『千の顔、千の声(愛宕念仏寺)』
羅漢って、なんであんなにたくさん必要なんだろう。
小学生のとき、修学旅行で愛宕念仏寺に来たとき、私はそう思った。
ずらっと並んだ石像たちは、どれも違う表情をしていて――
まるで“生きてるみたい”で気味が悪かった。
でも、大人になった私は、それを「アートだ」と思い直して、再び訪れることにした。
友人と一緒に京都に旅行して、嵯峨野の山あいまでやってきたのだ。
……本当は、来る予定じゃなかった。
でも、急にスマホの地図がこっちにルートを引いた。
まるで、「呼ばれた」みたいに。
石段を登ると、羅漢たちが並んでいた。
昼間なのに、どこか暗い。
湿った空気。
苔むした像たちは皆、こちらを見ているようだった。
ふと、友人が言った。
「……ねえ、いま、喋らなかった?」
「え?」
「石の間から、なんか声が……『かえせ』って……」
「やめてよ……冗談でしょ?」
そう言って笑い飛ばしたけど、
その瞬間――私の背中に、氷の指が這った。
一体の羅漢が、微笑んでいた。
その笑みが、さっきと違う気がした。
私は足を止め、そっとその羅漢に近づいた。
どこかで見たことのある顔だ、と思った。
でも、思い出せない。
それでも、涙が出そうになった。
「……知ってる。あなた、誰か……知ってる……」
友人が声を上げた。
「やばい、動いた! 一瞬、首が動いた!」
そのとき、風が吹いて、木々がざわめいた。
耳元で、何百人もの声が一度にささやいた。
「ここにいる……
わたしは、ここにいる……
あなたも……こちら側だろう?」
私たちは走って寺を出た。
ふもとまで一気に下りて、やっと息をついた。
でも、私は知っていた。
あの羅漢像の中に、自分の顔”があった。
あれは私だった。
私の、まだ“この世に生まれていなかったはずの姿”。
それ以来、夢の中に羅漢たちが出てくる。
一体一体が、違う人生の私を語る。
戦で死んだ私。
飢えて泣いていた私。
火に焼かれた私。
子を抱いて逃げた私。
誰にも看取られず、ひっそり死んだ私。
千の人生を経て、ようやく今、私はここにいる。
だけど――
まだ、帰ってこない“私”が、羅漢の中にいる。
また、呼ばれている気がする。
行かなきゃ。
あの像の隣に、自分の「まだ知らない顔」があるから。
あの千の中に、私の残りの人生が刻まれている。