魔人覚醒
魔剣陽炎に力を与えられた桃花は、まさしく眼にも止まらない動きだった。
踏み込みひとつで、この手狭なアジト内を自由自在に飛翔する。
それは『燃焼系アクマ式』による効果だけではなく、純粋に乳がなくなったことにより、体重が軽くなったことが影響しているだろう。
つるつるのぺたーんな体型となった桃花の動きは、それほどまでに軽快だった。
それと、桃花自身はおおきすぎる胸をジロジロと男から見られる視線が苦手だったから、あのいかにも男好きする体型とオサラバできて心底すっきり爽快だったのだ。
「身体が軽い……。こんな気持ちで戦うのは初めて……。もう何も怖くない!」
つるぺた桃花の移動速度は人間のそれを遥かに超える。
コンクリートの床を踏み込んだと思えば、あっという間に天井まで到達し、身体を反転させて天井を蹴り、今度は左右の壁を駆け抜ける。
その立体的軌道はまさに縦横無尽の動きだった。
弾丸のように宙を駆ける桃花の速度に、誰もついていけない。
しかし、伊吹イブのみはその動きに辛うじてついていけた。
視覚だけでなく、嗅覚聴覚触覚など己の五感すべてをフル稼働して、ようやく桃花の立体駆動を感知することができたのだ。
「……恐るべき動きだ。これが、全てを失った代償に得た力か!」
「姐さん、危ない!」
「ッ!」
桃花がその神速をもってイブの背後にまわり、一刀両断にしようと振りかぶっていた。
それを見て、七瀬が叫ぶと同時に、イブは反応していた。
イブは身体を捻ると、『お強敵パンチ速射版』を桃花に向ける。
彼女が狙うは魔剣陽炎。
桃花自身は対人殺傷防止プロテクトにより殴れないが、剣は殴れるのだ。
それを殴り飛ばせば、とりあえず桃花の悪魔に与えられた力を封じれる。
しかし、イブの拳に反応した桃花も、身体を捩じり、それを避けた。
「ぬうッ!?」
「姐さんの攻撃を躱した!?」
桃花はさらに身体を捩じる。
空振りしたイブの肩口から袈裟切りに刀を振り下ろした。
それに対応してイブは空中で器用に回転しながら、刃の部分を避けるように刀身を蹴りつける。
桃花は両手で剣を握りしめ、刀にかかる衝撃を身体全体で受け止めた。
それによって彼女は吹き飛ばされ、反動でイブも桃花から距離を取ることができた。
蹴り飛ばされた桃花も空中で一回転すると、音もなく着地する。桃花にもダメージはない。
その両者の戦いを見ていた七瀬たちは、あまりに人間離れした光景に唖然としていた。
「……、すごい攻防だよ」
「あたしにはさっぱり見えなかったのね!」
「桃花の人間の速度限界を遥かに凌駕した攻撃を、姐さんはまるで曲芸師のような軽業でいなしていたよ」
「なるほど、それじゃあ、アダムさんはどう見るのね?」
【……ああ、桃花さんの奇跡のおっぱいがなくなったビッチ……。神は死んだ!】
「どんだけショックうけてるんだよ……」
「全然使い物にならないのね……」
「アダムよりも、そこで横になってる密輸組織のボスの方がまともなこというと思うよ」
「そうなのね。今の戦いから、今後の展望を元伝説の殺し屋といわれたジャッカルさんに解説してもらうのね」
突然話を振られたジャッカルが身を起こす。
「え、ああ。いきなりくるのな。
えーと、さっきまでなら伊吹イブは力、速度、技量すべてにおいて、不知火桃花を圧倒していた。
なにしろ、伊吹は歴代『拳聖』の中でも最強と名高い『白龍拳聖』であり、ただの『剣聖』である不知火では荷が重い。
ゆえに、ほぼ『子ども扱い』にできた。
しかし、現在は速度においては桃花の方が上回る。
となるとPK防止プロテクトにより決定打を撃てない伊吹が圧倒的不利といえる」
話を聞けば、状況は極めて悪いことがわかる。
七瀬は心配げに状況を見つめた。
「姐さん……」
その視線の先にいるイブと、対峙する桃花。
桃花が陽炎を下段に構えながら、イブに問いかけた。
「どうや。スピードではうちのほうが上。さらに、そっちの攻撃はうちには効かない。もう、そっちの詰みやろ?」
イブは可愛らしく首を傾げてみせた。
「……貴様は何を寝言を言っているのだ?」
「寝言を言っているのはどっちや? 状況が不利なのは火を見るよりも明らかやろ!?」
「ふふふ、いいや、寝言をいっているのは貴様だ。まるで夢見る乙女のように状況が分かっていない」
「なんやと!?」
「いいか、よく聞け! 私の伊吹式パーフェクト恋愛術は無敵だ! この程度の事態は不利ではない。むしろ想定の範囲内だ」
