第十四節
藤崎は身の危険を感じ、刀を具現化しようとした。
それよりも早くマッシュヘアの男が駆け寄ってくる。最初に右手、次に左手、突然屈んだかと思いきや、今度は一周回り、回し蹴り。
避ける事が精一杯で、刀を具現化出来ない。そこに集中する暇がなかった。
「得物を出さないのか?人払いの術を敷いている。ここには誰もいない」
煽られ、睨み返す。
「あぁ、素手だから加減してくれてるのか。なら──」
マッシュヘアの男は、わざとらしく藤崎に告げた後、懐から取り出すように、傘を具現化した。これで良いだろうと言わんばかりに軽く鼻息を鳴らしていた。
「いや、俺はそもそも貴方と争うつもりは──」
「まだ言うか」
マッシュヘアの男はため息をつき、傘を畳んだまま、先端を藤崎に向けた。
「こっちはもう、そのつもりだぜ。腹ぁ括りな」
突きつけた傘を上に掲げ、すぐに藤崎に対し振り下ろした。男の一振りを藤崎は間一髪で避け、間合いをとった。その後、男が大きく振り回す傘を避けながら刀を具現させた。
藤崎が刀を出した途端、男の目つきが変わり、打撃がより速くなった。受け流そうと思っていても、男の打撃が迫る時に身が硬直し、うまく受け流す事ができない。不自然に防いでしまう為、腕が痺れてくる。
「張り合いねぇなぁ。もっと本気出せよ」
挑発しながら傘を振り回してくるマッシュヘアの男に、藤崎はだんだんと苛立ちを覚えた。次の男の大振りで彼の懐に入り、刀を突き刺そうとした。
刹那、彼の頭の中で駄目だと声が響く。驚愕と当惑で頭が混乱した藤崎は刀の具現化を中止し、何もせずにマッシュヘアの男から離れた。
マッシュヘアの男は怪訝な顔を見せながら藤崎にガンを飛ばした。
「待て、松林」
老人がマッシュヘアの男に声をかけた。男の名前は松林と言うらしい。
「その童、どうも加来の言っていた奴と違わんか?」
「なに?……だが加来の言っていた青髪の小僧は確かにこいつはずだが……」
「見てくれは合っている……だが、彼女の言うことは鵜呑みにすべきではないのかもしれない。それに、ナオミが見つかったらしい」
「なんだと」
聞き返した松林に老人は手でサインを送っていた。場所は今より西の方のようだ。
「ちっ、お預けってことか」
松林は閉じていた傘を広げ、自分と老人をその中に入れた。
「……覚えておけよ」
捨て台詞を吐いた松林は、傘を広げたまま振り回し、その場から姿を消した。彼らの姿は傘の影に隠れ消え去り、その傘は突然吹かれた風に乗り、上空へと舞い上がって消えた。
脅威がなくなり、藤崎はひとまず高架下で青星へ電話をかけた。
「やっとかかった。繋がらないからどうしたものかと思ったけど……それより、百貨店まで来てくれないか!?高尾さんって人が今見つかった。ただ、彼女は今ビルの上にいてね……」
「ビルの上に?」
電話越しに伝わった言葉が空耳ではないか、藤崎は聞き返した。直前までいた松林達の事を青星に伝えなければならなかった。
「待ってください。だとすれば高尾部長を探してるイビトが近くにいるかもしれません!気をつけて」
「あぁ、わかった。ありがとう」
通話は終わり、藤崎は北口バスロータリーへ駆け出した。
気がつけば、再び通行人とすれ違うようになったが、その事に気にかける余裕はなかった。閉店していたお店も先ほどまでいた場所だけだったようで、ロータリー付近はいつもと変わらない賑やかさを見せていた。
通勤帰りの会社員や学生を避けながら、西へ西へ進む。時折、上空を見上げながら。
曇天のビルの間に高尾を見つけたのは、駅の最西端を潜る都道でだった。彼女は何故かビルの屋上にいた。通りの人々は誰も彼女に気にかけることはなかった。
藤崎は一度高尾に声をかけたが反応はない。
直後、藤崎を呼ぶ声がした。振り返ると、高尾が立っているビルの入口に佐藤が待機していた。
「青星さんは?」
「ビルの警備員さんに話をしてくれてるらしい」
佐藤が説明した直後、ビルの中から青星が二人に声をかけてきた。
「お待たせ。行くよ!」
青星に連れられ、ビルの屋上へ向かう。警備員が扉の鍵を開け、外へ出た。
屋上にはフェンスはなく、高尾はビルの縁に立っていた。背筋が凍り、言葉が詰まった藤崎の隣で佐藤が高尾の名前を叫んだ。
「高尾!!!」
藤崎は初めて佐藤の大きな声を聞いた。その彼が切羽詰まった顔を見せているのも。そもそも彼が焦燥感に駆られている事自体、初めてだった。
向かいのビルへ向いていた高尾が、ゆっくりと振り返ってくれた。彼女の瞼は半分下がっていて、眠たげだった。心配になった佐藤は高尾へ駆け出した。藤崎達も後に続く。身体の向きをこちらへ向き直した途端、彼女はその場で崩れ落ちた。床に伏す直前で、佐藤が彼女の身体を受け止めた。
「ひとまず中へ」
警備員が皆に声をかける。彼の言われた通り、一同は室内へ戻る。
最中、藤崎は辺りを見回した。先程まで争っていた松林や老人の姿はなかった。
「……君が出会ったイビトはいたかい?」
側で同じように見回していた青星に尋ねられ、藤崎は首を横に振った。青星がそうかと一言もらすと、警備員が催促してきたので、二人はビルの中へ入った。
「様子は?」
先に室内に入っていた佐藤と警備員に青星が尋ねた。
「寝ているみたいですな。先程までのは夢遊病で徘徊していたようで……発熱などはないようですな」
「なんであの場所にいたんだ……」
「それもまた不思議ですな。この屋上に続く鍵は警備員しか持っていないので、中から来ることは到底できませんからなぁ」
佐藤に答えた警備員は腕を組み唸っていた。
「ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、とんでもない。ご報告有難うございます。それで彼女達は……」
「あとは私達で送りますので、大丈夫です」
「そうですか。では入口まで送り届けましょう」
警備員がそう告げた直後、高尾が唸り声をあげた。
再び佐藤や藤崎が呼びかけると、彼女は佐藤に身体を預けたまま、ゆっくりと瞼を開けた。
「……あれぇ、佐藤くん?藤崎くんもいるー」
寝ぼけているような言葉を聞き、佐藤は呆れと安堵が混じったようなため息を漏らしていた。
藤崎も一息吐き、尋ねた。
「部長、痛いところとかないですか?」
「んぇ?痛いところ?……特にないけど…………」
高尾は目で見える範囲で周囲を見回した。自分の知らない場所にいる事に気がつき、彼女は起き上がった。
「どこここ?図書館じゃない!?……ドッキリ?」
「ドッキリではないかな」
斜め方向な問いかけをする高尾に佐藤は笑いながら答えた。
「無事なら良かった。とりあえず帰ろう」
「……うん、帰ろう」
佐藤に手を差し伸べられ、高尾は元気に答え、その手を握った。
先程までの様子が嘘だったかのように。