127話
最初の配送先に到着し、トラックの荷台からカゴ車を降ろしながら、ずっと気になっていた問いを投げかけてみた。
「どうして、この仕事を始めたんだ?」
「えー、今それ訊きます?」
わざとらしく眉を寄せた樹里だったが、手元の伝票をパラパラとめくりながら「ライブの遠征代っすよ。最初は」とだけ言って、口をつぐんだ。
そっぽを向いた拍子に、ピアスの痕だらけの耳たぶが見えた。
「今は行ってないのか」
「ハタチ過ぎてバンギャ続けるって、相当根暗か病んでる子じゃないと無理っすから」
静まり返った夜の店内へ向け、二つの影を長く引いてカゴ車を押していく。舗装の途切れた段差に車輪を取られそうになるたび、横からすっと樹里の手が伸び、添えられた体温が伝わってきた。
「さっき、喧嘩して離れてた友達と仲直りしたとか言ったじゃないっすか。あれ、半分うちの話なんです。女子校時代のバンギャ仲間で」
なるほど。そういうことか。当てずっぽうにしては、妙に具体的だと思っていた。
「それがこの前、mixiで見つけたんすよ。今バンギャって、みんなあそこにいるんで。昔のライブネームのまま登録してる子がいて、そっから芋づる式に全員。みんな普通に働いてて、ママになってる子までいて」
軽い口ぶりのわりに、箱を数える指は途中で止まり、頭から数え直している。
「根暗だったくせに、ちゃんと大人になってるんすよ。なんか、ずるくないっすか」
樹里がレジに立つ眠たげな店員に伝票を差し出して受領印を待つ間、カゴ車に積まれた菓子の段ボールが目に入った。
自分だって同じだ。
叶うことなら、なけなしの小遣いで買ったビックリマンチョコを等分し、四日もかけて大事に食べていたあの頃に戻りたい。
店を後にし、荷台の重い扉を閉めてラッチを掛けた時、一丸の口から思いがけない言葉がこぼれた。
「……樹里は、何でおれにかまってくれるんだ?」
「何でしょうね。先輩、実はかまってちゃんだから?」
「誰がだよ」
「あ、でも」
樹里の声のトーンが、わずかに下がる。
「先輩が先にこの地獄を抜け出してくれたら、うちも後に続こうかな、なんて」
言い終えるなり足元へ落とされた視線からは、それが冗談なのか本気なのか、いまいち読み取ることができない。
それから樹里は、トラックの側面に背中をもたせかけた。
「うち、劇場時代の先輩に憧れてるんすよ」
「……おれに?」
樹里は、迷いなく頷いた。
「毎日誰より早く来て、照明の点検して、本番の練習して。開演前には大道具さんや音響さん、ほかの裏方の人たちから、清掃のおばちゃん、案内のスタッフ、支配人まで、劇場内全員に挨拶して回って。そりゃ、みんなに慕われますわ」
そんなことか、と思う。
「おれは必死だっただけだけどな」
同期は皆、専門学校で照明や音響を学んできた連中で、右も左もわからない素人は自分一人きりだったのだから。
「まあ。何かすごい人いるなと思って、後で他の先輩から、高卒でコネ入社って聞いた時はたまげましたけどね」
まだ可愛げのあった己の十代が急に懐かしく、そして眩しく思えて、つい笑みが漏れた。
「知識なんか、お前の半分もなかったからな」
「その代わり、うちは誰とも口きけませんでしたけどね」
そうだった。そんな新人の樹里が劇場になじんでいったのも、一丸が挨拶回りに半ば無理矢理同行させるようになってからのことだ。
しばし感慨にふけっていると、肘で脇腹を小突かれ、しんみりしかけた空気が柔らかく混ぜ返された。
「……そんな顔されたら、好きになっちゃうじゃないっすか」
「からかうなよ」
返事の代わりに小さな笑い声を残し、樹里は背中を離して助手席へと向かっていった。
中間地点にある歌舞伎町の店舗に着いたのは、時計の針が午前二時を回ろうとする頃だった。




