クランベリー・ハートss 『あの頃の私を思い出して』
誰のss書こうかなと思った結果、いつかは書きたいと思っていたこの子にしました。
★
人を殺す前にすることがある。
自分の心を殺すことだ。
★
血だまりに沈む男を見下ろす。男の濁った双眼に光が灯ることは二度とない。
二度とないように、私がした。
鉄の匂いが充満する室内を見渡す。
品の良い調度品の数々に、場違いに明るい会話が垂れ流されているテレビ。ベッドシーツとカーテンは同じ色で、見れば履いているスリッパも同じ色だった。そのスリッパも、侵食してきた赤によってもとの色を失いつつあるわけだけど。
思わず頭を振る。
いけないいけない。余計なところに目を向けて、下手な同情心などが芽生えたら厄介だ。やることはやった。さっさとこの場を後にしよう。後処理はクローバーが手配しているはずだし、私のやるべきことはもう残っていない。
侵入した時と同じ、綺麗にくり抜いた窓へと足を向けて。
ふと、視界に入ってしまった。
血飛沫で汚れた重厚なデスク。
様々な専門書や資料が積み上げられたその先。
そこにあった。
家族睦まじく身を寄せ合った光景が写された、写真立て。
「―――っ!!!!!!!」
★
あくまでも冷徹に。
心を殺し、凍てつかせる。
ぬくもりを感じてはいけないのだ。
★
猫の抱き枕に顔を埋め、ベッドでごろごろしていた時のこと。
けたたましく鳴り響くクリアカードからの着信音に、私は顔を上げた。どれだけの時間そうしていたのかは分からない。室内の灯りが眩しいと感じるくらいには現実逃避していたのかな。
ため息を吐きながら、気怠い身体を起こす。鬱陶しく感じた自分の髪を払う。そこで気付いた。そういえば、下着のままだったっけ。
床に落ちたクリアカードを拾い上げ、ホログラムシステムをオフにする。着信画面に表示された文字は『シャル=ロック・クローバー』。用件は分かってる。どうせお小言でしょ。
出たくはないけど、出るまでこの着信音が鳴りやむことは無い。切ったところで、本人がここまで来るだけだ。私はもう一度ため息を吐きながら通話ボタンを押した。
「何」
『……クラン、ですよね? なぜホログラムシステムがオフになっているのですか』
「私、今シャワー浴びてたんだよねぇ。イタイケな少女の裸体でもみたいの?」
『幼気な少女などという年でもないでしょうに』
「あぁん? 何か言った?」
『いえ、何でもありません。ところで』
ところで、の辺りからクローバーの声のトーンが変わったのが分かった。
ちっ、誤魔化されなかったか。
『報告を受けました。まずは任務成功お疲れ様でした』
「どーも。で?」
どうせ、言いたいことは他にあるんでしょ。
『……自覚はあるようなので率直に聞きましょう。何があったのですか?』
「何があった、とは?」
『そこでとぼける必要はありますか? 誰にも気づかれる事無く無音で侵入し、暗殺まで成功させておきながら、最後の最後で窓ガラスを叩き割ったその理由を聞いています』
……。
改めて自分がやらかした内容を説明されると、心に来るものがあるね。
「別に。何も」
『何も無いということはないでしょう。むしろ、何かがあってもらわねば困ります。火消しがどれほど大変だったのか、分からぬ貴方ではないでしょうに』
分かってる。
分かってるよ。
『クラン、貴方はその若さで「トランプ」まで登り詰めた。実際に良くやってくれています。最年少はアルティア・エースではありますが、彼は例外ですからね。貴方の功績は誰もが認めるところ。私も貴方の働きには感心しているのです。ですが』
「あー、ごめーん。ちょっと眠気がやばいんで、それ以上は明日聞くネ? 始末書が必要なら明日以降に教えてちょうだい。今回の件が問題になるようだったら降格処分でも全然オッケーです。それじゃオヤスミっ! ちゅっ」
『ちょっとまっ』
クローバーが何やら言っていたけど、こっちの言いたい事だけ伝えてぶちっと切った。
静寂だけが残る。
やっちゃったなー、という思いが無いわけじゃないんだけど、正直なところ「そんなことどうでもいいや」と考えてしまう程度にはヤケクソな気持ちだった。
