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第十六話 作戦を立てよう

「店を出したばかりの頃の話ね――」

 静かに、里奈さんは語りだした。


 初めは当たり前だが、経営があまりうまくいっていなかったらしい。

 今でこそ、近所一帯の評判は良いからなんとかなっているものの。

 当時はできたばかりということもあり、どうにも客は集まらなかったという。


「駅前に、ほらあるでしょ、大きなパン屋さん」

「あー、あるあるー。ちょっと距離あるから、あんまり行かないけど」

「ふふっ、気を遣わなくたっていいのよ?」

 寧音はたぶん素直な気持ちを述べただけだと思うが。

 しかし奴のはにかんだ表情はそれだけじゃない様に思わせる。


「ここらの人たちにはそっちがあるから。

 まあ新参の店なんか、相手にされないわけね」

 淡い笑みを浮かべながら、すらすらと彼女の口は動く。

 その胸の内に何を想っているのか、俺には計り知れなかった。


「貯金はね、だいぶあったから。すぐどうのってわけでもなかったんだけど――」

「そもそもどうしてお二人はパン屋さんをやろうと思ったんですかな?」

「私の小さな頃からの夢だったんです。

 昔住んでいた家の近くに、それは美味しいパン屋さんがあって。

 働いている人も素敵で。そんな風になりたいなぁ、ってずっと思ってた」

「はぁー素敵な話……」

 寧音の目はキラキラしていた。まさしく夢見る乙女って感じ。


 しかし、水を差すようだが、俺は一抹の不安を抱えていた。

 とんでもないくらいに話が長くなりそうな。

 トネリコの冒険談のことを思い出した。

 

 だが、それを言い出せる雰囲気ではない。

 逡巡していると、ふと里奈さんと目があった。

 彼女はにっこりとほほ笑んだ。


「色々あり進くんと結婚して夢を叶えた、ってわけなんです」

 俺の意をくんでくれたのか、すぐに話は終わった。

「えー、その色々が気になるのに!」

「今話すようなことじゃないしから、ごめんね。

 でもどうしても聞きたければ、また今度教えてあげるよ」

「約束ですよ、里奈ちゃん!」

 寧音はかなり興奮気味だった。


「話を戻すと、結局はどうにかしてお客さんを確保する必要はあるわけで。

 あなたたちが考えてくれたのと同じ方法を進くんに提案したの」 

 なるほど、購買を利用する話は一度思いつき済みだったのか。

 

 確かに、近くに自分たちの卒業した高校があるのだから自然な考えではある。

 というか、実はそれをあてにしてたんじゃないだろうか?

 店を出したら偶然縁のある学校の近くでした。なんて、都合がよすぎる。

 出店する前にその土地のことは調べるだろうし。


 それにもっと店を出すのにふさわしい場所はあるはずだ。

 二人に関係のない住宅街を選ぶ必要はない。実際それで苦戦していたわけだし。

 それでもこの場所を選んだのは、出身高校の近くだから。そう考える方が自然だ。

 と、まるで探偵気分になって考えてみた。

 その手段が当初からの目的か、最終手段だったのか、どちらかはわからないけど。


「もしかして、ずっとうちの高校に目をつけてたんじゃないですか?」

「……実をいうとね、私も晴信くんたちの先輩なのよ」

 里奈さんは恥ずかしそうに笑った。それは少し子供っぽく見えた。

「あー、それ今日聞きましたよ!」

「え、聞いたって誰に?」

「藤岡先生です!」

「私たちの頃にそんな先生いたかしら?」そして、先輩はもう一人の先輩を見る。

「いや、覚えてねえな。というか、お前が知らなかったら俺にはわからんぞ」

 進さんは仏頂面で首を振った。


 二人が混乱しているのは、寧音がわかりづらい表現をしたせいだ。

 それで俺から正確に話すことにして――


「藤岡祐一、俺たちの担任の先生です。

 二人と同窓生って聞いたんですけど……」

「ああ、それならわかるわ! 藤岡くん、高校の先生になったのねぇ。

 それもうちの高校だなんて」

「え、知らなかったんだ?」

「うん。最後にあったのは、結婚式の時じゃなかったかしら?」

「そうだな。……十年前か? いや、懐かしいなぁ」

 ようやく進さんの渋い表情が和らいだ。


 二人って、だいぶ若くして結婚したんだな。

 二十歳……俺にとっては二年後か。うん、無理だな。

 そして、十年前という数字を絞り出すのに時間がかかったのは気のせいだろうか。 

 

