第1話 鎧を脱ぐ酒場
扉が開くなり、三人分の鎧が入口でぶつかり合い、頭上の鈴もけたたましく鳴った。先頭の青年は息を切らしたまま店内を見回し、カウンターの奥にいるヘルガへ声を張り上げた。
「ここで仲間を募集できると聞いたんですが!」
「できないよ」
ヘルガは瓶の栓を抜きながら答えた。カウンターの内側に踏み台を置いている、小柄なドワーフの女だ。以前はここで酒場を営み、今は私と一緒に店を切り盛りしている。
青年の後ろで、盾を背負った少年と槍を抱えた少女が立ち止まる。三人とも鎧が新しく、肩や胸の金具には磨いた跡が残っていた。
北門から歩いてすぐの「スナック ヘルガ」には、ときどきこういう客が来る。どうやらこの世界でも、冒険者は酒場で仲間を探すものらしい。
ただ、この店にあるのは長いテーブルではなく、十人も座ればいっぱいになるカウンターだ。
開店して三か月、私がこの世界へ来てからは四か月ほどになるけれど、入口の看板を見ても、普通の酒場だと思われるらしい。
「飲むなら入って。勧誘だけならギルドへお行き」
青年は仲間と顔を見合わせた。少女が、この寒い中を歩いてきたのだから一杯くらい飲もうと言い、三人は入口脇の木箱の前まで進んだ。
「武器はここで預かるよ。代わりに番号札を渡すね」
私が言うと、青年は腰の剣に手を添えた。
「預けるんですか。ここ、酒場ですよね」
「だから預かるの。飲んで剣を抜かれたら、グラスがいくつあっても足りないもの」
「俺たちは抜きません」
そう言って振り返った拍子に、鞘の先が扉をこすった。ヘルガは何も言わず、傷のついた戸板を指さす。青年は鞘を押さえ、渋々剣を外した。
盾を背負った少年は、自分には関係のない話だと思ったらしい。
「盾も預けるんですか。これは武器じゃないですよ」
「あんたの背中のせいで、扉が閉まらないんだよ」
少年が振り返ると、盾の縁が青年の頬に当たった。慌てて反対を向き、今度は槍の少女を壁際へ追いやる。彼女は槍を抱え直しながら、振り返らずに歩くよう少年に言った。
剣と盾は木箱に収まったが、槍は長すぎた。ヘルガが奥から紐を持ってきて壁際に括りつける間、少女は刃を傷つけないでくれと何度も頼んでいた。
「それなら次から、こんなに長いものを持って飲みに来ないことだね」
「今日は飲みに来たつもりじゃなかったんです」
「もう来てるだろ」
少女は括られた槍を確かめ、先にカウンターへ向かった。青年と少年も、番号札を握って後に続く。
三人を席へ案内すると、少女が横一列の椅子を見て笑った。
「これじゃ、顔を見て作戦会議ができないな」
「今日は作戦会議をしなくていいよ」
ヘルガは瓶棚へ向き直り、三人はおとなしく座った。剣の青年が肩当てを外して椅子の背に掛けると、盾の少年も胴鎧の留め金を緩めた。私は人数分の小皿を並べ、温めておいたおしぼりを渡す。今夜のお通しは、刻んだ根菜を塩と香草で和えたものだ。
「そういえば、お名前を聞いてなかったね」
剣の青年がピートと名乗った。盾の少年はアル、槍の少女はネラという。三人とも名乗り終えると、私の返事を待っていた。
「私はミナミ。ここではそう呼んでね。うちは初めてだよね。また来てくれたら、名前で呼べるから」
ピートは少し照れたように頷き、それから小皿より先に料金表へ目をやった。
「一時間、銀貨三枚。何が含まれてるんですか」
「席とお通し、それから店の酒を使った水割りは何杯でも。ほかのお酒やキープボトル、女の子に勧める一杯は別料金ね」
「席にも料金が?」
「座って飲んで、私たちと話してる時間ごとの料金だと思って」
