河童三四郎(中編)
翌朝、時計の針が十時を五分過ぎた頃。
森の中にあるバリアフリー化された木造一階建ての扉をドンッと叩く者が現れた。
アヴィーかな?
と思った家主の椋一は、ぼーと観ていた朝のニュースを切り、玄関に向かった。
そういえば、今のはドアノックの音じゃない。
この家にはインターホンが無い。何故と聞かれてもドアノックで事足りるからとしか言いようが無い。実際ドアノックの音はよく響く、裏庭にいても、トイレにいても聞こえる。
椋一の疑問はすぐ解決する。ドアに近づいた時鍵穴付近からガチャガチャと音がしたのだ。程なくしてカチリという音がした。
ドアノブが回され、ドアがゆっくり外側へと開かれるその瞬間、椋一は思いっきりドアを蹴り飛ばした。
「ぶぎゃあああ」
ゴンという鈍い音と共に発せられる奇声、椋一が外に出ると白いローブを羽織ったアヴィーが鼻から血を出して倒れていた。
その手にはドラマや映画で見た事のあるピッキング道具が握られていた。
「人の家ピッキングしてんじゃねえよ」
――――――――――――――――――――
「改めましぇて、異界からお客様をおつれひまひた」
鼻にティッシュを詰めてるせいか、アヴィーは少々話しずらそうだ。
聞くところによるとドアに二回も頭をぶつけたらしい。一回目は足を滑らせて(最初に聞いたドンッという音はこれ)、二回目は椋一が蹴飛ばした時に。
「ではどうぞ入って下はい」
アヴィーが開けたドア、そこから首に鈴をつけた十センチ程の小さな人が空を飛んで入ってきた。
真っ赤な髪に上向きにツンと曲がった鼻、緑色の目と、何より背中から生えている蝶のような二枚の羽根が特徴の異界人だ。
「ハァイ、アタシはピクシーのララよ、よろしくね」
「はいよろしく」
ピクシーか、女〇転生ではお世話になりました。
ララは首につけた鈴の音を鳴らしながら部屋中を飛び回っている。
「む~、ねぇアヴィー。こいつ本当に最近管理人になったの?」
「ひゃい、一週間前に契約書にシャインしたらひいでふよ」
契約書にサインね。確かに卒業式の翌日に来た幹部さん達が持ってきた書類にサインした。
「という事はさ、一週間前から見えるようになったわけじゃん? その割にはこいつもうこの状況になれてる感じなんだけど」
「あぁそれは確かに、フンッ! サインすれば自動的に普通の人には見えない異界人が見えるようになるのに、椋一さんは至って冷静ですよね、順応性が高いのでしょうか」
アヴィーは話の途中で鼻に詰めていたティッシュを、器用に鼻息で飛ばして手に持ったゴミ箱に入れた。
血は止まったみたいだ。
というかこいつ女捨ててる気がする。
「それはまぁ……だって物心つく前からお前達の事は見えてたし」
「あぁなるほど、そのクチですか……ってエエェェ!! 私それ聞いてないですよ!」
言ってないからな。
「なぁんだ、じゃああんたは生まれつきアタシ達が見えてたのね」
アヴィーと違いピクシーのララは冷静だ。
鈴を優雅に鳴らしながら空中遊泳を楽しんでいる。
「まあな、けど異界の事や扉は全然知らなかったぞ。そんな事より仕事だ仕事、俺は何をすればいいんだ?」
「あっ、えっとこの書類にサインと印鑑を押すだけです」
アヴィーが肩から掛けたバッグから一枚の書類を出した。印鑑がいるらしいから一度寝室に取りに行く。
次からは事前に用意しておこう。
「右下にサインと印鑑を、左上の管理者確認のところにも印鑑をお願いします」
「はいよ」
ソファに座ってから書いた書類をアヴィーに渡す。アヴィーは書類をバインダーに挟んでバッグに戻した。
「はい、これでララさんは森の外に出られますよ」
アヴィーはドアに駆け寄り、ゆっくり自分がピッキングしたドアを開ける。
「ありがと、じゃあ行ってくるわね」
と言ってララはアヴィーが再び開けたドアから外に飛び出していった。
「この仕事イマイチよくわからないんだけど、どういうシステム?」
