第三十三話 台風式幼馴染
昨晩はよく眠れた。精神的にも肉体的にも疲労が極限に達していたからだろう。
家に帰ってすぐに倒れ込む様にベッドに沈んだ。
学校の休みな土曜日ということもあって、遅くまで眠っていようと思ったんだけど――
「晴信、起きろ~!」
何かからの攻撃で意識が覚醒した。
ゆっくりと瞼を開く。しかし視界は暗いままだった。
それもそのはずで、顔の上に何か柔らかにものがぶつかってる感触がある。
そのまま手触りで確認したところ、どうやらクッションらしい。
「朝っぱらずいぶんバイオレンスだな」
それを投げ飛ばして、俺はゆっくり身を起こした。
目の前には、贔屓目に見積もっても中学生くらいの雰囲気を醸し出す少女が立っている。
肩越しにいつもの長い髪は見えないから、一つに束ねているらしい。
パーカーにロングのスカート姿というラフな格好で、腰に手を当ててこちらを睨んでいた。
「起こしてあげたんだから、感謝ぐらいしなさいよ。
こんな美少女に起こしてもらえるなんて幸せでしょう?」
「これはご丁寧にありがとうございました」
疑義はあったが、とにかく素直に頭を下げた。
頭がまだボーっとする。
「ええ、どういたしまして」
彼女は得意げな笑みを浮かべると、裾を少し持ち上げて気取ったお辞儀をして見せた。
「学習発表会の主役がエンドロールでやりそうな仕草だな」
「なによそれ……」
俺の物言いに彼女は眉をひそめた。どうやらお気に召さなかったらしい。
自分でもあまり何を言っているかわからないから仕方がない。
枕元の目覚まし時計を確認すると、なんと時刻は八時半を少し過ぎたところだった。
俺の計画では十時くらいまで眠りの世界で戯れていようと思ったのに。
快眠を妨げられて、気分は最悪だった。どうにも全身に倦怠感も残っている。
この幼馴染も昨日は同じ体験をしたはずなのに、どうしてこうも元気なのだろう。
彼女の姿に疲れた様子は一切なく、普段と変わらず全身から活力が滲み出ていた。
それを見て、ものすごいげんなりする。
こいつによって無理矢理目覚めさせられた日はろくなことがない。
大抵、一日中連れまわされるのが恒例となっていた。
それでもいつかの時に早朝叩き起こされた時よりましだったが。
朝五時くらいにひっきりなしに電話をかけてきやがった。
それ以来、スマホは寝る時スリープモードにしてある。
「で、今日は何の用だ?」
「なんだと思う?」
憎たらしく奴は首を傾げた。
「じゃ、お休み」
相手にするのが億劫で、俺は現実との繋がりを立つことに。
再び布団の中に潜り込んで、きつく目を閉じた。
「だから、起きなさいってば!」
二度目のクッション攻撃、さらには掛布団まで引き剥がされて。
挙句この女カーテンまで開けやがった。
窓から朝の陽ざしが直接俺に降り注いでくる。眩しさでじっとしていられない。
なので、そのままベッドの上でもだえ苦しんでみた。
「そんなに苦しんで、もしかして吸血鬼ごっこ?」
「お前じゃあるまいし、ごっこ遊びなんかしねーよ」
「あたしだってしないもん!」
そんなに子供じゃないらしい。新発見だった。
とにかく、最早完全に意識は覚醒しきってしまった。
依然として、だるさはあるがもうひと眠りしたい程でもなく。
せっかく貴重な二度寝の機会だったのに見事に台無しにされてしまった。
『春眠暁を覚えず』とはよく言ったもので、この時期の眠りは楽しいのに。
観念して、俺は寧音に付き合うことにした。
「いらっしゃいませ~って、ぼっちゃんとお嬢さん!」
フジミベーカリーでは、エプロン姿が最高に決まった太めのおじさんに迎えられた。
しかしホントにまだ数日しかたたないのに、よくこの店に馴染んでいる。
店内の人の数はまばらだった。昼にはまだ早すぎる時間だったからだろうか。
それに、陳列されているパンの数も少ない。
「先程ピークは終わりましたからな。それに丁度進殿の小休止の時間なので」
トネリコによれば、そういうことらしい。
とりあえず、奴の手が空くのを待つ。
苛烈な一日の始まりを迎えた後、幼馴染にせがまれてここに来たのだ。
幸か不幸か、朝食を詰め込む時間は貰ったから、パンを買うのが目的ではない。
俺たちは目の前の店員に用があったのだ。
不思議アイテム群を見たくて堪らなくて、寧音はうちにやってきたというわけらしい。
しかし、当然おっさんは今日も仕事で朝早く家を出ていなかくて。
それでも彼女が駄々をこねたので、ひとまず様子を見に来たわけだ。
だからある種の冷やかし……のはずなのだが。
「晴信、これ買って」
幼馴染はすっかりショッピング気分だった。
目当てのものを見つけたらしく、それを指さしている。
普通サイズのクロワッサンだった。
「お前さっき、うちでご飯食べてなかった?」
そうなのだ。こいつ、朝食を食べずに家を飛び出してきたらしい。
そこで母が気を利かせたわけだ。昔から度々あることなので、今さら何でもないことだけれど。
「別腹よ、別腹。言うなれば、デザート」
「太るぞ」
「テレパシーに欠けるわね、あんたは!」
「いつから俺は超能力者になったんだ」
「あれ、違ったっけ? あ、デリバリーか」
「それも違う。音としては近づいてるけどな……正解はデリカシーだ」
横文字をニュアンスだけで覚えようとするからこうなるんだよなぁ。
俺は心の中で激しくため息をついた。
「いや、少しくらい食べ過ぎた方がいいのかもな」
俺はさっと幼馴染の全身に目をやった。
同年代の女子平均から大きくマイナスに引き離された身長。そして、見るからにちんまい体型。
それを鑑みれば、悪い選択じゃない様な気はする。
「セクハラで訴えるよ!」
「誰に?」
「里奈さーん!」
あろうことか、貧相な女子高生は店奥に向かって大声を上げた。
おかげで店内の視線が俺たちに集まった。とりあえず、慌ててその口を塞ぐ。
「あら、寧音ちゃん来てたの?」
しかし間に合うわけもなくて、ふわふわした雰囲気の若奥様が現れてしまった!
