巡礼者の歌<5>
「もちろん、お前が良ければの話だがよ」
「でも、ジェファさん、2356歳だって」
父さんが目を丸くした。
「そ、そうか……。まあ、妖精族だからな……、歳はしかたねぇさ」
「それに巡礼者だから、きっとまたどこかへ行っちゃうよ」
「ああ、わかってる。たぶん結婚は断られるだろうよ。だからその後で一緒に暮らすだけでもいいからって言うつもりだ」
父さんは悪戯っぽく、片目をつぶる。
「――よく覚えとけ。最初に難しいことをふっかけといて、断られた後で、控えめの本当にして欲しいことをもちかけんだ。そうすっと相手は断り難くなんだよ。こいつは、お前が商売するときにも使えるからな」
「それでもさ……」
「ああ、わかってる、だからもう一押しするぜ。俺が死ぬまで、いや贅沢は言わねぇ、お前が大人になるまででいいからってよ」
「父さん……」
「お前もあの人が好きだろ。再婚すんならよ、俺が好きってだけじゃダメなんだよ。お前も好きじゃなきゃな……」
父さんの想いが心にしみわたった。
ジェファさんだけでなく、僕のことも大事にしてくれてるんだなって。
たしかに彼女が母さんになれば良いなって思ったこともあったけど……。
今はちょっとわからなくなってる。
父さんとジェファさんが、あんなことになったとき、とても辛くて嫌な気分だった。
たぶん、嫉妬してたんだと思う。
ジェファさんと一緒に暮らすってことは、それを受け入れなきゃならないってことだ。
うつむいたまま、返事ができなかった。
「悪かったな、いきなりこんなこと言ってよ。まあでも、考えといてくれ」
父さんは僕の背中を軽くたたいて、部屋を出て行った。
どうしたらいいかわからず、ふとんにもぐりこむ。
三人での生活は、きっと楽しいとは思うんだ。
でもジェファさんと父さんが幸せそうにしているのを、心から喜べるだろうか。
頭がズキズキした。
とりあえず、考えるのをやめよう。
明日はジェファさんと西の谷に行かなきゃならないんだから。
でも結局、明方まで眠ることができなかった。
朝、ほとんど眠れないまま、寝台から出て台所に行った。
父さんはもう起きていて、仕込みをしている。
冷たい水で何度も顔を洗って、無理やり頭をすっきりさせた。
弁当と水筒を雑嚢に入れ、山刀を腰にさして準備万端だ。
「気をつけて行ってこい。ジェファさんによろしくな」
父さんが包丁を振って送り出してくれた。
中央通りを西に向って歩く。
待ち合わせ場所は、アシミ山への道と中央通りが、ぶつかる三又のところだ。
僕の姿が見えたのか、先に来ていたジェファさんが手を上げてくれた。
つやつやの青い髪が太陽の光でキラキラしている。
「おはよう、キツォス君」
「おはようございます」
相変わらずジェファさんは綺麗だ。
でもいつもと違うところが一つ。
小物入れが付いた革製の帯を腰に巻いていることだ。
「では、行くとしよう」
先頭に立って歩き出すジェファさん。
なんだか少し急いでいるみたいだ。
やっぱり、探していたものが見つかりそうなんで、嬉しいのかもしれない。
中央通りを西に抜けて、谷へ向かう小道に入る。
もうその辺りに人家はない。
ただ薪や山菜なんかを採りに来る人がいるから、そんなに森が深いってわけでもないんだ。
歩きながら、昨日、父さんに言われたことを考えていた。
前をいくジェファさんの背中を見つめる
父さんに結婚を申しこまれたら、彼女はどうするだろう。
深呼吸して気持ちを落着け、それとなく聞いてみることにした。
「ジェファさん」
「なにかね」
「ジェファさんて、結婚したことあるんですか?」
立止まったジェファさんは振り返り、きょとんとした顔で僕を見た。
「君は、いつも唐突だな。なぜそんなことを聞くのかね」
「ずっと一人で旅をしてきたって言ってたでしょ。旅をする前は家族がいたのかと思って」
すこし困った風に目を閉じ、ジェファさんは大きく息を吐いた。
「――私は君らの言う『結婚』というものをしたことはない。もともと妖精族には、結婚という制度がないのだ……」
言いながらジェファさんは、また歩き出す。
話を聞くために、横に並んだ。
「――だが類似した制度はある。それは『ニキャ』と呼ばれるものだ」
「ニキャ?」
