7.運試し
ライチョウは椅子から立ち上がり、部屋の中をうろつき始めた。
わたしは跪いたまま、ウグイスの視線を背中で浴びつつ、その姿を眺めていた。歩くたびに長い髪が揺れる。その姿には妙齢の女性特有の色気さえも垣間見える。
だが、彼女は世間が女性に対して抱く幻想を持ち合わせていない。
唄の力を暴力に使い、我らが屋敷を虐げるまでに殺伐としたものばかりだ。
それでも、ウグイスは彼女を慕い、信頼している。自分を見捨てる事はないと根拠もなく盲信し、歌鳥の本性が厭うにも関わらずその唄の力を捧げてしまっている。
それだけ彼女に歌鳥を惹きつけるような何かがあるという事だろう。
もしかしたら本当にライチョウは、新しい時代を生き残る星の下に生まれてきたのかもしれない。そしてヨダカは古い時代と共に終わりを迎える者として生まれてしまったのかもしれない。
だが、そうだとしても、わたしはヨダカの方が好きだった。
窓からそっと外を見つめ、ライチョウは何度も息を吐く。様々な事を考えているらしい。彼女が次に口にするのが何か、わたしは怯えつつ待った。
「分かっているね、カナリア」
やがて、わたしを振り返る事も無くライチョウは言った。
「私は別にあの女の首が欲しいと言う訳じゃないし、引き回す気もない。ただこの先の時代を生き残るには、あの女の力も必要なだけの事だ」
振り返らないまま、彼女は低い声で言う。
「カケスとかいうあの妾を殺したのは確かに私の落ち度だ。下手をすればこちらが殺されるという意識で気が立っていたせいもある」
だが、とライチョウはようやくわたしを振り返った。
「だからと言って、詫びて解放する気はない。君がもしも唄の力であの女を守ろうとするなら、私は一生お前達をあの地下牢に幽閉する。あの女と弟との縁が結ばれたとしても、もう出してはやらない」
強い意思を伴って、ライチョウは言い放った。
「それを弁えた上でなら二人きりにしてやろう」
ほくそ笑むようなその表情に込められているものは何だろう。けれど、何であろうと、あの夜カケスを殺した時のような、血に飢えた感情はもう抱いていないらしい。
「カナリア」
その名を呼ぶライチョウの声は何故か憂いを帯びていた。
手に持つ刃が日光を浴びて輝いている。その光は、生き物を傷つけて赤く染まることなど忘れてしまうくらいに、白かった。
「よく考えなさい。何が君の為になり、何が君の想い人の為になるか。古い時代の事はもう忘れ、新しい時代を生きるための事を考えなさい」
諭す様なその声に、わたしはゆっくりと頷いた。
彼女はどのくらいわたしの感情を捕えているのだろう。
どうして革命家になり、どうしてウグイスを捕えたのだろう。どうしてヨダカの屋敷を制圧しようと狙い、今は何をどのように考えているのだろう。
あらゆる疑問が浮かびあがり、消えていく。
知りたい事、訊ねたい事はいっぱいあったけれど、そのどれもがヨダカの身を守るという大義の前には、あまりにも薄いものだった。
そんなわたしの姿は、どのように映るのだろう。
ライチョウの視線が外れる。そっと、窓の外へと視線を戻し、外を見つめたままで、その深みのある渋い声を放つ。
「ウグイス」
張りのある声に背後にいるウグイスが小さく返答する。
その返答をしっかりと受け止めてから、ライチョウは命じた。
「先にカナリアを連れて行ってあげなさい」
囁くようなその声が、凍りついた部屋に光を灯した。
ウグイスに手を差し出され、立ち上がると、少々目眩がした。思っていたよりもずっとわたしは緊張していたらしい。
無言で促され、わたしは歩んだ。
退室する間、ライチョウはわたしを振り返りもしない。その後ろ姿をそっと脳裏におさめ、ウグイスの後を追った。
硬い扉が閉ざされると、ウグイスは真っ直ぐ歩き出す。
長い廊下が続く。
わたしの手を握るウグイスの手がやや汗ばんでいる。早足で進みながら、彼はそっとわたしを振り返った。
「――ねえ、カナリア」
小声でそっとわたしを窺う。
「君はヨダカの兄がどういう人か知っている?」
突然の質問に上手く答えられず、わたしは答える事も無く、ただ彼に引っ張られた。
そんなわたしを見つめたまま、ウグイスは続けた。
「ヨダカが周辺の人に崇められているのは確かだよ。でも、彼女の兄は違った。周辺の人を虐げ、揉め事がある度に力で解決してきた殿様だったそうだよ。そんな彼は憎まれてきたし、そんな彼を庇う妹も憎んでいる人は少なくない」
それは、此処よりも遠い場所での話。
けれど、確実に存在する人々の話でもあった。
「ライチョウ様はね、昔、その殿様の土地にいたんだ。そこで色々な憎しみを抱え、悲しみに襲われ、怒りを燃やした。それで、刃を手にする決心をしたんだ。そんな頃、僕は彼女に拾われた」
わたしは黙ったままその話に耳を傾けた。
長い廊下はまだ終わりを見せない。
「出会いはたまたまだった。歌鳥を暴力で支配しようとする悪漢から僕を助けてくれたんだ。輝かしいその姿は忘れられない。その時すぐに、僕は彼女への屈服を決めたんだ。これから先、ライチョウ様が刃を捨てない限り、彼女は死の影から逃れられない。そんな彼女をせめて僕自身が守っていけるようにって――」
庭園の中庭でわたしがヨダカを見た時とは状況がだいぶ違うのだろう。
「共に時を重ねるごとに、僕はライチョウ様の中に煌々と輝く星のような光を感じてきた。これから先の新しい時代、生き延びる力があるのはまさしく彼女だ。その輝きが衰えないように、僕はこれからもずっと心から彼女に仕える。これは、誓いの唄だけじゃない、本当の願いなのだって、僕は信じている」
強い言葉にわたしの心は揺らぐ。
何のコメントをする気にもならない。ただ初めて聞いた話を受け止め、このウグイスという青年とライチョウという女が辿ってきた道を想像する事しか出来なかった。
「カナリア」
ウグイスの視線がわたしから逸れる。
握られた手の力は変わらない。
「君がヨダカの手を取り、ライチョウ様を陥れようとするなら、僕は絶対に君達を許さない。ライチョウ様の為なら、歌鳥の本能を封印してでも君達の破滅を歌うつもりだから覚悟して」
優しかったウグイス。
同じ歌鳥として必死に庇ってきてくれた愛らしい青年。
そんな彼のはっきりとした敵意を受け取りながら、わたしは黙ったまま頷いた。
長かった廊下はもう終わりを迎える。




