098.友達
ノアールが食事を取らない。
「ノアール? 夕食くらい……」
妻に相談されたウィンチェスタ侯爵は、ノアールの部屋のドアを開けた。
食事をしないと聞いたので、てっきり塞ぎ込んでいるのかと思えば、机に向かって何かを書いている。
魔道具作りに集中すると食事を忘れて没頭してしまう。
リリアーナと出会う前がそうだった。
ウィンチェスタ侯爵はゆっくり机に近づいた。
たくさんの紙。
何度も描き直された魔術回路。
腕輪だろうか。
動く仕掛けもありそうだ。
しばらく眺めていると、ようやく気づいたノアールが顔を上げた。
「……父上?」
周りを見渡し、今ようやく暗いことに気がついたようだ。
「何を作っているのかな? 仕掛けもあって面白そうだ」
ウィンチェスタ侯爵が1枚の紙を手に取ると、ノアールは眼鏡を外して目頭を押さえた。
一体いつから描き続けていたのか。
ウィンチェスタ侯爵は困った子だと肩をすくめた。
「魔力を蓄えて、必要な時に戻せる物を作っています」
ノアールは眼鏡を戻し、1番困っている所を見せた。
「魔力を蓄える……?」
蓄えて戻す。
ウィンチェスタ侯爵には、これを必要とする子は1人しか思い当たらなかった。
見せられた魔術回路を追っていくと問題の箇所はすぐに見つかった。
机をトントンと叩き、ここだねと指摘する。
蓄えた物を戻す。
その切り替え部分だ。
連結がうまくいかず、戻せない状態になっている。
「少し待っていなさい」
ウィンチェスタ侯爵は書斎から隣国の魔道具の設計図を数枚持ってきた。
面白そうだと思った物の写しだ。
原本はきちんと王宮に保管してある。
「これが切り替えの部分の参考になるだろう。あとこちらは悪用されないように、使用者を固定するための回路だ」
ウィンチェスタ侯爵は机に何枚か広げて置き、簡単に回路を説明した。
ノアールならばこのくらいの情報で繋ぎ合わせる事は可能だろう。
「腕輪は? 何個必要だい?」
少し小さめで軽い物だろう?
ウィンチェスタ侯爵はノアールに微笑んだ。
「2つはほしいです」
実験用と贈り物用だ。
ノアールはまだまだ父には敵わないと溜息をついた。
「……これが完成したら、ドラゴニアス帝国に行きます」
馬鹿な事を言うなと反対される事を覚悟の上でノアールはウィンチェスタ侯爵に想いを告げた。
「……そうか」
肯定でもない、否定でもない回答。
「反対……しないのですか?」
「反対してほしいのかい?」
はっとしたノアールがウィンチェスタ侯爵を見上げると、ウィンチェスタ侯爵は困ったような顔をして微笑んだ。
ウィンチェスタ侯爵は、先ほど書斎から設計図と一緒に持ってきた封筒をノアールに手渡した。
少し茶色がかったよくある封筒だ。
ただ、真ん中より下に予想外の文字が書かれている。
「……帝立学園……」
封筒の文字にノアールが目を見開く。
その封筒にはドラゴニアス帝立学園の臨時講師採用通知書が入っていた。
ウィンチェスタ侯爵は、今までノアールが書いた論文全てと実物の手錠を同封し、帝立学園へ送っていた。
講演会をさせてくれないかと。
もし講演会で本人を気に入ってくれたら講師として雇ってくれないかと頼んだのだ。
スライゴ侯爵の息子にも口添えを頼んだ。
学園長は論文を気に入り、講師として招きたいと言ってくれた。
とりあえず期間は3ヶ月。
ドラゴニアス帝国の暦で10月~12月。
その後は4月から正式に教授となるか、そのまま臨時講師で更新するか、更新しないかお互いに協議で決めると書いてある。
「……父上……」
ノアールは書類を大事に抱えた。
「以前フレディリック殿下に、ノアールは教える能力に長けていると褒めて頂いた事があるのだよ」
だから留学ではなく、講師で申し込んだのだとウィンチェスタ侯爵は言った。