「それはですね、まず我々異界人は異界の扉をくぐるとこの森に閉じ込められてしまうのです」
アヴィーは話しながら扉を閉めてソファに座った。ちょうど椋一と向かい合う形になる。
アヴィーの整った顔を正面から見るのは照れくさいので自然と目線が横を向く。
「一種の監獄になるわけです。そうなると森の外には出られませんし、扉から元の異界に戻ることもできません。管理人が許可を出して初めて出られるわけです」
「ますます空港っぽいな」
「因みに管理人が殺害された場合、許可を得た得ないに関わらず閉じ込められることになります」
おぉ、徹底している。
「例えるなら扉が飛行機、管理人が受付兼入場ゲートです。因みに昨日私が許可無しに帰れたのは、異界側の管理局から発行された一回限り有効の通行パスポートを持っていたからです」
「OK、大体わかった。これ以上は俺の頭が破裂するから今度な」
「わかりましたぁ」
自慢じゃないが俺の頭は余りよろしくない。大学を卒業出来たのもかなりギリギリだ。
全国一万二千六百二十人が参加した学力試験でジャスト半分の六千三百十位だったのは我ながら奇跡だと思う。
「ところで今日はもう仕事ないのか?」
「そうですね、異界から誰か来るという話しは聞いてませんし、ララさんが夜に帰るらしいのでその時にまた書類にサインをするぐらいでしょうか」
「そっか、それなら街まで買い物行こうかな」
まだ街の方には行っていない、スーパーやガソリンスタンド、車の修理工場は一度場所を確認しておいた方がいい。特にこの村にはガソリンスタンドが無いからそこは気を付けないと。
それと生活必需品も幾つか買っておこう。と買い物の計画を頭で簡単にたてる椋一をアヴィーは羨望の眼差しでもって見ている。
「か、買い物ですかぁ~!」
アヴィーが両手を合わせて更に目を輝かせた。
「えと、一緒に行く?」
「いいんですかぁ!?」
目の輝きはますます強くなっている。
そりゃこんな子供みたいにキラキラされたら後ろ髪引かれるよ。
「うん、じゃあ行くぞ。コボちゃんも一緒に行くか?」
「コボ」
首を横に振った。行かないらしい。
代わりに幾つもの丸印が書かれた一枚のチラシを差し出した。街にあるスーパーの広告だ。
買ってこいという意味らしい。
「それじゃあ留守番よろしく、行くぞアヴィー」
「あっ待って下さい! その前にここにサインお願いします」
と言ってアヴィーはさっきララに出した許可書と同じ紙を取り出して署名欄を指差した。
めんどくせえなあ! このシステム!
――――――――――――――――――――
時間は飛んで午後四時、河原の土手沿いの道にて。
椋一達は買い物を終えて村に帰ってきた。店の位置は確認したし、午後三時からのタイムセール戦争(おばちゃん達との血と脂が弾け飛ぶ熱き戦いの物語)は無事に生きて帰れた。
収穫は十分にあった、いや十二分にあった。異界の森までの近道を見つけたのだ。より正確には思い出しただが。
森は村の北東の端にある。昨日は大通り沿い(片側一車線)に歩いて行ったのだが、それは一番の遠回りだった。
バス停からだと一度南に歩いて回り込んだ方が何と二時間も短縮できるのだ。
「いやぁ今日は充実した一日だねぇ」
「ぶ~」
「欲を言えばもう少し仕事をしたかったかな」
「そうですか、だったら明日から副業すればいいじゃないですか」
つ~んと明後日の方向を向くアヴィー。心無しか言葉にもトゲがある。
「アヴィーさんアヴィーさん」
「はいアヴィーです」
「どうして不機嫌なんですか?」
何故か敬語になってしまった。
「別に不機嫌じゃないですよ。もう少し街をゆっくり見て回りたかったとか、もっと色んなお店を見たかったとか全然思ってませんよーだ」
思ってるらしい。思えばアヴィーは異界人、椋一が許可を出さねば自由に行動出来ない。
加えて女の子だ、街への興味は椋一以上だったのかもしれない。
「わかったよ、今度お前の気が済むまで付き合ってやるよ」