「そうだ。男と女が、子供を授かるまで同居するという契約を結ぶことを言う。契約は、いつでも破棄できるし、延長することも可能だ。――私達の寿命は長い。長すぎると言ってもいいほどだ。だから君らのように、一生添い遂げるという考えは一般的でないのだよ」
「じゃあ、その『ニキャ』の相手もいなかったんですか?」
「ああ。『ニキャ』の適齢期に、『災厄の時』を経験してしまったものでね。そんな気持ちになれなかったのだ」
「もし今誰かに『ニキャ』を申しこまれたらどうしますか?」
「今かね……。私はもう2500歳になろうとする老人だ。『ニキャ』の適齢期は、とっくに過ぎている。断るのが妥当だろう」
「相手が妖精族じゃなくて、パトリドスとか人間だったらどうですか?」
そこでまたジェファさんは足を止めた。
彼女は首だけを横に回し、僕を上から見下ろすように見つめる。
初めて見る彼女の表情。
背筋が冷たくなっていく。
以前、村に物乞いの老婆がやってきて、施しをもらおうと家々を回っていたことがあった。
村の人は老婆を追出そうと暴力をふるった。
幼かった僕は、ただ見ているだけしかできなかった。
傷だらけになった老婆が村から出ていくとき、一瞬目があった。
ジェファさんの表情は、そのときの老婆とそっくりだった。
頑なで冷たくて決して溶けることがない氷河のような目つき……。
「――キツォス君、冗談でも、そういうことは言わないでくれ」
「す、すいません……」
2000年以上の時間を生きてきた彼女。
きっと僕らの想像を超えた苦しみや悲しみを経験してきたんだと思う。
100年たらずしか生きられない僕らが、それをわかろうなんてどだい無理な話なんだ。
結局、この話は、そこで打切りになった。
谷に近づくにつれて、森は、どんどん深くなっていく。
ゆるやかな上り坂を越えると、こんな山奥には似合わない立派な吊橋が見えてきた。
その頃には、周りのほとんどが、手つかずの古い森に入替わってる。
橋の前に、いかつい男が立っている。
男は側までいくと、怖い顔で道をふさいだ。
「何のようだ」
そいつは以前、ジェファさんにひどい目にあわされた固太りの男の手下だった。
僕は丁寧に、お辞儀をした。
「橋を渡って向こう側に行きたいんですけど」
「そりゃダメだな。この橋は国の関係者以外、通行禁止だ」
「そんなぁ。――ただ渡るだけで、皆さんの邪魔はしませんから」
「ダメなもんは、ダメだ。 国の命令で決まったことだからな」
吊橋を通れると思ってたのに、あてがはずれた。
これじゃ向こうに渡れない。
どうしようか考えてるとジェファさんが、するすると進み出て、男の目の前に立つ。
驚いた男は飛び退いた。
「な、何しやがる!」
「――どこの国でも小役人という奴は、つまらんな。お前の命など、シラミと変わらんのだぞ」
「なんだとっ!」
顔を真赤にした男は腰から銃を抜くと、ジェファさんに銃口を向けた。
「国の命令に逆らう者は、射殺が許可されてるんだぞ!」
「銃か……」
ジェファさんは首を振りながら、溜息を吐いた。
「これだから、パトリドスは厄介なのだよ。私達の力が通じないうえに、私達の命を絶やし得る武器を持っている……」
「何を言ってやがる! はむかうつもりなら、本当に撃つぞ!」
僕はジェファさんの前に出て、頭を下げた。
「わかりました。橋は渡りません。――ただ、この道の先に行きたいんですけど。それは良いですか?」
「ああ、そっちは関係ねぇからな」
「行きましょう」
ジェファさんの手を引いて橋の前を通り越し、道の先へと進んだ。
「――どうするのかね、キツォス君。これでは向こうに行けないぞ」
「ジェファさんは、どうしても墓を見つけたいんですよね」
「そうだ」
「少し怖くても、大丈夫ですか?」
「ふむ、もう1000年近く、怖いという感情を持ったことがないが……。どういうことかね」
橋が見えなくなるほど奥に進むと、例の大木が見えてきた。
こっちと向こうの木を繋いでいる蔦は、ちゃんと残ってる。
僕は蔦を指差した。
「あの蔦を使えば、向こうへ行けるんですけど」
「なるほど……。君はあれで谷を渡ったことがあるのかね」
「はい、何回か。――ただ、大人がぶらさがったら切れるかもしれません」
ジェファさんは大きくはないけれど、やっぱり大人の体格をしている。