「関係ないけど、ちゃんと結婚記念日は覚えてますよね、あなた?」

 やはり里奈さんも同じことを思ったらしい。

「あ、当たり前じゃねえか! ちゃんと凄い贈り物も用意してあるし」

 それは傍観者の俺にとっても怪しく見えた。

「……まあ期待しないで待っておくね」

 最後には彼女は呆れている様だった。


「それにしても、まさかあの祐一が教師とはなぁ」

 露骨に話を逸らし始めたな、この人……

「そんなに意外なんだ。昔の先生ってどんな感じだったの?」

「色んなことに手を抜いてたテキトー男だったよ。

 例えば授業中なんかぼけーっとして、しょっちゅう先生に怒られてた。

 でも不思議な雰囲気のあって、面白い奴だったよ」

 言われて、なんとなく想像がつくのが恐ろしい。

 あの人、普段から脱力しているから。


「で、祐一、俺のことなんか言ってたか?」

「問題児って言ってたよ」

 寧音の指摘に、里奈さんが笑いを漏らした。

 それを進さんが目で制する。


「何言ってんだか。あいつもグルだったぜ」

「藤藤コンビとか言って騒いでたもんね。

 でもいつも怒られてたの、あなただけだったけど」

「あいつ逃げるのがうまかったからな……」

「ふふっ、たくさん楽しませてもらったわ。

 でも生徒会に迷惑をかけるのはやめて欲しかったなー」

「そんなことあったけか?」

「道場やぶりを騙って、色々な部活動に喧嘩売ってたでしょ、あなた」

 とんでもないことしてるな、この人……

 確かにそれは、寧音顔負け――いやそれ以上のトラブルメーカーだ。


「って、ごめんなさい。また脱線しちゃったわね。

 とにかくそんなわけでもわたしたち高校の卒業生なわけだから」

 こほんと、ひとつ里奈さんは咳払いをした。

 また、元の真剣な顔つきに戻った。


「頼み込めば、何とかなると思ってたの。それに藤岡くんもいたならなおさらね

 で、この人はそれに対してなんて言ったかというと?」

 そして、パン屋の奥さんは主人の方を見た。視線で続きを促している。

「そういうコネを使うのはズルいだろ。俺にもプライドがある」

「はい、よくできました。

 そしてそんな安いプライドはリサイクルショップに売ってきてくださるかしら?」

 予想以上にしょうもない答えだ。さらに、それに対して冷淡な返し。


 進さんもこれにはたじたじで。

 いや、でもと、弱い言葉で返すだけ。

 そこをさらに里奈さんが攻め入って――ちょっとした口論が始まった。

 いや、妻が夫に向けて一方的に小言を向けているだけか。


 ただ俺たちはおろおろしているしかないわけで。

 俺たちは完全に蚊帳の外にいた。


「あの、ぼっちゃん? コネってなんですか?」

 そして空気を読まずに小声でぶっこんでくるおっさんが一人。

 今晩の話のテーマは空気の読み方とでもしようか。


「うーん、おっさんにわかるように言うなら……

 王様との繋がりを利用して、城下町に出店するって感じだ」

「なるほど、人脈を利用するんですね」

 俺の言葉を噛み締める様に、おっさんはしみじみしている。

 

 そんな会話を、寧音が聞いていたのか。どうも怪訝な顔をしていた。


「ねぇいったい何の話をしてるのよ、あんたたち……」

 やはり彼女もひそひそ声で話しかけてくる。

「気にするな、悩むと老けるぞ?」

 いつも通り適当にあしらう。真面目に相手をする必要はない。

「そんな歳じゃないってば!」

「ああ、そうか、むしろその方がいいのか」

「へ? どういう意味?」

「だって、まだまだ子供だし」

「なんですって!」

 耐えきれなくなったのか、寧音はついに大声を上げた。

 

