声が戻っているような気がした。聞きなれただけなのかもしれないけれど、ヨダカはわたしの知っているヨダカのままだと分かって、妙にほっとした。

 ハヤブサ。そう呼ばれたライチョウの弟は、笑みを噛み殺しつつも、ゆっくりと歩みだし、わたしの立ち止まる階段へと素直に向かった。

「せいぜい、よく考えることだ」

 そして、わたしのすぐ横で立ち止まり、大きな手で肩に手を置く。

「君もね、カナリア。誰を選び、何を優先すべきか、君は知った方がいい。囚われのお姫様を救いたいのなら、君に出来る事をゆっくり考えることだね」

 そう言うやいなや、そのまま去っていってしまった。

 ハヤブサの背中をひとしきり見つめ、その姿が闇に呑まれていくのを見てから、わたしはそっと檻へと近寄った。

 炎の灯りの向こうで、ヨダカは毛布に身を包んで蹲っている。

 その夜色の目は煌々と輝き、わたしをじっと見つめている。たった一人で来たわたしを見て、何を想っているのだろう。

 やや長い沈黙の糸がわたし達二人を結んでいた。

 だが、やがて、ヨダカの方がそれを千切り捨てた。

「カナリア。何をしに来たの?」

 優しい口調で問われ、わたしは目を伏せた。

 かつて彼女はこの場所の主人だった。屋敷の全てが彼女にかしずき、彼女を畏れながら従ってきたのだ。その姿を思い起こせば起こすほど、今の姿が痛々しくて見ているのも辛いほどだった。

 思い余って声を出す事が出来ずにいると、ヨダカの方が再び声を放った。

「もうライチョウとは契ってしまったのかしら」

 必死に頭を振って否定した。

 誤解されるのだけは嫌だった。柵をそっと掴み、涙が零れ落ちるだろうことも覚悟して、わたしはどうにかヨダカへと目を向ける。夜色の視線と真正面からぶつかって怯みかけたが、どうにか耐えた。

「選択する前に、あなたと会わせて欲しいとお願いしたの」

 檻の鍵は何処にあるだろう。

 背後の机にもかかってはいない。中に入ってヨダカに触れたいのに、頑丈な柵が邪魔をして敵わない。それに、ヨダカの方は壁際に座りこんだまま、わたしの方に近寄ろうともしてくれなかった。

 それでも、わたしはヨダカを見つめた。

「ねえ、ヨダカ、あのね」

「早く、あの女に従った方がいい」

 突き放すような声に慄いた。

 拒絶かと思うと頭の中が真っ白になっていく。けれど、そんな事で引き下がるわけにはいかなかった。

「違うの、わたしは」

「カナリア」

 名を呼ぶだけで、ヨダカはわたしを黙らせてしまった。

 揺らぐ心情の上に成り立ついびつな強情のようなものがわたしをどうにか抑えつけてくる。厳しい表情をしているが、その真意までもがわたしを拒み、嫌っているとはどうしても思えない。

 それでも、わたしは黙ったまま、ヨダカの言葉を待った。

「あなたの身柄はライチョウに引き渡すとたった今、ハヤブサに伝えた」

 それは、はっきりとした実に分かりやすい言葉で、わたしの息の根を止めんばかりの毒を含んだものでもあった。

 わたしが何か言い返そうとする前に、ヨダカは続ける。

「その方があなたの為になる。しばらくは嫌かもしれないけれど、彼女はあなたに強制せず、鳥かごの外で待っていてくれるような女だとハヤブサは言っていた」

 だから何だと言うのだろう。

 どんなに優しくされようと、どんなに冷たくあしらわれようと、そして、どんなに正しく振舞おうと、歌鳥の気持ちは歌鳥にしか決められない。

 わたしがヨダカに従いたいと思う以上、こんな仕打ちは残酷でしかないというのに。

 それでも、わたしはヨダカの言葉を遮ることが出来ずにいた。

「あなたには新しい時代で生きる権利がある」

 ヨダカは静かに言った。

「この屋敷の事、ヨダカという古い時代の女主人の事等、全て忘れてしまいなさい」

「――言いたいのは、それだけ?」

 思わず棘を含んでしまったわたしの言葉にヨダカがそっと笑んだ。

 だが、それも束の間、すぐにその夜色の視線が階段へと動いた。

 その動きでようやくわたしも気付いた。

 階段にはいつの間にかライチョウがいた。ウグイスは外だろう。一人だけで音も立てずに階段を下り、荒々しさを引っ込めたその顔には特別な表情も浮かべていない。その手に握られているのは鍵。

 この檻の鍵だというのはすぐに分かった。


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