「ふん、強がりを……」
「強がりなどではない。予言してやろう。貴様があと一度でも私を攻撃したならば、もう私を止める術はないだろう。その剣とともに貴様の志をへし折ってやる」
「……。そこまでいくと寝言というより妄想癖とでもいうべきやな。それとも、虚言癖か。できるもんならやってみいや」
「そう思うなら、本当かどうか試してみるがいい」
「……そうさせてもらうわ」
桃花は飛び跳ねた。
ふたたび眼にも止まらぬ高速移動。
桃花は無数にフェイントを織り交ぜる。
イブはそれを険しい顔で見つめていた。
そして、桃花は本命である渾身の一撃を、下段に構えたその剣を振り抜いた。
目の前に現れる防壁バリアを陽炎が切り裂く。
その瞬間だった。
イブの目がギラリと光った。
「わかったぞ! ようやく掴んだ!」
「なに!?」
「私はずっと観察していた。
その陽炎という剣がどうやってPKプロテクトを切り裂くのか。
どのようにこの空間に干渉していたのか。そのメカニズムを。
そして、今ので遂にわかったぞ!」
「何をいってるんや!」
「伊吹式パーフェクト恋愛術『恋の乱れ打ち』!」
イブの拳が無数の質量を伴った残像となって、打ち出される。
それは桃花の下段攻撃を相殺すると、さらに桃花に向けて一直線に拳が飛ぶ。
その瞬間に桃花を守るために展開されるバリア。
しかし、イブの拳がバリアをひび割れさせる。
イブは宣言通り、陽炎がプロテクトを破壊するメカニズムを目視によって再現してみせたのだ。
「ば、バカな!? バリアが割れる!?」
イブの連撃にバリバリとひび割れていったバリアが砕け散る。
「ひぃ」
咄嗟に身を守ろうと陽炎を前に突き出した桃花。
イブはその陽炎を殴りまくる。
「オラオラオラオラオラオラオラッ!」
「な、か、陽炎が!」
イブのラッシュの前に魔剣陽炎の刀身にひびが入る。
「これで終わりだぁ!」
その裂帛の掛け声とともに打ち出されたイブの拳が、ついに陽炎をへし折った。
「な、そんな!?」
桃花の悲鳴がした。
それは戦いの決着がついたと同義だった。
恐るべき剣士、『剣聖』不知火桃花との決着が。
イブは前言通り、陽炎をへし折り、桃花の心根すら叩き折って見せたのだ。
これが完全勝利といわずして、何をそう呼ぶのだろうか。
だれもが、そう思った。
だれしもが、そう思った。
七瀬も、アダムも、ジャッカルも、桃花さえもそう思った。
あのイブさえもそう思っていた。
だが、しかし、それは油断だった。
へし折れた刀は、陽炎の破片は宙を舞う。
空中にキラキラと舞った刀の欠片を見ていた美代子は、それが美味しそうだなと思った。
だから、パクリと食べた。
「「「「えっ!?」」」」
イブが、桃花が、七瀬が、アダムが、その様子を唖然として見ていた。
美代子はバリバリ、ムシャムシャとそれを食べると、ごくりと嚥下した。
「な、美代子! 貴様、何をしてる!?」
【げぇ!?】
「な、なに?」
「なんで食べたの、それ!?」
なぜ食べたのか、美代子以外のだれもわからなかった。
腹ペコヒロインの直感が、本能が、生命の大車輪が、その行動をプッシュしたのだ。
凄まじい熱気が、そして、地鳴りがするようなプレッシャーが、美代子の身体から湧き上がっていた。
そして、彼女はあの、恐ろしげな言葉を発したのだ。
「旨い旨いうんまーいッ! ひゃぁあああああああうまいぃいいいい! 刀うまいい! パリパリしててせんべいみたい! うま! 激うま!」
彼女が新房くいなとして、かつて持っていた悪魔の力。
全ての『料理』を胃袋の彼方に葬り去る、『腹ペコヒロインレクイエム』。
イブに敗北した彼女は、悪魔との契約が切れて、それを失ってしまった。
しかし、それは確かに彼女の中にあったものなのだ。
それならば、失った痕跡を元にして、それを紡ぎだすことができるはず。
美代子はそうやって悪魔の力を自力で『再構成』したのだ。
全てはひとつの目的のために。
陽炎を飲み干した美代子は、イブたちに向き直った。
そして、その復活を宣言する。
「腹ペコヒロインは滅びんよ。何度でも、甦るのね!」
かつて、イブに敗れたのはイブの作ったゆでたまごを『料理』と見れなかったことが敗因だった。
その負けは、根源的に言えば、くいなの食欲の敗北だった。
もしも、くいなが心の底から飢えていたのなら、あれを『料理』と認識できていたはずだったのだ。
