第十六話 椚の話
椚の木は雄雌同株である。
その木が地面に根付いたのは、いくらか昔のことであった。木は成長した。注ぐお天道さんの光を浴びて、元気に育った。辺りに、木を遮るものは何もなかった。だから木は大きく太く、力強く育ったのだ。
そのうち木は霊力を得た。木は大地から得たその霊力を使って化身を作り出した。初めてその場を離れた。木はうれしかったのだ。そして気は目にした。森に住まう他の木々を。
森の木たちはお天道さんが足りていなかった。それはもう、圧倒的に。ひょろりと伸びた。周りと競り合って伸びていた。押し合いへし合い伸びていた。
その姿に、木は慢心した。
自分は強いのだ。こんなにも力強いのだ。霊力をもらった己は、選ばれたのだ。
木は手当たり次第に細く哀れな木々を折った。その細く脆い木たちを嘲り、己の姿に浸ったのだ。
そして木は―――
「こうして木はとうぜんに罰せられるはずであったのに、ふかい御心を持ったやさしい神様に救われたのでした。
……萩様、萩様はこのいじわるで、どうしようもない木をどう思われますか」
椚はたき火を見つめながら、そう問うた。その表情は暗がりになっていてよく見えない。
オッス萩だよ萩さんだよ。突然の重い話に、ツナ缶の油をしこたま飲んじまった時みたいな気分だよ。あー、ヤマモモだヤマモモ。どーこだヤマモモー!! いろいろ終わったらお前ら食い尽くしてやるんだかんな!! 首洗って待っとけよ!!
「そうですねぇ」
そう、俺が言葉を発すると、面白いようにその小さな背中が揺れる。それに思わず苦笑いがこぼれた。
「さびしい木だな、と思いました」
「さびしい……?」
「はい。私はね、生きていれば間違いの一つや二つ、犯さずにはいられないと思っています。けれどね、その間違いに気づき深く反省して。そしてまた、今度は道を踏み外さないようにまっすぐに生きてゆくことが大切なことだとも思うんです。
その木も間違いを犯した。それはとても許されるような行為ではない。もしかしたら本来は一生許されることの無いような罪であるかもしれない。周りからずっとずっと恨まれるかもしれない。永遠に独りなのかもしれない。
だけれど、それでもまっすぐに生きてゆこうとするその姿こそが、一番の罪滅ぼしでもあるのではないかな、と私は思いますね。まぁ、これは一個人の見解なので聞き流してくれてもいいんですよ。というか聞かなかったことにしてください! わー、私ったらまたこんなクサいことを……恥ずかしいはずかしい」
慌てて椚を見やれば、目に涙をあふれんばかりに蓄えて、顔を真っ赤にして震えていた。そうかそうか、そんなにおもしろかったのかぁ。お願いします記憶から抹消してください今の聞かなかったことにしてつかぁさい!!
「は、はぎっさま」
「なんでしょう」
椚が震える声で俺を呼ぶ。なんだ椚よ。今俺はここら一帯に大穴開けてその中に飛び込もうかどうか真剣に考えているところなんだよ。ははっなぁに、簡単だ。口からビームすればいいだけなんだからなはっはっは!
「もう一つだけ、お願いがあるのです」
乱れた息を整え、椚は真剣な顔で俺の目をじっと見つめる。な、なんだ真顔になるぐらい目も当てられないひどさだったと。そうかそうか……ははは。
「萩様、どうか、どうか
兄様と呼ぶことを許してください!!」
そっか。それなら俺は池にもどるるるぉ!? は? 今なんて? なんて? え? なんか兄様と呼ばせてくださいとか、はぁ? 誰を? 俺を!? HAHAHA☆ そんなまさか!
「だめ、ですか……?」
ハイ、でました上目使いぃぃ! ロリショタ美女小動物だけに許された特権でござる! はぁっ! 齢百歳越え爺にやられても何も動ぜぬわッ! あっ無理っすわ。ハイ陥落、俺氏陥落ぅ~。俺は小っちゃい物が好きなのだ。小動物がコロコロしているところを見ると和む性質なのだ。しょうがないね、天使なんだもの。
はぁ、で? 何だっけ? 椚が俺の弟だって?
「椚」
「ひゃ、ひゃいい!!」
「ふふ、呼んでみただけです。兄とは弟を呼び捨てするものなのでしょう?」
「そ、それでは……!」
「ふふん。私が拒むとでも思いましたか?こんなかわいい弟のお願いくらい容易いものです」
「あ、ありがとうございます!!」
ハッハー!! いきなり弟ゲットだぜ!! 何ということでしょう、あの山中を騒がせた”古木ボッキンボッキン事件”の真犯人が我が弟となるとは……!
「で、ではさっそく呼ばせていただきとう存じます!!
