第十五話 おっさんの功績
遠くからでも、その光景の不自然さに気が付いた。
フジミベーカリーに、行列ができているのだ。
小さな列だけども、ガラス越しに店内から人が溢れているのがわかる。
「なにあれ、どういうこと?」
「いや、俺に聞かれても……」
思わず、寧音と顔を見合わせる。
困惑しつつも、そのまま店に向かって進む。
店の真ん前まで来たところで、状況は変わらない。
むしろ、その賑わいがかつてない程だということが再確認できた。
だが、依然としてその要因はわからない。
トネリコのおっさんが変な風に係わっていなければいいけれど。
「ねえ今何時だっけ?」
「五時をちょっとだけ過ぎたところ」腕時計に目を落としながら答えた。
「サンキュー。あと、このお店の閉店時刻は?」
「五時だな」
つまりいつもならばもう閉まっている時間だ。
この人だかりは、閉店間際にできたということになる。
なんにせよ、この人だかりが捌けるまでは、俺たちは入店できないわけで。
所在ないままに、ただひたすら待つ。
幸いなことは、これ以上増える見込みがないことくらいだろうか。
ボーっとしているのも退屈で、ぼんやりと人間観察をすることに。
ぱっと見ただけだと、主婦(っぽく見える人)が多かった。
ごく僅かに、仕事終わりの男の人も混じっている。
スーツ姿もあれば、作業着姿もあった。
共通しているのは、トレイにパンがたくさん載っていること。
中には、山積みになっているものまであって。
時間帯の割には、大量に捌けている印象を受ける。
というか、普段が余り過ぎなだけだと思うんだけど……
少し見えにくいが、レジにいるのは、トネリコと里奈さんだった。
進さんは……またどこかほっつき歩いているのかもしれない。
この大盛況ぶりだというのに、全く迷惑なことである。
待っていると、次第に行列は消化されて行って、出口から人が排出されていく。
その度に軽い会釈をして、時にはちょっとした挨拶まで交わし。
おおよそどこかで見たことのある人ばかりだった。
それに少し飽きてきた頃、思い出したかの様に、幼馴染の様子が気になった。
ここまでずっと静かにしているが意外に思えて。
てっきりすぐ「暇~」とでも騒ぎ出すのかと。
そう思えるくらいに、落ち着きがないということでもある。
彼女を見た時に視線がぶつかった。
すぐに彼女は顔を逸らす。
その頬は夕焼けに照らされて赤く見えた。
奴もまた俺を見ていたということだろうか。
それで退屈がしのげていたなら、なんともまあ不思議なことだ。
『深淵を覗く時深淵もまたこちらを覗いているのだ』みたいな。倫理で習った。
いや、いくら何でも言葉を表面だけで――単純に取りすぎているが。
「もうそろそろ入れそうだね」
「そうだな」
必要のない言葉を交わす。
なんだか、この沈黙がものすごく居心地が悪い。
「今日はありがとな」
「何が?」
俺の言葉に、怪訝そうな顔をしながら寧音がこちらを向いた。
「ついてきてくれて」
実際、かなり助けられた。
校長はなんにせよ、おばちゃんとの話がスムーズだったのは、こいつのおかげだった。
「なんなのよ、いきなり……調子狂うなぁ」
そう言いながらも、嬉しさが滲み出ているのがわかった。
「たまには役に立つこともあるもんだな」
「む、何よ! あたしはいつも役に立つでしょう?
