065.創造魔術
「ノア先生おかえりなさい」
別邸のキッチンで頬に白い粉をつけたリリアーナが手を作業台の上に乗せたまま振り返った。
長い黒髪は邪魔にならないように三つ編みにし、寮長がくれたフリフリのエプロンをして何かを混ぜている。
「何を作っているのですか?」
ノアールは無防備なリリアーナを後ろから抱きしめた。
「だ、ダメですよ、粉ついちゃいますっ」
真っ赤な顔で訴えるリリアーナの首に口づけすると、一気に首まで赤くなった。
くっついていると作業をしにくそうだったので渋々離れたが、ノアールはキッチンの椅子に座りリリアーナを見つめる事にした。
「ベリータルトです」
ニコニコと言われるがタルトとは?
ノアールが料理長を見ると、手でわかりませんポーズをされた。
生地を伸ばし、手慣れた感じで型の上に。
「その入れ物は何ですか?」
周りが2cmほど高くなっており波をうったような細工。
金属のようだが見たことがない。
「タルトを焼く容器ですよ?」
普通のです。という反応をされたが、やはりよくわからなかった。
「料理長、これオーブンで焼いて」
リリアーナが料理長に型を渡すと、はいよ。と受け取ってくれた。
数年前にヒョロヒョロから変わった今のムキムキの料理長は、リリアーナがキッチンに来ても嫌がらない。
むしろ寮へ持っていく調味料などを準備してくれる良い人だ。
「何分だ?」
オーブンへ入れ扉を閉じた料理長がリリアーナに確認する。
「焼き目を見ないとわからなので、覗きたいです」
オーブンは上にあるため背の低いリリアーナからは見えない。
ぴょこぴょこ飛ぶリリアーナを料理長はヒョイと片手で持ち上げた。
まるで小さい子を抱っこするかのようだ。
「リ、リリー!」
小さい頃ウィンチェスタ侯爵にも抱っこされていたのでリリアーナは何も気にしていなかったが、年頃の令嬢が男性に持ち上げられる状態は良くないとノアールに怒られた。
エドワードがいたなら間違いなく『常識がない』と言われただろう。
面倒だが毎回料理長にタルト生地をオーブンから出してもらう。
「このくらいで大丈夫です」
美しい焦げ色がついたところで型から外しお皿の上へ置いた。
生地は今のところ成功だ。
オーブンの電源を切っている料理長の横顔をたまたま見たリリアーナは、あれ? と止まった。
見た事がある。
王宮でお兄様の後ろの方にいた人。
あの時その横にいたのは、もしかして冷蔵庫を作ってくれた庭師さん?
リリアーナは気づいてしまった。
王宮でフレディリック殿下の声に集まった20人程のメンバーの中にいたのだ。
服が違うのであの時は気づかなかった。
特殊部隊ができる前から、ずっと彼らは護っていてくれたのだ。
「リリー? どうしましたか?」
料理長を見つめたまま動かないリリアーナにノアールが声をかけた。
「・・・料理長、特殊部隊の人?」
小さな声でつぶやかれた言葉に料理長が振り向いた。
「庭師さんも、寮長も?」
今思えば必要以上にムキムキな人たちばかりだ。
バレたか。と笑う料理長。
「ありがとうございます」
リリアーナは泣きそうな顔でお礼を言った。
少し冷めたタルト生地に先に作っておいたカスタードクリームを入れ、いちごやブルーベリーを飾り、完成だ。
切るのとお皿に乗せるのは料理長に任せて、先にリリアーナとノアールはリビングへ戻った。
侍女のミナが紅茶とタルトを運んでくれる。
残ったタルトは料理長や庭師、侍女で食べてほしいとミナに頼んだ。
「美味しいです」
ノアールが緑の眼を細めて微笑んだ。
「こんな美味しい焼き菓子は食べた事がありません」
サクサクの食感もいいし、甘いクリームと酸味のある果物の組み合わせがいいですねと褒めてくれる。
完璧な食リポだ。
そういえば、王宮でもらったお菓子はフルーツを使用したものがなかった。
ナマモノとか日持ちしないものはダメなのかもしれない。
リリアーナもタルトにフォークを刺すと、サクッと良い音がした。
うん。ちゃんと出来ている!
材料も適当な分量で作ったが上手くできてよかった。
いちごも美味しい。
「見せたい魔術って何ですか?」
タルトを食べ終わったノアールが紅茶を飲みながら尋ねた。
話しかける口実だったって事はないですよね? と確認される。
「え~っと、倒れないと思うので心配しないでくださいね?」
変な前置きをして、リリアーナはソファーに座ったまま腕を前に出した。
目を閉じて思い浮かべる。
今日作るのは2穴のルーズリーフバインダー。
実はリリアーナはもう寮でこっそり使っている。
ノートと違ってページを差し替えできるのですごく便利だ。
これをノアールにもプレゼントしたい。
色は黒。
持っていても目立たない黒。
大きさは紙がちょうど入る大きさ。
こちらの紙はA4サイズではない微妙なサイズ。
2穴の部分、表紙、素材、質感。
具体的にイメージする。
目が熱くなり、涙が流れた。
「リリー!」
これはヘアゴムとエンピツの時と同じ。
ノアールは慌てて駆け寄り、隣に座った。
横から指先を確認すると、段々冷えてきている。
倒れるといけないので片腕を背中に回し、横から支えた。
手の上に現れる四角いもの。
エンピツに比べるとだいぶ大きい。
黒い潤んだ大きな眼が一瞬開いたが、上を向くとまた眼を閉じてしまった。
実体を持ちはじめる黒い物体。
何かわからない。
リリアーナは現れた黒いものを手に取ると、ゆっくりと目を開けた。
「リリー!」
ぐらりと揺れる身体を慌ててノアールが支える。
リリアーナはノアールの胸に倒れ込むと、大きく息をはいた。
「だ、いじょうぶ、です」
肩で息をしながらバインダーを抱きしめる。
ノアールはリリアーナの背中を優しく撫でた。
片手で指先を触るとかなり冷たい。
意識は失わなかったが、ギリギリといった所だろうか。
身体は自分にもたれさせ、片手で背中を撫でながらもう片方の手でリリアーナの手を握る。
自分の腕の中にすっぽり入ってしまう小さなリリアーナをノアールは抱きしめた。
「無理はしないでください」
ノアールの心配そうな声にリリアーナは顔を上げて微笑んだ。
だが、すぐにまた腕の中に顔を埋めてしまう。
しばらくするとようやく呼吸が落ち着いたリリアーナが顔を上げた。
もたれかかっていたノアールから身体を離し、抱きかかえていたバインダーを手渡した。
「これは何ですか?」
開いてみるがよくわからない。
黒い板?
素材もよくわからない。
柔らかいような固いような不思議な固さ。
真ん中の2つの輪は何だろうか?
「バインダーです。ノートの代わりです」
「ノート?」
黒い板がノート?
ノアールは首を傾げた。
リリアーナは当たり前のように言うが、ノアールにはその名前も使い方も全くわからなかった。




