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古都怪異帖(千年の時を超えて語り継がれる、京都の怪異譚集)  作者: カトラス


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『三十三間堂の残響』

 それは、たまたま訪れた京都旅行の三日目だった。

 夏の終わりの午後、私は三十三間堂にいた。


 千体の千手観音像が並ぶ荘厳な空間。

 天井の高みからさす陽光が、仏像の金色を淡く照らしている。

 カメラを構えるのもはばかられるような、静けさと神々しさ。

 観光客の数も少なく、館内には足音と囁き声だけが響いていた。


 ふと、私は“それ”に気づいた。


 千体仏の列の隙間、ちょうど中央付近。

 何かの“気配”が、ある。


 風がないのに、袈裟の端が揺れた。

 そして──視界の奥に、黒と赤の影が入り込んできた。


 武士だ。

 髷を結い、裃(かみしも)姿。

 だが、その時代錯誤の姿は、現代人が着た仮装などではなかった。

 どこか、ぬめりとした輪郭の不確かさと、決して“生きていない”気配。


 「──尾張か」


 低く、怒気を含んだ声が空気を震わせた。


 「討たせてもらうぞ、紀州よ」


 空間が、割れた。

 それは“幻”などではなかった。


 千体仏のあいだから、二陣の武士団が現れたのだ。

 黒と赤の陣羽織、槍、刀、脇差。

 そして、睨み合い。


 私は、動けなかった。

 時間が止まったように、ただそこにいた。


 「これは……昔の……あの、武者射ち?」


 三十三間堂は、かつて武士たちが弓の腕を競い合った場だった。

 中でも有名なのが、尾張藩と紀州藩の弓術競技。

 名誉と立場をかけた対決。

 だが、記録には残らぬ“争い”が、あったのかもしれない。


 突如として、場が爆ぜた。

 掛け声とともに、互いの武士が交差し、斬り合いを始めたのだ。

 音はなく、だが動きは明瞭。

 床に刀が当たることも、叫び声も、ない。

 まるで“無音の劇”を見せられているかのように。


 けれど私は、はっきりと“血の匂い”を感じた。

 古びた血が、木床に染みたような、鉄錆の臭気。


 そのとき、千体仏の一体が、こちらを向いたように見えた。

 無表情で、ただ、首だけが、ゆっくりと──私を。


 「ダメだ」


 誰かの声がした。

 女の声。はっきりと、耳元で。


 「見たら……戻れなくなるよ」


 その瞬間、視界が弾けるように真っ白になり、私は気を失った。


 目を覚ますと、外の縁側に寝かされていた。

 係員が心配そうに覗き込んでいた。

 「暑さにやられたんでしょう。気をつけてくださいね」


 私は頷いたが、汗が止まらなかった。


 後日、地元の図書館で調べると、確かに尾張藩と紀州藩が三十三間堂で弓競技をした記録はある。

 が、その年──ある武士同士が、互いに矢を向け、館内で斬り合いとなったと記された逸話が見つかった。


 双方とも重傷を負い、その場で亡くなったという。

 事件は幕府の命により“無かったこと”にされた、と。


 あの日、私が見たのは“その時”だったのだろうか。


 それ以来、私は三十三間堂に足を踏み入れていない。

 たまに、夢の中であの千体仏の列に立つことがある。

 そのときは決まって、武士たちの斬り合いの中に、自分がいる。


 そして、背後からあの声がささやくのだ。


 「見た者は、並ぶのだ」


 「ここに、永遠に──」



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