だって、みんなの頼れるお姉さんポジションなんだから」
そう思ってるのはお前だけだ、しかしその言葉は飲み込んだ。
その背伸びした言動がなんとなく今日はかわ……いや、何考えてるんだ俺は。
夜が迫るこの夕方特有の雰囲気がそうさせているのだろう。
そう結論付けて、ふと涌いた思考を振り払う。
「あのさ、晴信。えっとね――」
珍しくいじらしい口調で、彼女は話し始める。
なんだか不穏な雰囲気になり始めて――
「ぼっちゃん、それにお嬢さんも。ずいぶんお待たせしましたな」
エプロン姿が決まったトネリコが出てきた。
そしておっさんの寧音に対する呼称が面白くて、つい吹き出してしまった。
「お、お嬢さんって……お嬢ちゃんの間違いじゃないか?」
「あんたこそ、自分がぼっちゃんって呼ばれてんのを棚上げしてんじゃないわよ!」
トネリコの登場によって、先の珍妙なムードは完全に吹き飛んだ。
稀にいい働きをすることもあるんだな、このおっさんは。
「まあまあお二人とも落ち着いて」
そもそもの元凶がどの口で言うか。
「……待ちくたびれたし、さっさと話を済まそうぜ」
「それもそうだね」
そしてトネリコと共に、店の中に入った。
「二人ともいらっしゃい。ごめんね、だいぶ待たせちゃって」
里奈さんはとても申し訳なさそうな顔をしていた。
あれだけの接客をこなしたせいか、少し疲れている様に見える。
「その言いにくいんだけど、せっかく来てもらったのに、今日は完売しちゃったのよ」
「ああ、そうなんだー。すごいいっぱい人来てたもんね。
でもいきなりどうしたんですか?」
「トネリコさんがね、閉店時間に合わせてセールをやったらどうかって」
「昨日大量に余ったパンを見て思いついたんですよ!
処分するくらいなら、安くても売ってしまった方がいいってね」
おっさんはしたり顔で己の業績をアピールする。
商人の慧眼ここにありといったところか。
いや、そもそも今までやっていなかったこと自体が不思議だけど。
「恥ずかしい話なんだけど、そういうこと全く考えたことがなくって……」
俺がそう言うと、彼女は照れた様に笑った。
里奈さんの仕草はたおやかで気品を感じさせる。
どこぞの背伸びしたガールとは大違いだ。
トネリコの指摘がなければ、俺もその発想には至らなかったわけで。
しかしとなると、余ったパンは今までどうしていたのだろう?
途端に気になり始めて、つい聞いてみた。
「それはな、俺が食べてたんだ」
答えたのは、進さんだった。店の奥からすっと姿を現した。
「意外に大食いなんだね、進さん……」
「ちゃうわ! さすがに全部は無理だぜ、俺も。冷凍して、翌日の飯にすることもある。
それでも余りそうな時は、近所のガキどもに配ってんだ」
「遊びに付き合ってもらったお礼ってわけですか?」
「逆だ、逆! 俺が遊んでやってんだよ」
どちらにせよ、遊んではいるのか……
そう思ったけど、里奈さんがにこやかな表情を崩さないので黙っていた。
「このおっさん、それ以外にもいろいろアドバイスくれてさ。
例えば即席の試食会をやるのはどうだってね。
今日からセールをするっていう宣伝も兼ねてな」
「昨日から考えてたんです。知名度を上げるにはどうしたらいいかって」
トネリコの顔はどこか誇らしげだ。
「ま、流石にこの辺りでゲリラ的にやるわけにはいかないし。
それで商店街まで出張っていたわけよ」
「おかげでね、昼くらいから客足が伸びて。
昨日にもまして、たくさんの人が来てくれたのよ!」
奥さんはとても嬉しそうだった。
おっさんの作戦は成功だったわけか。
それだけフジミベーカリーの味が確かということで。
まあ、おっさん自体人の目を引き付ける存在ではあるけども。
「戻ってきたら、今度はずっとパン焼かなきゃなんねーし。
ほんと、今日はくたくただわ」
進さんはげんなりした顔で頸筋の辺りを触った。
「じゃあ今までも作業してたの?」
「いや、寝てた」
思わずずっこけそうになった。
つまりさっき二人が死ぬ程そうな時に、この人は眠りの世界にいたのか。
てっきり出かけていたのかと思ってたことを心の中で謝った。
しかしそうならば、最後の力でも振り絞って、手伝っても良かったのでは?