正論過ぎるお小言を聞き流せる余裕なんて、今の私には無い。
あぁ、もう目を閉じちゃだめだ。
あの写真がフラッシュバックしてきちゃう。
あの男にも当たり前のように生活があって。
あの男にも当たり前のように父親としての顔があって。
あの男を愛した妻がいて。
あの男をパパと呼び慕う子どもがいて。
その家庭を私はこわ――、
「あああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
感情のまま咆哮する。
振り上げた脚には無意識のうちに魔力が込められていたみたいで。折り畳み式の丸テーブルは呆気なくその原型を失くし、そのまま壁に激突して更に小さな破片へと姿を変えた。
この程度で感じるはずの無い疲労を覚えて倒れ込む。ベッドに身体を投げ出した私の頭に、先ほどまで顔を埋めていた猫の抱き枕が当たった。それを抱き込みながら、思う。
あの男は、2日後に宗教都市アメンで破壊工作を行う予定だった。そうクローバーから聞かされている。あの男を殺すことは正しかった。そうしないと、もっと多くの人たちが死んでいたかもしれないから。私はあの男を殺した。でも、それは正しかった。私は、多くの人たちを救うためにあの男を殺した。だから、私は正しかった。
正しい。
私は、正しい。
あの男を殺すことは、私の意思じゃなかった。私は、あくまで命令されただけ。そこに私の自由意思はなかった。だから、仕方が無かった。だって、私じゃどうしようもなかったのだから。本当なら、私に決める権利があったのなら――。
私は。
「お母さんが、私に向いてないよって言ってたワケ……、ちゃんと聞いておけばよかったかな」
抱き枕に埋めた私の口から漏れた声は、とても震えて聞こえていた。
殺せ。
殺せ。
自分の心を。
大丈夫。
大丈夫だから。
うん。
今日も私は、私でいられた。
いつまで私は、私でいられるのかな。
★
摩耗していくのが分かる。
自分の心が。
★
久しぶりに訪れた魔法学習院を後にする。
院長はランチに誘ってくれたけど、今の私はそんな気分じゃない。お母さんがまだ続けていなくて良かった。もし、あの場にお母さんがいたら、泣いちゃってたかもしれないから。
今日は講演会の講師として招かれた。
王族護衛『トランプ』直々の講演ということもあり、院生たちの熱気も凄かった。憧れだからね。学習院に通っていた頃の私も、きっとあんな感じだったのだろう。天才だなんだと謳われて鼻高々だった私は、あの頃からいつかは自分も『トランプ』の一員になるのだと信じて疑わなかった。
敵無しだった私を止めたのが、あのリナリー・エヴァンスだったのはちょっと気に食わないけど。それも今では良い思い出だ。つまりそれは、苦汁を舐めさせられた当時が良い思い出だと感じてしまうくらいに、今がクソみたいな状況ってことなんだろうけど。
私の言う綺麗事を、院生のみんなは必死に聞いていた。表面上のキラキラしたところだけを話す私に、果たしてあの中のどれだけの子が気付いたのだろう。少なくとも、当時の私は気付けなかった。気付いていたら、こんなことはしていない。魔法聖騎士団にすら近寄らなかっただろう。
のんびり駅に向かって歩いていると、クリアカードが震えた。
舌打ち1つ、懐から取り出して通話ボタンを押す。
「次は誰を殺すの?」
こんなの、私が憧れた『トランプ』なんかじゃない。
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削られて。
削られて。
削られて。
どんどん小さく歪んでいく私の心。
どうせなら、このまま無くなってしまえばいいのにね。
★
「なかなか有意義な時間だった」
孤児院の視察を終え、プライベートルームへと戻ってきたアイリス様は上機嫌にそう口にした。
「それはよう御座いました」
デスクを挟み、椅子に座るアイリス様の正面で跪く。
アイリス・ペコーリア・ラ=ルイナ・エルトクリア女王陛下。
まだ幼い身でありながら、崩御された父の後を継ぎ懸命に政務へと励んでおられる。私が、私たち『トランプ』が、何よりもまず最優先に守らなければならない魔法世界の至宝。
