第十四話 交渉しましょ
「起立! 礼!」
号令係がはきはきと言葉を吐いた。
それに合わせて、パラパラと頭が上下したりしなかったりするのが見えた。
俺も遅れて適当に礼を決める。
平時ならばさっさと席について、帰る準備をするのだが。
まだ俺には校内でやるべきミッションが残されている。
その一手として、教室を出ようとする担任の所へ向かった。
まだ、彼は教壇に立っていた。
担任の教師――藤岡祐一は、三十そこそこくらいの比較的若い男だ。
担当科目は英語で、生徒からの評判はそこそこ良い。
割と学生に近いノリを持ち合わせ、大らかな、いや大雑把な性格の持ち主だ。
何の因果か、この人には三年間世話になっている。
「先生、ちょっとすいません。聞きたいことがあるんですけど、今よろしいですか?」
「おお、橋場か。なんだ、珍しいじゃないか」
担任は一瞬驚いた顔をしたものの、どうやら応じてくれるらしい。
「あのですね――」
話を始めようとしたところ、横に寧音が来ていたことに気が付いた。
気になってつい言葉を呑みこんでしまった。
「ん、豊臣も俺に用事か?」
「いいえ、こい――晴信君の付き添いですわ」
教師の前だからか、奴は唐突に猫を被り始めた。
しかし、そんなの今更無駄な努力なわけで。
こいつの化けの皮は剥がれに剥がれて、もう地肌剥き出しのレベルだ。
寧音も一緒なことに、一抹の不安を覚えたのか。
担任の顔が見る見るうちに怪訝そうなものへと変化する。
屋上突入事件の被害を受けたばかりだから、そうなるのも無理はない。
あるいは、俺の知らないところで、また別の騒動を巻き起こされたのかもしれない。
「もしかして、橋場。お前も旧校舎に立ち入る許可を出せ、とかいうんじゃないだろうな?」
案の定、また全校きってのトラブルガールは、あたやらかしていたのか。
思わず苦い顔つきになって、俺は隣にいる彼女の方を見た。
しかし、奴は至極平然としていた。
何か悪いのことでも? とでも言う様な澄ました表情で。
とぼけている素振りは一切ない。
「ほら、この間話した旧校舎の噂。
やっぱり自分の目で確かめてみないといけないじゃない?」
ああ、あのことか。まだ諦めていなかったのか。
しかし先生の口振りからして、当たり前だが許しを得ることはできなかったらしい。
「あの件なら、何度頼んだってダメだぞ!」
「それはもういいですよ~。今日は別件です」
「別件ねぇ……」
あまり教師の顔色は芳しくなかった。
まあこの人にしてみれば、また何か寧音が問題ことを持ち掛けに来たと思えるだろう。
いやにあっさりな彼女の引き下がりようが気になりながら。
俺はとにかく事情を話した。
「そういうことか。それならやっぱり校長先生に頼んでみるしかないな」
「ですよねー」
やはり返ってきた答えは俺の予想通りで。
「ちなみに先生から口添えしてもらうってのは?」
「キミたちの問題なわけだからねぇ」
と微妙な表情で、かなりやんわりと断られた。
あわよくば、この人に相談して事態が解決すればいいと思っていた。
しかしそれは都合のいい願望でしかなかった。
確かに俺がやろうとしていることだから、他人に頼るのは筋違いか。
「はあ、とんだ時間の無駄だったわね」
途端に悪態をつき始める寧音。
先程までの似非お淑やかぶりはどこへ行った?
「この平教師には何の権限もないって、わかりきっていたでしょ?」
「まあそうだけど、勝手に校長の所に直談判に行くのも、あれだろ?