「ホントですか!?」
「お、おう。だが、夕方までだ。十八時以降はバスが二時間おきになって帰るのに手間取るからな」
「はい! 了解です! 楽しみだなぁ」
さっきまでの態度はどこへやら、途端に上機嫌になった。鼻歌まで歌う始末だ。
だがここまで喜ばれるとこちらも嬉しい、なるべく早く機会を作ってやろう。
「あっ、椋一さん! すごく大きい石がありますよ」
ふとアヴィーが土手下を指差した。それは昨日椋一が一人の子供に精神的ダメージを与えられた場所だった。
昨日と同じく無駄に存在感のある石がドシリと構えている。
子供はいない。
アヴィーはとことこと石に近付いて両手を付いて押してみた。
椋一は土手から降りてその様子を観察する。
「やっぱり動きませんねぇ」
「無理無理、それ地下の相当深くまで潜ってるから重機使わないと動かないぞ」
「へぇ~、椋一さんは動かそうとした事ありますか?」
「あるぞ、ていうかこの村の子供は皆一度はやってるんじゃないか? 少なくとも俺が小一の時、えと……十五、六年前には既にあったと思うぞ、この謎の風習」
「もっと前からあるぞオッサン」
「出たなこのガキ!」
昨日の子供が現れた。椋一は思わずファイティングポーズを取る。
昨日の轍は踏まないぞ。
「バカじゃないの? 彼女さんもこんなのとは付き合わない方がいいと思うよ」
「お前昨日会ったばかりなのに失礼だな!」
「あはは、彼女じゃないですよ。強いて言うなら……そうですね、そうだ男と女の関係ですね!」
「思い付かないなら無理して言うなよ! しかもよりによってわざわざ誤解を招く言い方しやがって!」
「それでもっと前にはっていうのはどれくらい前なんですか?」
「おじいちゃんが子供の時は石を動かしたら相撲大会で勝てるって噂があったらしいんだ」
「へぇ~」
あれ? 俺の事は無視ですか?
いつの間にか二人は土手の草原に腰掛けて仲良く談笑していた。
「そうだ姉ちゃん知ってる? ここ河童が出るんだって」
「あっそれ、俺もばあちゃんから聞いたことある」
「オッサンは黙っててよ」
チッキショー!! やり場のない怒りが椋一を襲う。そしてこじらせて拗ねた。
もういいよ、俺の事は放っておいてくれ。どうせ俺なんて……
椋一は地獄兄弟よろしく三角座りでいじけてしまった。
「河童が出るんですか」
「うん、じいちゃんが言ってた。しかもじいちゃん河童に会った事あるんだって! 友達にもなったって言ってた!」
「それ凄いじゃないですか!」
俺なんかピクシーと会ったぞ。友達にはなってないけど。
「じいちゃんが言うには、河童は飴玉が好きなんだって」
「え? きゅうりとか尻子玉じゃなくて?」
「うん飴玉、だからボク飴玉をいつも持ってるんだ。いつか河童に会った時のために」
少年はポケットから色とりどりの飴玉を取り出した。そのうち一つの飴玉、ピンク色の包装紙の飴玉をアヴィーに差し出した。
「ありがとうございます」
俺のは? 無いですよね、はい知ってましたぁ。
「あぁ椋一さんが負のオーラを撒き散らしてる。私達ここで帰りますね。私はアヴィーて言います。あなたのお名前は何ですか?」
「ボクはトオルだよ」
「俺は桧や……」
「オッサンの名前に興味はない」
チッキショー!! 精神の鎧を砕かれた椋一は涙を零しながら川沿いに走り出した。
「覚えてろよ!!」
「あぁえっと、失礼します。待って下さい椋一さん」
「バイバーイ」
――――――――――――――――――――
「アヴィーさんアヴィーさん」
「はいアヴィーです」
「ここはどこですか?」
「山です」
川沿いに走る事三十分、途中からマラソンに変わりひたすら川の上流に向かって走っていた。
気付けば舗装された道は無くなり、砂利と石が混在した足場の悪い道に変わっていた。
「ここに来るのも久しぶりだな」
子供の頃はここで水遊びをしたり釣りをしたりした。今でも魚は釣れるのだろうか?
