幽霊、正体と論文
神薙神社での恐怖を詩音に話した翌日。わたしは棗と会うための準備を進めていた。
今日は休日だが、棗は嫌がるそぶりを見せず――少なくとも文面上は――会うことに同意してくれたのだ。遅刻は許されない。芸術的な寝癖と格闘を続ける。
「……もうこんな時間」
ひとまず許容できる範囲の跳ね具合に押し留め、鞄を引っ掴んで外へ飛び出す。真冬の寒さと称された空気に身震いした。
待ち合わせ場所は隠れ家のようなレストラン。詩音に聞いた話では、よく〈九十九月〉の密談場所に選ばれている店だそうだ。
「時間通りだな。……いつにも増して髪が跳ねてるみたいだが」
「これでもマシになった方」
普段通り眠そうな目をした棗と合流し、店内に入った。
軽食の注文――棗には「お前のそれは軽食じゃない」と呆れられたが――を済ませ、水を一口。ふっと息をつき、口を開く。
「聞きたいことがあるんだけど」
「それはそうだろ。お前が休日に何の用事もない人間を呼び出すとは思ってない」
茶々を入れられながらも、わたしが体験したことと「神薙神社の幽霊」のことを話す。すると、棗は小さく唸りながら腕を組んだ。
「……俺は神薙神社の調査に参加しなかったが、どんなことがあったかは聞いている。それと合わせての推測だが聞くか?」
「もちろん」
即答し、棗が口を開くのを待つ。彼はなぜかスマホの操作を始め、とあるサイトをこちらに見せてきた。
「何これ」
「異能に関する論文の概要が見られるサイトだ。お前も開け」
わたしは指示されるままスマホを取り出し、とある文字列を押す。やけに難しく記されているそれは、論文のタイトルらしい。
「異能エネルギーの観測……?」
声を漏らしながらスクロールすると、モノクロの写真が数枚掲載されていた。資料として添えられているようだ。
「異能エネルギーは、誰かに『目撃される』ことで存在が確定する。この辺りは哲学なんかとも繋がってくる考え方だが、ともかくこの説がお前の話にも関わってくるんじゃないか?」
「はい先生、全然わかりません」
挙手して宣言する。棗は呆れたようなため息をつきつつ「予想はしてた」と言葉を吐き出した。失礼な奴だ。
「とにかく、お前が見た『幽霊』って奴の正体が異能エネルギーの集合体なんじゃないか、って話だ」
「……なんか非現実的な話だけど」
「幽霊も十分非現実的だろ。そんなに気になるなら、その神薙尊とかいう巫女に話を聞いてみればいい」
「わたしがそんな大きな神社の人に話を取り付けられると思う?」
思わず聞き返す。すると棗は「思わない」と即答してきた。……本当に失礼な奴だ。
不満が表情に出ていたのか、棗が「怒るな」などと無茶を言ってくる。それからスマホをしまい、提供された状態のまま放置されていた料理に手をつけた。
「とりあえず食え。ここの料理は冷めても美味いから」
「……そんなに食欲ない」
「どうせ一口食ったら食欲出るだろ」
ぐるぐると渦巻く思考で胃もたれを起こしている気がする。注文した食事を無駄にするわけにもいかず、わたしはのろのろとフォークを持つ。キャベツサラダに突き刺し、もそもそと咀嚼した。
普段の半分ほどの速度ながらも食事を進めるわたしに、棗も同じくらいのスピードで食べ進める。一通り食べ終えたところで、彼は再び「幽霊」の話を持ち出してきた。
「お前と一緒にいたのは〈十三夜〉の雉羽さんなんだよな?」
「そう、小夜子と一緒にいた。……それが何か関係あるの?」
水を飲む手を止めて聞き返すと、棗が大きく頷く。
「ある。これまでに『幽霊』を見たって主張したのは、異能を持ってない奴か視覚強化の異能持ちだけだからな」
「……じゃあ、小夜子は視覚強化持ちじゃないから見えてなかった……?」
おずおずと答える。あまりに不安そうなわたしが面白かったのか、棗はふっと笑みをこぼした。
「やらかした犬みたいになってるな。まぁお前の推測は正しいと思うぞ」
「……小夜子に見えてなかった理由はわかったけど。じゃあ『幽霊』が見える理由って何?」
棗の言う通り「幽霊」の正体が異能エネルギーだとすれば、視覚強化持ちが目撃できたのは納得できるような気もする。だが、それならどうして異能を持たない人も目撃しているのだろう。
わたしの疑問に、棗は水を口に含んでから答えた。
「推測に推測を重ねる話になるがいいか?」
無言で頷く。すると、棗の手が彼自身の胸元辺りに当てられた。
「異能者には、体内に異能エネルギーを受容する器官がある……という説がある。俺のような人間にはその器官がないから異能を扱えない、と言いたいらしいがな」
もう片方の手でストローが入っていた紙製の袋を丸め、棗が淡々と言葉を紡ぐ。
「ここからが本題だ。異能を持たない人間は、強い異能エネルギーを『違和感』として視認することがある。一連の幽霊騒ぎもこの説に基づけば全部説明できるだろ」
「確かに……」
ぼんやりと頷いた。棗の言う通りなら、全てつじつまが合うのだろう。……でも、それなら。
「……異能エネルギーがヒトの姿に見えるなら、わたしたち人間との違いって何なんだろう」
ふっと浮かんだ、不安にも似た疑問を口にする。普段はきっぱりと意見を述べる棗だが、この問いには何も答えなかった。