……あ、あにさま」
「はい、何でしょう椚」
「!! あにさま!」
「はい、椚」
「兄様!!」
「なんですか、椚」
「きしし、なんだか胸がポカポカあったたくなってきましたよ、兄様!」
「うふふ、私もですよ、椚!」
あはは、うふふ。芽生えた兄弟の絆を噛みしめながら、満天の星の元で二人笑いあう。椚が笑っている。心から笑っている。初めて見る顔だ、俺もこころがウキウキ弾む。
しかし、そんな兄弟水入らずの空間を突如として切り裂くものがあった。
「うぃいいぃぃっっっく!! 我が眷属たちやぁ!! 我が戻ったぞぉ!! うぃいぃぃ!!」
その巨体をくねらせ、大声を張り上げる酔いどれ狼が一匹。
「我だぞぉ!! 山吹であるぞぉ!!」
「や、山吹様……?」
「シッ椚、見ちゃいけません」
とりあえず椚をこの酔っ払いから隔離する。さてと、こんな悪影響なものは片づけなければ。
「山吹様」
「おおぅぃっく!! 萩ではないかぁ!! 我のかぁあいぃ一番弟子よ!! 我を崇め奉るのだぁ!!」
「うっわ酒臭っ、近寄らないでください」
「ふーひーひー!! 我ぇはぁー!! けぇいこく山のぉー!! 主ッ!!」
「あっちいってください、シッシッ」
「つれぬのぉはぁぎよぉ!! おぬぅおおぅ!! あっちに我のにぃばん弟子がいるではぁないかぁ!!」
「山吹様ハウス!!」
「おぶぉっ」
間一髪。山吹様の魔の手にかかろうとしていた椚をうばい、ついでにその額へドロップキックをしてから樹上へ逃げる。
「あ、兄様ぁ、山吹さまがぁ!!」
「ああ、いいのです椚よ。あのひとはあんな程度の衝撃、虫にたかられた程にしか思われないのですよ。ほら、ごらんなさい。その証拠にこちらの興味はもう失せたのか、すっかり眠りこけていますでしょう」
「や、山吹様ぁ!!」
と、一仕事終わったところでふと我に返る。
「ふむ。でもお酒なんてどこで手に入れたのでしょう」
酒とは米やら何やらを発酵させて作るもの。そんなものが自然にパッと湧いて出るものなのだろうか……?
「僕、前にこんな臭いのする、まずい湧水を見つけたことがいくらかあります」
「えっそれは本当ですか!?」
椚の話を聞いてみれば、たまにであるが何千年も生きた古木の倒れた根元から、酒が湧き出すのを見たのだとか。うそやん。酒って自然に湧き出るものだったん?
俺のいぶかしげな眼に椚は飛び上がると、その場所へ案内すると言って飛び出していった。その後をついて行ってみれば、山の奥も奥。渓谷山の連なった山々の間、古木の森。俺が初めて訪れた時、”リアルシ〇ガミ様の森やぁー!!”と叫んでしまった場所へとたどり着いた。俺は今でも口走ってしまったその言葉の意味が分からない。もしかしたら前世のことと関係しているのかもしれない、と気になってはいる。
「ま、じかよ」
「ほら、これです!!」
辺りには芳醇な香りが広がっている。倒れた古木の根元から、こんこんと湧きだすは酒であった。マジかよ、ガチで湧いてやがったなんてファンタジー!!
「ひゃっはー!!」
酒に向かって俺まっしぐら。酒だ、酒だー!! あの天下のお酒様だー!! いったい何百年ぶりなのだろうか、もう舌が疼いてきやがったぜ!!
その酒だまりに両手を掬い入れ、一口。
「あ、あの。兄様……?」
「ふ、ふふふ」
「……!? 兄様ッ!?」
「ふふふふふふ、うふふふふっ。おいしい、です」
なんだか、体の内からポカポカするような、優しくて、どこか懐かしい味わい。
「あー、うまい。山吹様がああにもなるまで飲んでしまったのも分かります」
山吹様が飲んだのも、おそらくここであろう。山吹様の濃い神力が残っている。というかコレ、見た目が完全にアウトだな。酒にがっつく小学校中学年。はいアウトー!!
「萩様、萩様はそれを飲んでも、くらくらーってなったりはしないんですか?」
「ん? ……ふうむ。そういえばなりませんねぇ」
辺りには目もくれずに掬っては飲み、掬っては飲みしている俺に、椚が声をかける。前世、俺は酒に強いというよりは、酒に酔えないレベルだった気がする。一度なぜか薬用アルコールを飲んでみたものの、やはり駄目であった。ちなみにあれはだめだ。人が飲むものではない。味の話ではない。そもそも口に触ったところが痛いのである。あれ、飲んだら死ぬぞ。
今世の俺も、それは同じなようだ。あーあ、この酒ほんとうまい。密閉瓶がほしい。ヤマモモを付けてヤマモモ酒にしたい。俺は果実酒が好きなのだ。
「うえぇ、やっぱりまずいです」
あんまり俺が水を飲むように酒を飲んでいるものだから、椚も飲んでみたようなのだが、顔をしかめている。ふっふっふ。これはオトナの味なのだよ。おまえもいつかのめるようになるさ。
古木並ぶ、静かな山中。童子は何飲む酒を飲む。
このあとは一か月一回投稿とさせていただきます。