これでも俺たちの担任の先生だから、形式的に段階を踏んでおこうってだけさ」
「あのー、キミたち? そういうことは、その言うんだったら陰で……」
「陰口はあたしの趣味じゃないので」
「いや、そういう問題じゃ……
先生だってな、傷つくんだぞ?」
「またまたー、てきとうが服着て歩いてるようなもんじゃないですか」
「まあ、そうだなー」
とまあ、担任をイジるのもこれくらいにしておいて。
結局、校長に会いにいかなくてはいけないらしい。
いやぁ、中々に気が重たい。どこか臆する思いがある程だ。
相手はこの学校で一番偉い存在なわけで。
俺みたいな一般生徒からすれば、校長先生というのは威厳溢れる存在だ。
話をしたことはないから、その人柄は全くわからない。
朝会とかのよくある長話の内容も、つま――ありきたりだし。
外見は真面目そうな渋い初老男で、きやすく話せるようなオーラは持っていなかった。
関わる必要がないならば、自分から近づきたくはない。
それでも、トネリコのアイテム袋を探すため。
いや、それだけでなく、あの店を少しでも盛り立てるため。
微力ながらも力を貸したいという気持ちに変わりはない。
「仕方ない、か。先生、ありがとうございました」
「うん、まあ力になれなくてすまないな」
藤岡は言葉通り申し訳なさそうに頬を掻いた。
「しかし、まあお前がそんなに頑張ることがあるなんてなぁ……
そんなに美味しいのか、そのパン屋?」
「はい、めちゃくちゃうまいですよ。月並みな言葉ですけど」
「そういや名前はなんていうんだ?」
「フジミベーカリーです」
そう言った時、先生は大層びっくりした顔をした。
「フジミ? もしかして字はこう書くのか?」
すると、まだ授業の跡が残る黒板に文字を書く。『藤見』という漢字を。
俺は困惑しながらも黙って頷いた。
「もしかして、店主の名前は進、じゃないだろうな?」
「あれ先生、知ってるんだ?」
今度、驚きの声を漏らしたのは寧音だった。
「そうか、進……あいつが」
懐かしむような目をしながら、藤岡は独り言ちつく。
どうやら、先生は進さんとは知り合いの様だ。
「高校の同級生なのさ。奥さん――里奈のことも知ってるぞ。
彼女も同じ高校だったからな」
「えっ、そうなんですか!」
つい調子はずれな声が出た。
進さんがうちの高校のOBとは知っていたが。
まさか藤岡先生、さらに里奈さんまでそうだとは。
衝撃の事実が明らかに、というわけではないけれど。
それでもかなり驚愕した。
「進はなぁ、結構問題ばかり起こして。その点は、豊臣に似てるな」
「ちょっとどういうことですか? あんなのと一緒にしないで!
というか、似てるとしたら里奈さんの方でしょうが」
「「それはない」」
否定の言葉は見事に先生と重なった。
というか、あんなのはないだろ。あんなのは。
そう思ったが、俺はもとより、先生からもそれに関するフォローはなかった。
つまりは昔からどうしようもない人だったということだろう。
「里奈の方は、剣道部の主将、生徒会長、成績も学年一、おまけに美人だし。
まさしくテンプレみたいな完全無敵な優等生だったよ」
「へ~」
言われて、違和感がないのが凄い。
そして、あの竹刀の出所がこんなところで判明するとは。
「そんな二人が結婚するなんて!
なんだかすごいロマンチックなラブロマンスがある予感!」
寧音は年頃の女子よろしく、両手を組んでうっとりした表情を浮かべていた。
「そうか、あの二人がパン屋をねえ。
よし、そういうことなら俺もしっかり協力しよう!」
「ホントですか! というか、そもそもしっかりって……」
「まあまあ、そこは気にするなよ」
「それじゃあ行くか」
ということで、今度は藤岡先生が俺たちのパーティに加わった。
それから数分経たずして。
俺たち三人は、重厚な雰囲気を醸し出す豪華な扉の前に立っていた。
魔王城玉座の間を前にしたトネリコの気持ちが、少しはわかる気がする。
中にいるのが、そんな邪悪な存在ではないことを心から祈っているが。
ここまで来て、今まで感じていた緊張がさらに増した。
胃の中がグルグルして、ここから逃げ出したくなる。
何がどうなるわけでもないのに、校長という存在というだけでビビっていた。
そんな権威に弱い小市民な自分が至極情けない。
「大丈夫、大丈夫。校長って、案外優しいから」
「そうそう、豊臣の言う通りって――本当に知っているのか、キミ?」
「はい、実は修学旅行の時に仲良くなりまして」
そういえば、一緒についてきていたんだっけか。
全く記憶にないけれども。
「それから会う度に、積極的に挨拶してたら、覚えてもらっちゃった」
「ナチュラルに権力に取り入ろうとしてるな……」
「そうですね」
俺たちは、この幼げな少女に軽い畏怖の念を覚え、同時に呆れていた。
しかし、こいつはよくまあこうも色々な人と打ち解けられるもんだ。
我が幼馴染ながら、素直に感心する。
俺なんか、藤見さんたちと話せるようになるのすら、月単位でかかったぞ。
まあそんな彼女のおかげで、少しは心理的負担も和らいだ気がする。
こちらには教師の藤岡もいるわけで。
まあ何とかなるだろうと、気楽にドアのノブに手をかけた。
「失礼しま――」
目に入ってきた光景に、思わず俺は言葉を失った。
人が――校長先生が倒れている!
