第十話 術の練習
ドラゴンブレースッ!!
ああ、のどが、いたい。
なぜだか、からだがうごかない。
「萩ッ! 萩、目を覚ませ、萩や!」
こえが、きこえる。やまぶきさまの、こえ。
「萩ッここで目を閉じてはならぬッ、起きろッ! 目を覚ますのだ!!!」
だんだん、くらくなる。
「萩ッ萩ィ―――――――――――――――――ッ!!!」
これは、あの日と。
「よ、っと」
大気中のエネルギーをゆっくりと動かす。それをかきまぜながら目の前に集め、その中心部に向かって一気に霊力を流し込めば……。
ヒョオオオオオオッ。突如巻き起こるは旋風。
「できた! お師匠様、できましたよ!」
「うむ、よいよい。次は”凝固”に挑んではどうかの」
「はい! 精進いたします!」
そう明るく返事を返すのは、小さな童子である。朗らかな笑顔のその周りには、柔らかなそよ風がさわりさわり、吹き抜ける。まだ数えて十もいかないような、その童子の前にただずむは巨大な白狼。その元からは、見る者の身をすくませるような重圧が放たれる。
オッス萩だよ萩さんだよ。池で龍で現在ガキンチョな萩さんだよ!
いや、聞いてくれ。ここ最近でいろいろなことが起こりすぎて少し混乱している。遡るはあの時のこと。俺がビームをブッ破なして勝手に自滅した、あの時のことだ。
あれから俺は気を失ってしまっていた。その期間なんと、ウン十年! 目が覚めれば池戻りしていて、鬼気迫る勢いで現れた山吹様にそのことを聞かされもう驚いたのなんの。
聞くに、俺があの時やらかしてしまったのは、術の失敗。しかもそれは霊力の消費の少ない初級の術ではなく、上級も超級、必殺技レベルのとんでもない代物だったらしい。つまりアレは霊力の大量噴射。この体を作っている霊力を総動員して出し切ったエネルギー砲。
当然霊力の枯渇に陥った俺は池へと強制返還し、そのままウン十年間活動を停止する羽目になった。当たり前のことである。普通の生き物であれば、いったいどれほどの数の命が一瞬のうちに蒸発していったのであろうか、といったスケールの話だったらしい。
いや、しらんがな。俺はただドラゴンブレスを体験してみたかっただけなんだ、知らなかったんだッ!
だってやってみたいじゃん! ドラゴンブレースッって叫んでみたいじゃん! なんかビーム出してみたいじゃん! じゃんじゃんじゃん!! 永遠の病が治るなんてことは都市伝説だったんだぁッ!!!
とまあ、山吹様にこっぴどく叱られた後にはまた普段の生活が戻ってきたわけだ。そしていつものように術の練習を始めた時だった。今まで微量にしか動かなかった霊力が、スムーズに動かせるようになったのである。どうやらビーム事件をきっかけにコツというものをつかんだようなのであった。
それからの術の上達は早かった。一度コツをつかめばスムーズにいくというのは本当だったらしい。見る見るうちに中級レベルほどのそこそこ難しい術を完成させ、術の基本の合格点をもらった俺は、とうとう上位の術を教えてもらえることとなったのであった。ふふん。
その名も”擬態”。
自分の器の形を変えるこの術は、中級の術である”変化”の完全上位種でもある。違いは変化の術が、器を変える術だというのならば、この擬態の術は肉体を創る術だというところだろうか。
容姿を変えるのと、肉体改造すること。どちらがよりコストがかかるかなんぞ、火を見るよりも明らかである。
俺や山吹様の形を創っている霊力は、自然成分の集合体のようなもの。安易に形を変えることが出来る。しかし、”有機物”である肉を創るとなれば話は別だ。
霊力をこれでもかと高圧に練って練って、ここで有機物である葉っぱを練りこむ。初心者はこの工程を”生け贄”として生きている動物を媒体にするのだが、俺がそれを全力で反対させてもらったために効率は悪いが葉っぱを使うことで妥協しているのだ。
やはり肉の器を作るならば、肉を使うのが一番いいということである。術をマスターした山吹様もこの術を使うときは適当にそこらに合った有機物を使うというし、逆になんだか乗んな体に入るのって気持ち悪いじゃない?