空腹は最大の調味料であり、最高のスパイスである。
ならばその空腹を、飢餓を、自在にコントロールし、最高まで高めれば、全ての物を『料理』と認識できるはずだった。
たとえ、有機物でも無機物さえも。悪魔の魔剣さえも。
「……ああ、この感覚。今ではこの身を焦がす空腹さえも愛おしいのね!」
「ま、まさか……。陽炎の力を取り込んでいる……だと?」
「その通りなのね! この力さえあれば、楽して痩せられるのね!」
そう、使用者の脂肪を力に変える陽炎の力ならば、美代子の九十キロを超えた体重を容易に落とすことができる。
洞窟内は強烈な熱気に包まれる。美代子の体脂肪を分解して、エネルギーが生まれ始めているのだ。
美代子は前から思っていた。
不知火桃花の『火』の力は、『燃焼系アクマ式』は自分にこそ相応しい能力だと思っていた。
そして、『腹ペコヒロインレクイエム』の力ならば、その力を取り込むことができるのではと。
その予感は当たっていた。
かつて美代子だった者は、その90キロの体重のうち50キロが脂肪だった。
その全ての脂肪分をエネルギーに変換する。
不知火桃花のおっぱいは超おっきかったが、その重量は5キロもなかった。
つまり、桃花ですらあれほどの力を得たというのに、美代子はその十倍以上の力を得たことになる。
しかし、まだまだそれだけではない。悪夢は終わらない。
【……まさか、そんな、いや、美代子さんの女子力があがっているビッチ!】
信じられないという顔のアダムに、七瀬も素っ頓狂な声を上げる。
「何だって!? どういうことだい!?」
【そうか! ダイエットだビッチ!
この乙女ゲームの世界の中ではダイエットに成功すれば女子力があがる!
一キロにつき1000ポイントの女子力を獲得できる!
でも、一気にたくさん痩せればそれにボーナスがつくビッチ!】
「ボーナスだって!?」
【……どれくらいのボーナスがつくかは僕にもわからないビッチ。何しろ五十キロも一気に痩せるなんて、想定されていた行動ではないビッチ!】
「……な、なんてことだい!? このままじゃ美代子を誰にもとめられないよ!」
【女子力きゅ……90000!? 100000……110000……。 バ……バカな……まさか……。ま……まだ上昇しているビッチ……!】
猛烈な熱気と水蒸気で前も見えなくなっていた。
その中では陽炎の能力を取り込んだ美代子が見る見るうちに痩せていく。
そして、シューシューと音を立てていた蒸気の音がやむと、霧が張れるように中にいた少女が姿をあらわした。
かつて美代子だったものは、妖艶さと可愛さというアンビバレンツな魅力を両立した少女へと変貌を遂げていた。
その姿は、もう美代子のそれではなかった。
かつて、新房くいなだった姿そのものだった。
しかし、彼女が持つ力は、かつての新房くいなとは比較にならないほど、はるか上だ。
彼女は両掌を胸の前で重ね合わせると、ゆっくりと口を開いた。
「もう、あたしは美代子ではない。帰ってきた腹ペコヒロイン、新生『新房くいな』なのね!」
彼女の手からは、米が溢れている。
それはあまりに白く、美しい米だった。
国産最高級米だった。
彼女は既に無限に米を生み出す悪魔の力『ライスイズビューティフル』すら再構成していた。
くいなはその手の平を上に掲げ、降り注ぐ米を浴びる。
まるで、自らの門出を祝うかのごときライスシャワーだった。
そのあまりにも禍々しくも神々しい姿に、アダムは震えながら尋ねた。
【川本美代子。いや、新房くいな……。君はいったい……何者なんだビッチ?】
その問いに初めて、くいなはアダムの方を見る。
「……そうね。
悪魔でもなく、人の身でありながら、魔の力を自在に使いこなす者。
それを何かと問われたら、それはもう魔人と呼称するしかないのではないかしらなのね?」
【ま、魔人……。
人の領域を超え、魔の力を操るもの。
これはもうヒロインという枠組みを遥かに超えた存在ビッチ。
いうなれば、『腹ペコ魔人』!
腹ペコ魔人、新房くいなの誕生だビッチ!
……勝てない。この新房くいなに勝てる存在などこの世に存在するわけがないビッチ!】
ふたたび復活した『腹ペコ魔人』新房くいな。
ゆっくりと周囲を睥睨する彼女の瞳には何が映るのか。
そして、その視線の先にはイブがいる。
世界最強の暴力系ヒロイン伊吹イブが。
この二つの視線が交錯するとき、果たしてどんな惨劇が起こるのだろうか。