ピートは納得したようなしないような顔で、おしぼりを広げた。入口に預けた剣を振り返り、立ち上がりかけたところでネラが袖を引く。
「その布で剣を拭く気?」
「温かいうちに汚れを落とせるだろ」
「手を拭いてください。剣は洗いません」
私が止めると、隣のアルは自分のおしぼりで顔を包んだ。ほっとした声が布の下から漏れる。三人とも手の甲が冷たく、ネラの指には槍の柄を握った跡が残っていた。
水割りを作り始めると、ピートはカウンター越しに手元を見つめた。氷を入れたグラスに酒を注ぎ、水を足す。
「薄くするんですか」
「飲みやすくなるよ。濃いのがよければ次は調整する」
ひと口飲んだピートは、気に入ったようで仲間にも勧めた。アルは二杯目の途中で頬を赤くしたので、私は彼の前に水を置く。ネラは根菜を食べながら、棚に並ぶ瓶を眺めていた。最上段には名札のない古い瓶が一本だけあるが、ヘルガは売り物じゃないと言っている。
「あの札は、人の名前ですか」
「そう。自分で買った瓶を店に置いておけるの。次に来たとき、残りを飲めるんだよ」
「客の酒を人質に取るやつだよ」
ピートが本気にしかけたので、私は口を挟んだ。
「返さないわけじゃないですよ。来てくれれば、いつでも飲めます」
「また来れば返してやるんだから、人質だろ」
ヘルガは譲らない。
「それ、三人で一本入れてもいいんですか」
「もちろん」
答えた途端、ピートは仲間たちと顔を見合わせた。酒の好みを相談するのかと思ったら、ネラが尋ねたのは別のことだった。
「途中で誰かがパーティーを抜けたら、瓶はどうなるんですか」
「残った奴で飲みな」
ヘルガが即答すると、アルが真面目な顔で尋ねた。
「代金を三人で割ってたら、抜けた人の分はどうなるんですか?」
「酒まで財産分与する気かい。じゃあ瓶に線を引いて、一人ずつ自分の分を飲みな」
「そこまでしなくていいです。俺たちは仲間割れしませんから」
ピートが胸を張ると、ネラが口を挟んだ。
「昨日のスライム退治でも、誰のせいで泥だらけになったか揉めたばかりだけど」
「あれは責任の所在を確認しただけだ!」
アルまで口を開きかけたので、私は三人のグラスを指した。
「瓶のことは、帰るまでに決めてくれれば大丈夫ですよ。今はそっちの水割りを飲んでください」
三人ともこの町で育ち、子どもの頃から一緒に冒険者になると決めていたらしい。ようやく登録した頃には迷宮が踏破され、ギルドで紹介されるのは荷運びや害獣退治ばかりになっていた。
「それで回復役を探してるの?」
「大きな依頼を受けるには必要だと思って。でも、大酒場で声をかけても、経験者のいるパーティーに行くって断られました」
ピートが水割りを飲んで言葉を探していると、ネラが続けた。
「話を最後まで聞かずに断られたこともありました」
「回復役がいれば、俺たちももっと経験を積めると思うんですけど」
アルは水のグラスを持ったまま、カウンターへ目を落とした。
「三人だけでも、昨日は依頼に行ったんでしょ」
「行きました。南の湿地で、スライム退治です」
「どうやって退治したの?」
ピートはようやく顔を上げた。アルが盾で道を塞ぎ、ネラが槍で進路を変え、最後に自分が剣で仕留めたのだという。剣を振る真似まで始めたので、隣のネラが身を引いた。
「それで、すごい技を使ったんですか?」
「まだ技に名前はないんですけど」
「えー、すごーい、さすがですぅ」
私はグラスへ水を足しながら、いつもの調子で褒めた。名前をつけるつもりはあったらしく、ピートは剣を横から入れるまでの足運びを説明し、私がよく分からずに頷くと、カウンターの上で指を動かして見せた。
ネラは黙っていたが、ピートが「一歩踏み込んで」と言ったところで、ついに口を挟んだ。