すでに国王陛下とフレディリック殿下の許可は得ており、エスト国に帰ってきた後は魔術師団でも王太子殿下の護衛でも王立学園の講師になるのでもノアールが選べる事になっていると言う。
「私が出来るのはここまでだよ。あとはがんばりなさい」
リリアーナはまだ何年生かわからないが、ここへ通う事になったと聞いている。
会えるかはわからない。
会わない方がいいのかもしれない。
ウィンチェスタ侯爵は書類を確認するノアールを切なそうな目で見つめた。
ドラゴニアス帝国の暦では、今は5月。
10月から講師となるため、準備や移動を考えると9月の始めにはこの国を出発したい。
「ありがとうございます。父上」
やっぱりまだまだ父には敵わない。
ノアールは立ち上がり、ウィンチェスタ侯爵に頭を下げた。
◇
白の長いローブを羽織り、手には時間割を持ったリリアーナをジークハルトは軽々と抱き上げた。
泣いた目が赤く、これでは本当にうさぎだ。
「あとで面白かった授業を教えてください」
来週までにどの授業を受けるか決めなくてはいけない。
大学1年生みたいに最初にたくさん詰め込んでしまおうか。
せっかく学べるのだから、いろいろ受けてみたい。
リリアーナは時間割を見るのが楽しみだった。
すれ違う人にまた2度見されながら廊下を進むと、執務室の前に綺麗な金髪が見えた。
「どうした? ライ」
ジークハルトがラインハルトに声をかけると、予定外だったのかラインハルトが驚いた顔をした。
きっと執務室にいると思っていたのだろう。
扉の前でノックできずにいたのかもしれない。
「あ……」
言葉に詰まるラインハルトをジークハルトは執務室に入れた。
リリアーナを床に下ろすと、ラインハルトがようやくリリアーナのローブに気がつく。
「……白?」
学園のローブの白は12年生以上。
ラインハルトは驚いた。
3年生を体験したのに白?
「リリアーナは13年生にした。18歳で15年生を卒業して結婚する」
当然のように告げられた言葉にラインハルトだけでなくリリアーナも驚いた。
「え?」
「えっ!?」
2人でハモり、思わず顔を見合わせた。
ラインハルトとリリアーナの身長は同じくらい。
顔を見合わせるとピッタリと目があった。
「なんでリナが驚くんだ」
ジークハルトが眉間にシワを寄せた。
「だ、だってさっきはそんな事、一言も……」
結婚なんて単語は出なかったではないか。
固まったリリアーナを見て、ジークハルトは溜息をついた。
「ライは? 何の用件だ?」
ジークハルトが尋ねると、ラインハルトはリリアーナに向き合い頭を下げた。
「この前は悪かった」
急に来て気に入らなかった事をラインハルトは正直に告げた。
ちょっとした悪戯のつもりだったと。
「あの、私もごめんなさい」
それ以上言ってしまうとジークハルトにバレると思い、リリアーナは焦ってラインハルトの言葉を遮った。
お互いに何と言って良いのか悩んで固まる。
ジークハルトにバレてはいけない気持ちは一緒だ。
「あー、えっと。何かお詫びに、えっと、何でもしてやる」
ラインハルトがうまく伝えられない言葉をしどろもどろに紡ぐとリリアーナは笑った。
「じゃあ、友達になって。私、今まで一人も友達がいないの」
「は?」
一人もいないってどんだけ性格悪いんだよ?
思わず口に出そうになった言葉をラインハルトは必死で飲み込んだ。
「……本当にそんなのでいいのか?」
廃嫡、幽閉だと言われたのに。
ラインハルトが確認すると、リリアーナはうん。と頷いた。
「ジーク様! 友達1人できました!」
得意げに振り返りジークハルトに伝えると、ジークハルトは溜息をついた。
「義弟は友達には数えないぞ」
お詫びで友達って、おかしいだろう。
ジークハルトは突っ込みたい気持ちを抑え、楽しそうに時間割を広げる2人を見て微笑んだ。