前編
『人外』×『恋愛』のつもりで書いたんですが、息子から『擬人化じゃね?』とモノイイをつけられました。
俺、真山浩一の趣味はいささかマニアックだ。自覚している。
だが夏の一夜、幻想のごとく白く咲くこの花はあまりに儚く、美しい。その魅力は、育てたことのあるものなら誰でも知っているであろう……月下美人。
サボテンの仲間であるこの花の生育は、さして難しいものではない。適度な水管理と室内での冬越しさえできれば、この時期には毎年、美しい花を見せてくれる。
今年は特に特別な開花になるはずだった。自家交配に挑戦しようと、いきの良い異株を手に入れて綿密に開花の調整を行った。そして、二鉢の花が香るさまを共に眺めてくれる彼女が『いるはず』だった。
「は? ナニ美人?」
ディナー帯にはまだ早い。客もまばらなファミレスの店内に、その声は不釣合いなほど大きく響いた。 浩一は目の前の悪友をたしなめるように、わざと声を落とす
「だから、月下美人。一緒に見る約束をしていたのに……」
「それがいけないんだろ。マオも言ってたぜ。『優しいんだけど、変わってる』ってな。」
悪友は、もう何度目になるかわからない溜息を吐いた。
「三ヶ月か……まあ、もったほうだな。」
「すまないな。せっかく紹介してもらったのに……」
浩一は、紹介された義理だけでマオと付き合っていたわけではない。明るい笑顔に八重歯が印象的な彼女は可愛かったし、デートのプランを考え、ただ彼女を笑わせるためにプレゼントを選ぶのは何よりも楽しい時間であった。
月下美人だって……彼女と二人で眺める夜を心に描いて、今年は特に丹精したものだ。
「お前、アッチのほうは? ほったらかしなんじゃねえの?」
「俺にだってソウイウ欲求はあるし、マオのことはキライじゃない。『人並み』だったはずだ。」
「どうだか……な。お前の恋愛は回りくどいんだよ。女だってしたいんだから、取りあえず会ったらスる。これ、礼儀だろ。」
「どこの礼儀だよ。」
席から漏れ聞こえる卑猥な会話に、ウェイトレスが小さく顔をしかめる。まあ、真昼間の『ファミリー』レストランにふさわしくない内容なのは確かだ。
「もういいよ。自分がもてるタイプじゃないってのは、薄々気がついていたんだ。」
目の前の親友が向けた憐憫のまなざしをよけようと、浩一は窓の外を見た。
午後を『自主休講』して、バイト先にも休みの電話を入れた。こんな特別な夜に発泡酒は似合わない。少し奮発してビールをパック買いで、それに乾き物を少し……
安アパートの陽焼けた畳に買い物袋を下ろした浩一は、窓際に置いた鉢を確かめる。
特に大きく膨らんだ天頂の一蕾にそっと触れると、白いふくらみは微かに柔らかく、昼の日差しに俯いていた。
涼しい風が吹き始める夕刻になれば、その蕾は静かに星を仰ぎ見る。そして甘い香りを強く放ち、コウモリを呼び寄せる。花粉を運ばせ、実を結ぶために……
「今夜は俺がコウモリになってやる。綺麗に咲いてくれよ。」
ビールを冷蔵庫に入れようと鉢に背を向けた浩一は背後から匂い立つ、甘い夜風の香りに動きを止めた。それは夏のたった一夜を彩る、あの花が放つ芳香……
(馬鹿な! まだ日も高いというのに。)
部屋中に甘い香りが広がる。銀に輝くほどに純白な、高貴な匂いが浩一を酔わせる。
酔夢の中で、窓際の鉢に向けた浩一の視線が凍りついた。
天頂近くについた大きな一蕾が、大きく震え、そのカタチを変えてゆく……全体のシルエットが大きく、さらに大きく膨らみ、細くたおやかなパーツが4本、するりと伸びだす。香りは強く、より強く香り……その香気の強さに無為に手が伸びる。
浩一の指先が触れたそれはすでに植物性の冷たく揺れる感触ではない。暖かく、だがやはり微かに震えている、しっとりと柔らかなオンナの頬だった。
正しく月下美人のように真っ白な肌を惜しげもなく窓越しの陽光にさらすその体は柔らかな曲線を描く。