そんなわけのわからない事態を目の当たりにして。
当然思考も追いつかず、俺は茫然と立ち尽くすことしかできなかった。
すると、次に寧音が入ってきて。
「え、どうしたの――って、きゃああああ」
同じく危機的状況に立ち会わせて、彼女は小さく悲鳴を上げた。
「二人とも何があった!」
遅れて、藤岡先生が入ってくる。
「これは――」
流石の先生もこれには動揺を隠せていない。
ようやく我に返って、とにかく自分のしなければいけないことを頭に浮かべる。
「警察、いや、救急車ですか……」
藤岡に確認を取りながら、スマホを取り出したところ――
「いやぁ、ごめんごめん。びっくりした?」
……なんと校長は普通に起き上がった。
「ドッキリ大成功~ってな」
流石に札は持っていなかってけれど。
しかし、その笑顔は輝いている。
「ド、ドッキリって……」
か細い声を出す寧音は心なしか少し涙目だった。
ほう、中々ひょうきんな爺さんじゃないか。
先ほどまで感じていた畏敬の念は消し飛んだ。
渋い見かけからは想像もつかない、お茶目ぶりに思わず頭を抱えたくなる。
大丈夫なのか、この人。
「いやぁ、びっくりしたかい……って聞くまでもないか。藤岡先生は気づいてたみたいだけど。
豊臣さんと、そっちの男の子は見事に引っかかってくれたねぇ」
かっかっかっ、心底愉快そうに校長は笑う。
「全く、校長。少しは自嘲してくださいよ」先生はすっかり呆れていた。
「いやいや、扉の外から話し声が聞こえてさ、つい」
「ついじゃないですよ。
棺桶に片足突っ込んでんだから、シャレになりませんってば」
「誰が死にかけのもうろく爺だって?」
「そこまでは言ってませんって、爺」
「じい、じゃないよ、きみぃ。給与査定どうなるだろうね?」
「そっちこそ、教育委員会にチクりますよ?」
「……すいませんでしたっ!」
権力者がさらに巨大な権力に負けた瞬間である。
しかし流れる様なコントだった。
藤岡の対応を見るに、これくらいのこと日常茶飯事らしい。
教職員の苦労がしのばれると同時に、学校の未来が不安になる。
「まあとにかく座りなさいな。僕に用があるんだよね?」
校長は気さくに応接セットを掌で示した。
更なる悪戯を警戒しながらも、俺たちは腰を下ろした。
そして早速本題に入っていく。
「あのですね――」
ファーストコンタクトこそ、こうしてハチャメチャ振りを見せてくれたものの。
話し始めれば、校長は真剣に俺たちの話に耳を傾けてくれた。
「……というわけで、うちの購買にフジミベーカリーのパンを置いていただけませんか?」
「ああ、オッケーオッケー」
「ええっ、そんな軽いノリでいいんですか?」
「まあうちの卒業生ってことなら、信用できるしなぁ」
意外にも、簡単に話は片付いた。少し拍子抜けだった。
「いやぁ、やっぱり校長先生は話がわかりますね~」
「そんなに褒めないでくれよ、豊臣さん」
露骨な太鼓持ちだが、校長は少し気をよくしている。
「上手くいって、よかったな、橋場」
「そうですね。先生が一緒に来た意味はまるでなかったですけど」
「……それは言わんでくれ」
すっかり緊張から解放さえ、こんな談笑さえできる余裕がある。
「「校長先生、ありがとうございました!」」
席を立ち、寧音と声を揃えて礼を述べた。
俺たちはこのままお暇しようと出口に向かう。
だが――
「まあ待ちなさい、若人たちよ。一つ条件がある」
俺たちはその声に引き留められた。
見ると、校長は少し不敵に笑っている。
やはりそううまい話はないらしい。
どんな難題が吹っ掛けられるのか、少し不安になる。
俺たちは校長が述べる言葉に耳を傾けた――