あれじゃ渡りきれないと思う。
「だから、まず僕が先に渡って、太い蔦を三、四本見つけてこっちへ投げます。ジェファさんはそれを束ねてから、木にしっかり結んでください。それなら大人が渡っても切れないと思います」
「ふむ、跳び移るには谷の幅が広すぎる……。あの者を呼ぶにも力が足りん……。面倒だな……」
意味不明の独りごとを言いながらジェファさんは谷にかかる蔦を眺めてた。
そしてふいに走り出すと、跳び上がり、大木の枝にぶらさがったんだ。
「ジェファさん!」
驚いている僕などおかまいなく、ジェファさんは腕の力だけで胸の下に枝がくるまで身体を引上げる。
そこで足を振って勢いをつけると、一回転して枝の上に身体をのせた。
次に、右足を枝にかけてから手を放し、跳び上がるようにして頭上にある次の枝につかまる。
何度かそれを繰り返したジェファさんは、とうとう蔦のある所まで登ってしまった。
「君も来たまえ」
ジェファさんは息を切らしてもいなかった。
不恰好によじ登って蔦のある枝まで、もう少しというところまでくると、ジェファさんが手を差出してくれた。
つかまったとたん、もの凄い力で引上げられる。
「木登りは久しぶりだ」
そう言いながら僕を引上げると、彼女は不安定な枝の上に、すっと立上がった。
どこにもつかまらず、地上にいるのと変わらない動きだ。
僕の方は落ちるのが怖くて、股の間に枝を挟んで座ってるっていうのに。
「先に行く。君は後からゆっくり来るといい」
「えっ……?」
声をかける間もなく、昔パゲトナスで見た綱渡りの曲芸みたいに、ジェファさんは蔦の上をすべるように歩いて難なく渡ってしまった。
こういうのが怖いかなと思って、大丈夫ですかって聞いたんだけど、そんな必要なかったみたいだ。
その後、彼女の五倍ぐらいの時間をかけて、蔦にぶらさがって谷を渡り、なんとか僕も向こう側にたどりついた。
木を降りた、僕らの前には、より一層暗くて深い森が広がっている。
たとえジェファさんでも、一人じゃ窪地にたどりつけないと思う。
進んでいくと、山刀で傷つけた木、地面に並べた小石、結んだ草なんかの目印を見つけた。
前に来たとき、つけておいたものだ。
これがなければ、僕も迷っていたかもしれない。
最後につけた目印があったので、あのとき狼と戦った場所に到着したみたいなんだけど、そこは以前と景色が違ってしまっていた。
座って弁当を食べた大きな石が無くなっていて、代わりに木造の家が建ってる。
国の事務所じゃないかな。
「これが事務所ということか」
ジェファさんは、つまらなそうに言った。
「たぶんそうだと思います。――見つかったら、銃で撃たれるかもしれません。窪地は、この事務所の向こう側ですから、森から出ないように右側へ回りこんで行きましょう」
木の陰に隠れながら慎重に右手の森を進んだ。
窪地に降りる階段のところまでくると、そこの景色も変わっているのに気づいた。
岩を削っただけの粗末な階段だったのに、木の手すりがついてるんだ。
どういうことだろう?
窪地に降りる必要があったってこと?
まさか、あの金属の扉のせい……?
「下にも建物があるようだが」
窪地を覗きこんだジェファさんが言った。
底に事務所よりも大きな建物の屋根が見える。
「なんで、こんなところに建てたんでしょう?」
「思うに、人目を避けるためだろう」
「人目を避ける? 銀山の調査をするのに、そんな必要あるんでしょうか」
「銀山の調査だけなら必要ない。だが、他に、よからぬことをしているのなら別だ」
「よからぬこと……」
だとしたら橋を通さない理由もわかる。
通行を自由にしたら自分達のしていることがバレてしまうから。
もしかするとエウゲンがここに建てるのを強行したのは、そのため……?
「何をしてるんでしょう?」
「下りて見ればわかるだろう」
「えっ、下りるんですか?! やめた方がいいんじゃ?」
「ここまで来て帰るつもりはない」
「でも、あいつら銃を持ってますよ」
「ならば君はここにいたまえ。私だけで行ってこよう」
ジェファさんが僕に背中を向けた。
そのときなぜか、こう思ったんだ
ここで別れたら二度と彼女に会えなくなるって。
だから、怖かったけど、ついて行こうって決めたんだ。