 それで一瞬場の空気が固まる。

 夫婦の視線が、おっさんの瞳が一人の少女に向いた。 

 犯人は顔を真っ赤にして、下唇を噛み俯いてしまった。


「……というわけで、その時には頓挫したわけね」

「うう、いけません! いけませんぞ」

 なぜか憤っていたのは、トネリコだった。

「使えるものは何でも使うべきです!」

 あんたはなりふり構わなすぎなんだよなぁ……

 おっさんにはこれからきちんとモラルを覚えてもらう必要がある。


「それにプライドがなんですか! それで金が稼げますか!」

「でもなぁ、自信があったんだよ。俺は自分のパンの味に。

 だからこのままでもうまくいくって――」

「甘い、甘いですぞ! 確かに、進殿のパンは大変おいしいです。

 しかし、まずなんにせよ人が集まらないとしょうがないじゃないですか!」

「……まあ、その点俺も反省してるよ」

 進さんもトネリコの剣幕に気圧されている。

「お、落ち着いてください、トネリコさん。

 結局、ご近所付き合いやチラシ配りで事なきはえたので」

「むう、そうでした。これは過去の話でしたな……」

 トネリコは肩をすぼめて、身を縮めてしまった。


「当時わたしが押し切られちゃったから、こうしてみんなに迷惑かけて……」

「迷惑とか、そんなことないよ!」

「そうですよ、むしろ俺たちの方こそ」

 とにかくこれで二人が浮かない表情をしていた理由がわかった。

 なので、改めて尋ねることに。


「それでこの話どうします?」

「もちろん、受けます。こんなありがたい話ないもの。

 ねえ、あなた?」

「そうだな、ありがとうよ、少年たち!」

 進さんは妙に芝居がかった言い方をした。

 照れ隠しと受け取っておこう。


「ただすぐにうちの購買で販売できるわけじゃなくて――」

 そしてようやく校長が出した条件へと触れることができた。


『やっぱりさ、不公平だと思うのよ』

 爺……校長はいきなりそんなことを言い出した。

『なにがですか?』

『傍から見ればさ、校長の権力を利用して、特定の店を採用したわけじゃない。

 それってさ、なんかまずくない?』

 突然何を言うかと思えば……でも確かに特段おかしなことでもない。 


『じゃあどうします、校長。アンケートでも取りますか?』

 とまあ、真に受けた藤岡先生がそんなことを言って――


「採用されちゃいました」

 そうなのだ、全生徒の半数が賛成したら、正式においていいことになった。

 一応、明日から三日ほど、仮販売はしていいらしい。

 で、その後にアンケートを取ると。


「なんだよ、それ。完全に祐一のせいじゃねーか!

 ちょっと文句言ってくる」

「まあまあ、仕方ないわよ。藤岡くんも本当にそうなると思わなかったろうし」

 立ち上がって出て行こうとした夫を宥める里奈さん。

「つまり三日間で生徒さんたちにうちのパンの良さを認めてもらえばいいのね?」

「そういうことになります」 

「うん、なんだか面白そう!」

 奥さんはとても楽し気だ。


「後輩たちにパンを食べてもらうのも、夢ではあったからね。

 まあそれは一部叶っているけれど」

 そう言って、里奈さんは俺と寧音の顔を交互に見た。

 彼女のやる気がひしひしと伝わってくる。


「ま、仕方ねー。いっちょ頑張るか!」

 進さんも覚悟ができたらしい。

 珍しくその顔には気合が入っている。


「販売のことなんですけど、自分たちで売ってくれとのことです。

 もちろん正式採用されたら、購買で売ってくれるらしいですけど」

「なるほどね……そしたら、トネリコさん、行ってもらえる?」

「ええ、もちろんですとも!」

 おっさんは自信満々に頷いた。

 

 やっぱりそうなったか。

 できれば、おっさんではなく寧音さんに来て欲しかったけれど。

 まあしっかり監視しておけば、問題ないか……


「俺たちも手伝うので!」

「うん、こういうのやってみたかったんだよねー」

 先に寧音と相談して、できる限りのことをするつもりでいた。

 言い出したのはこっちなんだから。

 実際に売るのは難しいかもだが、設営や撤収くらいはできるはずだ。


「ありがとう、二人とも。申し訳ないけど、力を貸してもらうね

 それで、何時にパンを届けに行けばいいかしら?」

「朝からでも大丈夫だって~」

 一瞬里奈さんの目が光った気がした。


「じゃ、昼のちょっと前に行ってって感じに――」

「何言ってるの? もちろん、朝からやりますよ」

 進さんの言葉を里奈さんが遮った。

「いや、仕込みが間に合わな――」

「徹夜で仕込もーね、ダーリン?」

 その笑顔は天使のように華やかで、でも悪魔のように残酷でもあった。


 なんだろう、言葉の表面だけ捉えると少しいかがわしく聞こえる。


「あんた、なんて想像してるのよ」

 顔に出ていたのか、俺は寧音に殴られた。

 

 その後は細かい話を詰めて、解散した。

 後は明日の朝を待つだけとなった――

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