「お前を連れて行って良かった。まだ若いが故、子どもたちも馴染んでいたようだしな」
「身に余る光栄で御座います」
「若さで言えばエースだが、あやつはな」と呟くアイリス様の声を聞き、思わず小さく笑ってしまう。確かに、こういうケースではあの堅物は役に立たないよね。
護衛役とはいえ一緒に出向き、同じことを見聞きしていたにも拘わらず、アイリス様は嬉しそうに今日の出来事を話してくれる。
そうだ。
私は、この方の為に働いている。
この方の為に、働いているのだ。
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忠誠心とは、良薬にも猛毒にもなり得る。
依存心もまたしかり。
ただ、私にとってそんなことはどうでもよくて。
それよりも困っていることがある。
私のこの感情が、忠誠心なのか依存心なのか。
それが分からないのだ。
★
「ハート様!!」
「わりとしぶとかったね、こいつ」
口内に溜まった血を吐き捨て、そう言う。
私にとって、それは相手に対する最大限の賛辞だった。まさか、私が二度も地面に転がされるとは思わなかった。特注で作らせた自慢のネコミミフードは耳の片方がはじけ飛び、魔法服の至る所に付けて大切にしていた猫の缶バッチのいくつかも千切れてどこかへ吹き飛んでいる。
駆け寄ってきた聖騎士団へ目を向けた。
「後処理、よろしく」
「畏まりました。クローバー様より、終わり次第すぐに連絡を、と伝言を預かっております」
「はいはい、了解」
そう告げて歩き出す。
どうせ今日も1人殺したんだ。
それが2人になろうが3人になろうが変わりやしない。
これも全てはアイリス様のため。
私のこの行動が、めぐりめぐってアイリス様の功績に繋がる。
そうだ。
私の行動、その全てはアイリス様のため。
間違ってなんかない。
クローバーに連絡を取ろうと、懐に入れていたクリアカードに触れたところで何か異物を踏んだことに気付いた。石ころか何かかな、と思いつつ、足を上げる。
「あ」
缶バッチだった。
見るも無残な姿になった、私の缶バッチだった。
しゃがみ込み、それを拾う。デフォルメされた猫のイラストが描かれていたはずの缶バッチ。円形だったそれは3分の2ほどが千切れて無くなり、残ったこれもひしゃげて酷いことになっている。汚れたイラストからは、以前の愛くるしい笑顔を見ることは出来ない。
「これ……、お気に入りだったのになぁ……」
じわりと視界が歪む。
ダメだ。
泣いちゃいけない。
ここには魔法聖騎士団だっているんだから。
それに。
「私に怒る権利なんて、ないもんね」
私は、あの男から大切なものを奪った。
あの男から大切なものを壊されたって、文句は言えない。
そもそも、命と缶バッチだ。
向こうからすれば割に合わないに決まってる。
鼻をすすりながら立ち上がった。
手にした缶バッチは投げ捨てた。
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結局、殺せてはいなかったのだ。
自分の心なんて。
★
「お出迎えぇ? リナリー・エヴァンスの? 勘弁してよ!!」
ある日。
わざわざ私のプライベートルームまで足を運んできたクィーンとクローバーが口にしたのは、何とも面倒くさい内容だった。そもそも、私とリナリー・エヴァンスの確執をこの2人だって知っているはずだ。それなのに、なぜこの仕事を私に持ってきたのか。……私が一方的に苦手意識を持っていることも知っているからか。
「大体、あいつに用事があるのはクィーンでしょ? だったら自分で行けばいいじゃん。どうせ言ったところであいつ登城命令には絶対に応じないよ?」
王命ですら気分でドタキャンしそう。
そんな気すらしてしまうのだ。
クィーンからの登城命令なんて、街の喧騒程度にしか考えていないと思う。
「アイリス様から別件を言い渡されていてのう。他に動ける者はクラン、お主だけだったのじゃ」
けっ。
アイリス様の御名前を出せば私が頷くとでも思うなよ!