「最初の一匹を踏んで転んだところから話せば?」
ピートの指が止まる。
「そこは要らないだろ」
「どうやって退治したか聞かれたんだから、転んだところも話せば?」
アルも頷いた。ピートを引き起こすために盾を置いたところ、駆け寄ったネラまで滑り、手を貸したアルも足を取られたという。盾は泥に倒れ、三人とも泥だらけになった。
最後にはちゃんとスライムを退治したものの、帰り道で誰が最初に転んだかを言い争い、盾を泥の中へ置いたアルが結局それを洗う羽目になった。
「そりゃ大したもんだ。素手ならぬ素足で倒したんだね」
「転んだだけです!」
「靴まで洗ったのはアルだけどね」
ネラの言葉にアルは黙って頷き、空の水差しを私の方へ押した。
ピートは頬を赤くしたまま、まだ説明していない剣の一振りについて話し始めた。
一段落したところで、ピートが私のグラスを見た。
「お姉さんも、一杯どうですか?」
「えっ、いいんですか? ありがとうございます」
私が料金表の女の子のドリンクを指さすと、ピートは値段を読み直して少し驚いたものの、どうぞと頷いた。私は自分の小さなグラスに酒を薄めに作る。
「冒険者って、金がかかるんですね」
「それは冒険と関係ないね」
ヘルガが横から言い、ネラが笑った。ピートは料金表をもう一度見てから、自分のグラスを飲み干した。
帰る頃、三人は一本だけ自分たちの酒を買うことにした。今飲める店の水割りとは別に、次に来たときのために置いていくちょっといい酒だ。
「名札には、何て書く?」
私が尋ねると、ピートは少し考えた。
「ピート一行、でお願いします」
「また自分の名前を先にするの?」
ネラが文句を言ったが、アルは名前にはこだわらないらしい。
「一行なら三人とも入ってるだろ」
ピートは頷き、ネラも考えてから「それならいいか」と言った。私が木札を書いて瓶の首に掛けると、アルが札を覗き込んだ。
「字、ちょっと傾いてませんか」
「読めるでしょ。飲んだらもっと傾くから大丈夫」
何が大丈夫なのか自分でも分からないまま、私は瓶を棚へ置いた。
武器を返すと、三人は来たときより静かに身支度を整えた。ピートは肩当てを留め直し、アルは盾を背負う前に扉の幅を確かめ、ネラは槍を横にしないよう抱える。ヘルガがカウンターから声をかけた。
「いってらっしゃい」
ピートは振り向いたものの、何と返せばいいか分からなかったらしい。軽く頭を下げて仲間を追い、扉が閉まった。
私は三人のグラスを下げ、アルが残した水を捨てた。洗い物を始めて間もなく、鈴が一度だけ鳴る。
戻ってきたのはピート一人だった。剣は腰にあるのに、右手を空けたまま入口に立っている。
「どうしたの。忘れ物?」
ピートは懐から丸めたおしぼりを出した。
「すみません。うっかり持って帰っちゃいました」
受け取っても、ピートはすぐには出ていかなかった。外にいる仲間を気にして扉をちらりと見てから、声を落とす。
「明日、一人で来てもいいですか」
「もちろん」
そう答えると、ピートはほっとして、今度こそ扉を出ていった。
日本の店でも、私は客を見送ってから片づけを始めた。違うのは、そのあと帰る道を知っていたことだ。閉まった扉の向こうを少し見て、私は洗い場へ戻った。
閉店後、棚の札を揃えながら、私はヘルガに声をかけた。
「ママ、仲間を募集できるって聞いて来たお客さん、今月だけで三組目ですよ。入口に『仲間募集お断り』って看板でも出します?」
「やめときな。そんな看板を出したら、逆に仲間を募集してる店だと思われる」
すでに思われているのだが、言い返す前にヘルガは店内の灯りを落とした。