「まあまあ、進さん今日は頑張ってたから。
それに、この人に接客は、ね……」
「「あー」」
俺と寧音は二人そろって納得してしまった。
「おい、お前ら失礼だぞ! これは適材適所ってやつだ」
「まあ、そうかもですねー」
「反応が雑だな、おい。
まあいい、とにかく俺と里奈とおっさんは疲れてんだ。さっさと帰んな。」
しっし、と進さんは手で払う仕草をした。
おっさんは疲れていようが帰る場所はうちなんだけど。
そんなツッコミは心にとどめて。
俺はある違和感に気が付いた。
「こら、あなた! そういう口の利き方したらだめよ。
ごめんね、二人とも。明日はちゃんと取っておくからね」
「わー、ありがとうございます!」
寧音はとても感激している様だった。
「そういうことなら仕方ないね、帰ろっか晴信?」
なんとこの女、当初の目的が頭から飛んでしまったらしい。
まあそれはいいか。ノリだけで生きている様な人間だから仕方ない。
そう俺は先ほどからずっとこの謎の誤解に苦しんでいた。
藤見夫妻とおっさん(あと昔馴染みのあほ)は、俺たちがパンを買いに来たと思っているんだ。
さあどうしてこうなったでしょう――俺はその元凶を睨みつけた
「トネリコさん?」
「なんでしょう、ぼっちゃん!」
俺の殺意に気付いてないのか、なぜか張り切っておっさんは答える。
「例の話はどうなった?」
「あ゛」
それがもうすべての答えだった。
望んでいた回答を得た俺は、彼に褒美を与えることにした。
「お死にな、さいっ!」
「ぐわぁぁぁーーー!」
おっさんの豊かなデコに会心の一撃を食らわせてやった。
後に残るのは、悲惨な断末魔だけだった。
「ああ、そういうことだったのね」
場所は変わって、店舗奥の住宅スペース、その居間に来ていた。
店の方は、俺たちも後片付けを手伝って閉めた。
トネリコの野郎、ちゃんと話しておけって伝えたのに。
この店のパンを学校で売る提案のことを、すっかり忘れていたらしい。
店に行くなり、忙しくてあまり落ち着く暇がなかったとか。
なぜかそれを里奈さんが弁解していたけれど。
そんなおっさんの額には大きなこぶができている。
ダメージを追って、HPが減った証だとか。
なるほど、異世界人とは難儀な体の構造をしているものだ。
仕方ないので、俺から伝えた。うちの高校にパンを置きませんか、と。
それにしても、今日だけで同じ話を五回もしたことになる。
説明がこなれてくるのと同時に、どうしてもうんざりする気持ちは抑えられない。
しかし全てを話し終えた今、夫妻はどうもあまり喜んでいる様子はない。
微妙な反応――どこか困惑している様な。
進さんは腕を組んで難しい顔を、里奈さんは曖昧に微笑んでいた。
どうやら俺たちのしたことはまずかったらしい。
二人の表情を見て流石に悟った。
俺たちはこれが素晴らしい考えだと思って進めたわけだけども。
当事者は、藤見夫妻なのだ。彼らの意志が肝心だ。
底を無視してしまえば、善意の押し付け、ありがた迷惑にしかならないわけで。
そのことに思い至ったのが、あまりにも遅すぎた。
勝手に話を進めて、学校にも一応の話を取り付けてしまった。
昨夜の時点で気が付くべきだった。
つい妙案だと興奮して、藤見さんたちを置き去りにしてしまった。
「すいません、余計なことをして」
「ううん、とんでもないわ! むしろ、三人には感謝してるのよ」
「いや、でも――」
「その割には進さんも里奈ちゃんも微妙な反応だよね……」
俺以上に落ち込んでいたのが、寧音だった。
今日それなりに張り切ってたわけだから、こうなるのも無理はない。
「これはね――」
里奈さんは一度言葉をしまった。
そして、自分の夫の方を半目で睨んだ。
「この人のせいなのよ――」
その声は珍しく怒りに満ちていた。