そう意気込みつつも。
「仕方が無いなぁ~」
その御名前を出されたら頷かざるを得ないでしょ。
手早く済ませてさっさと帰って来よ。
取り敢えず本人に用件さえ伝えればミッションクリア。後はあいつがどう動こうが私の責任じゃない。
「では、クラン。こちらを」
クローバーから差し出された物を受け取る。
「……クリアカード?」
「そうです。それをリナリー・エヴァンス、もしくは同伴者に渡してください」
なぜそんな必要が?
渡されたクリアカードは2枚。
起動してみると1枚目は『カガミ・ハナ』、2枚目は『T・メイカー』と表示された。
……T・メイカーってなにさ。
本名? 本当に本名なの? 親恨んでいいレベルじゃない?
「リナリー・エヴァンスの同伴者には、件の転移魔法者と『ユグドラシル』元メンバー、鏡花水月がいます」
クローバーからのその言葉に、自分の心の温度が下がっていくのを感じた。
最近では意識しなくても出来るようになった。
同僚に話せば、ようやくかと言われてしまうだろうけど。
「……つまり、リナリー・エヴァンスに会いに行くのは口実で、実際のところは転移魔法者の捕縛と鏡花水月の抹殺ということでオーケー?」
あいつを前にして、流石にそれは難しいと思うんだけど。私の心情を汲んだのかどうかは定かではないけど、クローバーは躊躇いなく首を横に振った。
「違います。2人はあくまで王城への招待客です」
「平気なの? 転移魔法者はまだしも、鏡花水月は犯罪者だよ」
これでアイリス様の御尊顔に泥を塗る結果になれば、打ち首どころでは済まない気がするんだけど。
「リナリー・エヴァンスが飼い慣らしているようですから、問題は無いかと。可能なら警告程度はして頂きたいですが」
「ふーん、了解」
本当に問題が無いのかは分からないけど、クローバーがそう言うならそうなのかな。クィーンや他のみんなが動けない理由、もしかすると護衛のため? それなら納得出来るね。ただ、私の想像が当たっていた場合、外れくじが私に回ってきたということになるんだけど。
まあ、どうでもいいか。
私の中で鏡花水月の優先順位が下がると同時に、別の興味が湧いてくる。
「で、転移魔法者ってなんて名前だっけ? まだ学生なんでしょ?」
「中条聖夜。日本にある青藍魔法学園2年生ですね」
中条、聖夜、ね。
よし、覚えた。
「彼らは明日、アオバ空港に到着します。こちらに、フライトの到着予想時刻が記載されていますので確認してください」
「オーケー」
クローバーから詳細が書かれた資料を受け取る。それで用件は済んだとクィーンとクローバーは出て行った。
「そういえば、スペードの奴が実力を見たいって騒いでたっけ」
ベッドに転がりながらそんなことを思い出す。
馬鹿ではあるが、スペードの実力は本物だ。そのスペードに実力を見たいと言わせるということは、少なくともただの学生の実力ではないのだろう。
「ふふっ、ちょっと楽しみかも」
私だって、学生の頃は色々とやった。
院長の娘ということもあって最初の頃は自重してたけど、途中から入ってきたリナリー・エヴァンスがあちらこちらでやらかし始めるものだから、居ても立っても居られなくなったのだ。
中条聖夜。
腐っても『トランプ』の一角から目を付けられるレベルなら、並みの学生ということはあり得ない。実力が突出している者は、学園では浮く。それは実体験からよく分かっている。
「面白い子だといいなぁ~」
色々と話してみたい。
それに、もしかすると。
キラキラしたものだけを見て。
キラキラしたことだけを信じていた頃の私。
そんな私を思い出せるかもしれない。
いつも応援ありがとうございます。
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SoLa