要は”生け贄”が難易度ハードならば、葉っぱの場合は難易度鬼地獄モードに切り変わるだけである。
そんなわけで葉っぱ核の”肉体第一号”が出来上がった。のだが、
「え、なんだこれ……」
聞いてくれ、俺はどうせなのだったらイケメンを創りたかった。俺が池として精一杯生きてゆくことをようやく受け入れた時に舞い降りてきた、この一世一代の大チャンスである。もしかしたら、もしかしたらバラ色の道を行けるかもしれないこの時に、イケメン以外の何をチョイスするというのか。
世の中は無情にもやはり容姿がいい方が楽に歩めるものなのである。
なのに。
なのにどうしてだというのか。
「何でこんなことにぃ―――――!!」
俺が創り上げた姿は、一言で言えば子供。それも小学校低学年ほどであろうか。そして驚いたことに
”俺の前世の子供のころの姿”なのである。
「うそぉおおぉおぉぉおおぉん!!」
この”擬態”の術は、完成してから精神の成長に伴い少しずつ成長してゆくものなのだという。つまり、俺の前世の子供の姿=成長しても俺の前世の姿にしかなりえないということである。
いやぁああああぁぁあ!! 俺の、俺のバラ色の人生がぁぁぁあああぁぁ!! 最近前世の記憶もすこーしずつよみがえってきたところだからか!? そうなのか!? だから前世と同じ姿になっちまったの!? そしてこの結果は俺の精神年齢がガキだってことなんですかねぇぇえぇ!?
とまあここまで半分意識を移した俺本体から客観的に見た俺の全貌なのであった。
それから心の中で荒ぶりつつも、表面上は何とか冷静を取り持ち山吹様の指示を仰いだ。こうなりゃヤケだ。いくら俺の精神年齢が低かれども、いつかは大きくなれるという確証はあるのだ。
全精神を修行に注ぎ込んでうっぷんを晴らした。どうせ時間は腐るほど有り余っているのだ。山吹様はここら一帯の山岳地帯のすべての山神なのだといった。ここで怠けていれば損というものだろう。
まあ大きくなったところで前世の俺の姿にしかなりえないんだがな!
肉体を得たことで、前はなかった要素も出てきた。肉体が出来たということは、当然体の機能もできるわけで。
聞いてくれ、ついに、数百年ぶりにう〇こが出たのだ!
う〇こだう〇こ。あの大便であり糞であるう〇こだ。
出たのだ、う〇こが!!
いや、下ネタに興奮している数百歳という画はかなりつらいものがあるが、なんせ数百年ぶりである。前世からこの時までどれだけの途方もない年月がかかっているんだ! 便秘もびっくりだわ!
出た時には途方もない感動があったとこをここに記しておこう。
さて、今までは霊力というぶよんぶよんで不安定な器の中に、意識を上塗りしただけというあやふやな存在であった。しかし肉体は違う。
この肉体はあくまで擬似的なもので、本物の動物たちとはまた少し違ったりはする。しかしそれでも”存在”しているそこらの木の葉を核に、超高密度で練り上げた器に意識をねじ込むという強引な手法で出来上がったこの体は、きちんと”存在”しているのだ。
何が言いたいのかと言えば、つまりは制限がかかってしまったということである。
この世に”存在”したことで、”あやふや”だったからこそできていた、理から外れた柔軟な動きが出来なくなってしまったのだ。
これまで簡単にやってのけていた初級の術はもちろん、霊力を動かす事さえ簡単には出来なくなったのである。難易度ベリベリハードの鬼畜模様である。
それからはまた、過去のように修行漬けの日々。
春が過ぎて、夏が過ぎ、秋が過ぎて、冬も過ぎ。桜が舞い散り、入道雲、山が色づき、銀世界。
そして季節が何周か廻った後。ようやく初級の術の成功率が九十%を超え始めた今日この頃。ここまで長かった。本当に長かった。
ここまで時間がかかると、肉体が数回崩壊した。負担をかけすぎたようでパァンである。実に見事にはぜた。その度に肉を創り直し、また崩壊し……。
その繰り返しで繰り返し”擬態”をするうちに、肉体の耐久値は第一号よりも増したような気はする。背丈も微妙に成長し、今では小学生の中学年ほどの見た目年齢にはグロウアップすることはできた。
まあそれでもガキには変わりないのだがな!
パキパキ、パキリ。掌に美しく、透き通った玉が現れる。
「山吹様、こちらも成功です!」
手に持った、池の水を凍らせて作った氷の玉を掲げる。
「ふむ。よかろう。基礎の術はもう習得したとみてよいかの。合格だ」
「本当ですか!? ヒャッホーイ!!」
「この調子で励むのだぞ」
「はい!」
涼しげに木漏れ日注ぐ木立の中。師弟は仲睦まじく、平和な修行の日々を繰り返すのであった。
ソレが暴れ出したのは、この時から百年と少しばかりの時が流れた後のことである。