「椋一さん体力ありますね、全然息が切れてない」
「まあこれでも子供の頃はヤンチャしてたからなあ、ていうかお前も結構体力あ……浮いてね?」
椋一はそこで隣にいるアヴィーが浮いている事に初めて気が付いた。ふわふわと地面から十センチ程浮かんでいる。
「お前そんな事できたのか」
だからマラソンしている椋一に付いてこれたのだ。
「はい、だってフェイですから」
「ずっこい! それ何かずっこい!」
「そうじゃそうじゃ、男なら己の足で走らんかい」
「いや私女の子ですし」
「いやアヴィーよ、これに関しては男も女も関係ない」
「うむ、そこの男の言う通り、鍛え上げた体を駆使するからこそ意味がある。そこに男女の壁等ない!」
「いやぁ全くその通り、話がわかる…………ってお前誰だ!?」
「えっ? 今気付いたのですか」
椋一が叫んだ先、川に佇む緑色の人影。頭に皿があり、背中に亀の甲羅のようなものを背負っているそれは、どこからどうみても河童だった。
「オイラは河太郎の三四郎だ。あんたらは?」
「田中太郎」
「アヴェリウス・ライアススリーです。アヴィーと呼んで下さい」
ナチュラルに偽名を使う椋一と、自己紹介の後に丁寧に頭を下げるアヴィー。育ちの違いが如実に現れていた。
「ふむ、田中にアヴィーだな。覚えた」
間違った名前を覚えられた。
「ところでお前達、この村で徹という少年を知っているか?」
「トオル君ならさっき会いましたよ」
「いや待てアヴィー、こいつの言っている徹と俺等が会ったトオルが同一人物とは限らないぞ。トオルなんてありふれた名前だからな」
「た、確かに。じゃあ三四郎さんの言う徹さんはどんな人ですか?」
三四郎は腕を組んで得意そうな顔をした。現代風に例えるならドヤ顔だ。
ついでに「フッフッフッ」と含み笑いを始めた。ひょっとしたら話したかったのかもしれないと思った。
「徹、奴はオイラの宿敵じゃ」
「宿敵ですか」
「そうだ、オイラが徹に会ったのは二年前の夏の事だ。徹は河原にある大きい石で相撲大会の練習をしていた」
「さっきのとこだな」
もしかしたらさっき会った糞ガキ……もといトオル少年が三四郎の探している徹なのかもしれない。
そういえばトオルは河童に会いたいみたいな事を言っていたな。
「オイラはそんな奴に飴玉を掛けて相撲勝負を挑んだ。そして負けた」
負けたのか。
「だがオイラは諦めなかった。毎日毎日オイラは徹に勝負を挑んだ。七日間で五十戦もした」
「わぁ、男の子ですねぇ」
「因みに戦績は?」
「五十戦三勝四十七敗でオイラの負け越しだ」
河童弱いな。
「徹はその間に相撲大会で優勝する偉業を成し遂げた。このままでは勝ち越す事が出来ないと判断したオイラは徹に再戦を誓いアメリカに修行の旅に出た」
グローバルな河童だな。
「川を流されるまま海に出てそのまま太平洋を横断、念願のアメリカ大陸に渡り、そこから更にNY、そしてキャッツキル山地にたどり着いた」
「因みにそこまでどれくらい掛かったんですか?」
「十日くらいじゃ」
すげえ! 河童先輩マジすげえ! ていうか山に入ったのならそれはもう河童ではなく山童ではなかろうか。
※河童は冬になると山に入り山童となり、山童は夏になると河に入って河童になるという説もあります。
「そこでオイラは修行を始めた。辛い修行だった」
気付いたら徹少年の話ではなく、三四郎の身の上話に変わっている。
「割愛して二年の月日が流れた」
ざっくりしてんな。
「そろそろ徹少年に再戦を挑もうかと思ってこの村に帰ってきたというわけじゃ」
「なるほど、そういう事なら私達も協力します!」
「えっ!?」
「そうか! 田中にアヴィーよ、感謝するぞ!」
何故か勝手に決められてしまった。非常にめんどくさい。
「はい! お任せ下さい! 今日はもう遅いので帰りますから、また明日来ますね」
「うむ、待っているぞ」
そう言って三四郎は川の中へと潜り姿を消した。
椋一の意見は言う暇すら与えられなかった。