「……って、夢見ちゃうほど溜まってんのかなぁ。」
引き戻す手に、そのオンナが縋った。
「夢じゃ……ありません。」
「!」
浩一に女が飛びつく。バランスを崩した体がもつれ、畳の上に転がった。反射的に伸ばされた男の腕が、守るように女を抱きしめる。
(柔らかい。)
それが間違いのない現実であることを知らしめる重みと質感。きめの細かい素肌は湿ってでもいるかのようにしっとりと手のひらに吸い付き、オトコの全身に荒れ狂う熱情を呼び起こす。
だが、一瞬のむせ返る芳香を手放した彼女から上る微かな花の香りは、昼の太陽に似合わない、物悲しい夕風の匂いがした。
「君は間違いなく、アレ、だよね?」
浩一が目で指した先には、天頂の蕾を不自然に失った肉質の茎が伸びる。
「何故、人間に?」
「私が、願ったから。強く、強く願ったから……」
「何をそんなに願ったの?」
「あなたの側に……せめて今夜だけでいいから、側に……」
……彼女は知っている、自分が一夜限りの花であることを。知っていながら、『花』としての生を手放そうというのか……
浩一は己の腕の中の女を改めて見やった。花弁を思わせる白く肌理の細やかな『人間』の体。クルリと黒目がちな瞳で見つめ返す『人間』の顔。そして、恐れ縋るように強く絡む『人間』の四肢……本能を灼く渇望感に、浩一の喉がゴビリと鳴った。
……誘われている。花粉を運ぶコウモリが一夜の蜜に魅かれ寄るように、焦がれるほどの想いに惹かれ堕ちて行く……このまま体を返して陽焼けた畳に沈められても、この女は抵抗すらしないだろう。無理やりに、心無く体だけを愛したとしても……
それでも浩一は、彼女の白い肌をなぞろうとする無意識をぐっとなだめ、その体を押し返した。
「名前は?」
「彼女さんの代わりに……マオと呼んでください。」
「そんな抱き方ができるほど、俺は器用じゃないよ。」
「でも、私はただの花です。たった一輪の花に名前をつけてくれる人なんて……」
「月。」
唐突に呼ばれた『名前』に、彼女は顔を上げる。
「簡単すぎるかな? でも人間ならば、名前があったほうがいいだろ?」
「な……まえ?」
「さあ、起きて。夕暮れまでには帰らなくちゃいけないから、あまり遠くへはいけない。出かけよう。」
浩一は細い腕を引いた。咲き始めた花びらに触れるように、そっと。
男物のジーパンとTシャツを、だぼっと着込んだ姿もそれなりに可愛らしくはある。だが、下着すらつけていないことを考えると、連れて歩くには少々マニアックすぎる。
浩一が最初に『月』を連れて行ったのは、安さで有名な衣類量販店だった。
「いえ、今夜しかいない私のために、そんな、もったいない……」
しり込みする月を引きずるようにして、浩一は自動ドアをくぐる。正面に、真っ白なワンピースをつけたマネキンが見えた。
(白……か。)
月下美人である月の本来の色……シンプルなAラインのそれは清楚なイメージで、彼女には良く似合うだろう。
生地に触れてみれば、ザラリとした木綿の質感が指先に寂しい。
(安物だ。)
マオに強請られて行った呪文のように不可解な名前のブランドショップでは、木綿すらもするりとした触感だった。値段だって桁一つは違う。
(せっかく、人間になったというのに……)
たった一輪の花に安物しか贈れない不甲斐なさに、浩一は唇をかんで振り向く。
「ねえ、月。これなんか……」
浩一が見たものは、清楚で高貴な『花』のイメージとは程遠い、嬉しそうにきらきらと輝いた笑顔の『女』だった。彼女は吊るしになったイージードレスの、目にも鮮やかに色とりどりな様子に心奪われている。
あまりにも無邪気なその様子に、ふっと浩一の表情が緩んだ。
「どれがいい?」
優しい声に、月が少し困ったように顔を曇らせる。
「あ、いえ。いろんな色があるから、きれいだなって……それだけなんです。」
「一緒に選ぼう。何色が好き?」
すぐ隣に並んでくれる浩一に、月はにっこりと微笑みかけた。




