025.3歳の記憶
「……っ……父、様……」
うなされたリリアーナが発した声に反応し、ノアールの手に力が入った。
父上を呼んだということは、やはりリリーは父上の事が……。
確認したわけでもないのに自分の想像で心をえぐられたような気分になる。
「ふむ。……フォード侯爵だろうね」
ノアールの気持ちを察してか、ウィンチェスタ侯爵はアゴに手をあてながらつぶやいた。
「うなされるような事はしていないからね」
ウィンチェスタ侯爵は肩をすくめながら言った。
「どの口がそれを言う」
魔術師団長は国王陛下との顔合わせの光景を思い出しながら思わず突っ込んだ。
「いやいや、無効でしょう」
本人が覚えていないのだから。と軽く笑う。
「潜在的に覚えているという可能性は?」
「どうだろうか」
ウィンチェスタ侯爵と魔術師団長の会話が何を指すのか、ノアールはまったくついていけなかった。
「今度お前で試してやるから赤を貸せ」
魔術師団長の言葉にウィンチェスタ侯爵は口の端を上げて笑った。
「さて、ノアール。リリアーナは任せたよ。私は国王陛下に魔石をもらえるかお願いしてくるからね」
ウィンチェスタ侯爵が、さらっととんでもないことを言う。
「もらえるわけがないだろう、このサイズ1つで国家予算1年分だぞ」
呆れる魔術師団長を横目に、ウィンチェスタ侯爵は緑の眼を細めて笑った。
◇
身体が熱い。
リリアーナはぼーっとする頭でベッドの上にいた。
「お嬢様が可哀想です! もっと会いに来るべきです!」
年配の侍女長がフォード侯爵へ詰め寄った。
「こんな小さいのに魔力滞留だなんて。きっと魔力量が多いのです。もっと良い環境で……」
いつも絵本を読んでくれて、ご飯も一緒に食べてくれる優しい侍女長が珍しく怒っている。
あぁ、熱が出たのだった。
昨日来た医者が本人が目の前にいるというのに『3歳でこの病気とは珍しい。このままでは死んでしまうかもしれない』と発言したせいだ。
そういう事は本人に聞こえない所でして欲しかった。
魔力滞留は7歳の子がなる病気だそうだ。
3歳でなるのはあり得ないのだと、医者が侍女長に説明していた。
息が苦しい。
このまま死ぬのかな。
身体も熱くて怠い。
まぁ、いいか。
父には嫌われているみたいだし。
父は時々しか来ないがモノクルをいつも付けているのでやっと最近顔を覚えた。
滅多に来ない金髪の子は無茶苦茶かわいい。
女の子だと思っていたら、兄だったと知り衝撃を受けた。
「魔力滞留か」
フォード侯爵は嬉しそうに笑った。
モノクルの奥は綺麗な青だった。
ちゃんと顔を見るのは初めてかもしれない。
こんなに苦しんでいるのに、なぜ笑っているのだろう。
「お前を選んだのは私だ」
この人が私に話しかけてくるのも初めてだ。
侍女長と話している姿は見かけるが、私に挨拶することも触れてくることもない。
「リリアーナ。どんな手段を使っても必ず叶えろ。願いのために世界を変えろ」
頬を撫でられ、名前を呼ばれるのも最初で最後。
「……っ……父、様……」
リリアーナの頬に涙が流れた。
◇
ウィンチェスタ侯爵と魔術師団長が王宮へ戻った後、ノアールはベッド横の椅子に座り看病を続けた。
意識がなくてもこまめに着替えさせること。
少しでも目を開けたら水分を取らせること。
時々身体の向きを変えること。
呼吸が安定したら魔石を外すこと。
保健医から言われた看病方法と、魔術師団長の助言を元に、リリアーナの熱が下がるのを待った。
魔石のおかげか、リリアーナは翌日目を開けた。
意識がはっきりしないのか、目は開いているが天井を見つめぼーっとしている。
「……リリー? 大丈夫ですか?」
返事はない。
「リリー?」
顔を覗き込んだがリリアーナとは目が合わなかった。
目は開いているが心がここに無いような、人形になってしまったかのような状態にノアールは息を飲んだ。
大きな黒い眼に何も映す事なく、再びリリアーナは目を閉じた。
『少しでも目を開けたら水分を取らせること』
こういうことだったのだろうか?
水分を取らせるのを忘れてしまった。
ノアールは大きく息を吐いた。
「驚いたかい? 魔力で目が開くだけで本人の意思ではないからね」
昼過ぎに様子を見に来た父上に何でもない事のように言われた。
「……そういうもの……ですか……」
感情のない瞳は結構怖いものだ。
「1度は目を開けたのだね? それならばもう大丈夫だ」
ウィンチェスタ侯爵はノアールの肩を励ますように軽く叩いた。
交代してあげるから少し休みなさいと言われる。
その言葉に甘えて、ノアールは自室へ戻って仮眠をとることにした。
ウィンチェスタ侯爵はベッド横のテーブルに置かれた魔石を見た。
こんな小さな、5mm程度の石が国家予算1年分とは。
魔術師団長の話では、魔石の効果はバラバラだという。
他にどんな魔石があるのだろうか。
この魔石は国王陛下にお願いしてリリアーナに譲ってもらった。
いつもの通り、新作の魔道具と引き換えだ。
『この魔道具があれば、王宮全体が守られますよ? 陛下もご家族も安全ですね』
以前作ったシールドの青を改良した物。
4体の魔道具で囲まれた範囲にシールドを張ることができる。
つまり、王宮の四隅に1体ずつ魔道具を置いておけば、たとえ王宮に攻撃を仕掛けられても守られるのだ。
来ることは考えられないが、万が一の他国からの攻撃に備えることができる。
『魔石1つと交換でいかがでしょう?』
緑の眼を細めて笑うと、国王陛下は綺麗にセットされた髪をぐちゃぐちゃにしながら渋々了解してくれた。
宰相にはずいぶんと睨まれてしまったが。
使用頻度と使用方法は魔術師団長に相談しよう。
ウィンチェスタ侯爵は口の端を上げた。
「……おや、気が付いたかい? リリアーナ」
うっすらと目を開けたリリアーナが視線を動かした。
まだぼんやりしているリリアーナのおでこにウィンチェスタ侯爵は手を置いた。
「学園で倒れたのだよ? 覚えているかい?」
熱は下がったようだね。
ウィンチェスタ侯爵が手をゆっくり離す。
あぁ、夢だったのか。
父が私の名前を呼んでくれたのは。
リリアーナは小さな声で話し始めた。
「……願いのために、世界を変えろ……?」
虚ろな目をしたままつぶやき続ける。
「……なぜ、私を選んだのですか……? ……お父様……」
そしてリリアーナは再び目を閉じた。
ウィンチェスタ侯爵は目を見開いた。
世界を変えろとは……?
フォード侯爵がリリアーナに言ったのだろう。
選ぶ? 何から?
選ぶというからには選択肢があったはずだ。
フォード侯爵は何をしている?
ウィンチェスタ侯爵はゆっくりと息を吐いた。
すやすやと眠るリリアーナの頬を優しく撫でる。
……君にはまだまだ秘密がありそうだね。
仮眠からもどったノアールに、1度目を開けたがまた眠ってしまったと告げた。
水分を取らせるのを忘れたよ。と笑う。
「では、あとは頼んだよ。明日の朝はもう大丈夫だと思うよ」
ウィンチェスタ侯爵の予言通り、リリアーナは翌朝すっかり元気になって目を開けた。