「晴信くんもいらっしゃい。まあ! 朝から仲いいのね、二人とも」
なぜか里奈さんは感激した声を上げた。
微笑ましいものを見る様な目つきになって、胸の前で手を組み合わせた。
そこで、俺は冷静に今の俺たちの体勢を鑑みた。
傍から見れば、一組の男女が仲良くじゃれあっている様に見えるかもしれない。
決してそんなつもりはないけれど、それを決めるのは受け取り手である。
俺は釈然としない表情で寧音から離れた。
そして、わざとらしく一つ咳ばらいをする。この上なく気まずかった。
しかし、相手はそうじゃないようで――
「違うよ! こいつにいやらしい目で見られたんです!」
誤解を招く言い方はやめて欲しい。まだ店の中にお客さんがいるんだぞ。
こちらを見る視線に鋭いものを感じ始める。
そして、里奈さんも俺を悲しそうな目で見るのだった。
「あのね、晴信くん。そういう年頃だというのは、進くんもそうだったからわかるけど。
ちゃんと時と場合を考えないとダメよ?」
なぜか諭されてしまった!
「いや、そういうのじゃないですから。こいつが朝飯食べたのに、まだパンを欲しがって。
それに対して、ただでさえ痩せ気味の体型だから丁度いいって話です!」
「なんだ、そうなのね! 確かに寧音ちゃんはスレンダーですものね」
「それならそうと、ちゃんと言いなさいよ!」
照れ隠しなのか、寧音は頬を赤らめて小突いてくる。
なにやら褒められてると思い違いをしているらしいが、言わぬが花だろう。
「でも今のままの寧音ちゃんでも素敵だと思うな、私は」
「そうですかね? でも晴信が言うんだったら……」
そのままお花畑トークが始まろうとした。
「で、どうすんだ」
それを寸でのところで遮ることに成功する。
「えっと、買ってくれるの?」
期待するような目で寧音はこちらを見上げてきた。
「嫌だけど? そもそも財布持ってきてないし」
「はあっ? なによ、ケチ、守銭奴、節約家!」
最後のは悪口なのだろうか。とても理解に苦しむ。
「じゃあサービスしましょうか? 二人にはだいぶお世話になったし」
それをどう受け取ったのか、里奈さんは謎の提案をしてくれた。
「いえ、そんな全然悪いですから! もうっ、晴信のせいだよ!」
「お前が自分で買えばいい話だろ……」
ここに来る度にねだってくるが、一度も応じたことはない。
だから、そろそろ学習してほしいものだ。
「そんな遠慮しなくていいのに。二人のおかげで、かなり高校生のお客さん増えたんだから。
今朝もね、たくさん部活前の子たちがきてくれたのよ?」
「えー、ホントですか! それは嬉しいなぁ」
心の底から喜んだ様子を見せる寧音。
大変なことしかなかったが、それでも力になれてよかったと俺も思う。
「なんにせよ、また今度お礼はさせてもらいますね」
「いいですよー、里奈ちゃん。あたしたち好きでやったんだから。ね、晴信?」
「ええ、そうですよ。気にしないでください」
「いいえ、そういうわけにはいきません。次来る時までには何か用意しておくからね!」
ここで、副店主の持ち前の頑固さが出た。
こうなると、固辞するわけにもいかず、結局俺たちは押しきられることに。
「ありがとー、里奈ちゃん! じゃ帰ろっか、晴信」
「待て待て待て、お前何しに来たのか忘れたのか?」
ようやく彼女は悟ったらしく、しまったという顔をした。
「あの、トネリコのおじさんを借りてもいいですか?」
接客中に突然名前を呼ばれたわけで、おっさんはきょとんとした不可解そうな表情を浮かべたーー




