挨拶、十三夜
「じゃあ、とりあえず私が案内するよ。ついてきてね」
「わかった」
詩音に連れられ、わたしは〈十三夜〉の面々へ挨拶をしていく。彼らは忙しそうに動いていたが、声をかけると嫌な顔を見せることなくこちらを向いてくれた。
「音島律月です。よろしく」
「私は松葉誠一と申します。主に備品の管理を担当してますので、何かあればお声がけくださいね」
男性――誠一は優しげな笑みを浮かべると、くるりとパソコンの画面に向き直る。本当に忙しいようだ。仕事の邪魔をしたなら申し訳ない。
一通り挨拶回りを終え、詩音も本来の仕事へ戻っていく。何をしていいかわかっていないわたしは、邪魔にならないよう自分の席に座ってパソコンの設定をすることに決めた。
カチ、カチカチ、カチ。最低限の設定を済ませ、画面から視線を外す。すると、タイミングを見計らっていたかのように女性が話しかけてきた。先ほどの挨拶回りでは見なかった顔だ。
「あなたが〈新月〉からの助っ人ね?」
「……多分、そう」
曖昧な返事しかできなかったが、女性は気にした様子もなく「よかった」と笑う。どうやら、わたしは彼女の補佐として動けばいいらしい。
「自己紹介してなかったわね。私は雉羽小夜子、ここの管理職みたいなものよ」
「わたしは音島律月。雉羽……ってことは、あんたが――」
こちらの言葉を遮るように、女性――小夜子が頷く。彼女は〈五家〉の人間であり、武文や真砂曰く「軽率な態度を取ると行村派が面倒」な存在のようだ。
「私の補佐……と言っても、やることはそこまで多くないし簡単なことばかりだから。安心して」
笑顔で告げられた仕事内容は、説明だけ聞けば確かに「簡単」と言えそうなものだった。たとえば〈月神祭〉のために用意された道具を運搬したり、確認事項を小夜子に伝達したり。
「……一つ質問していい?」
「どうぞ」
「今の話を聞くと、わざわざ〈新月〉から人を呼ぶ必要なさそうだけど」
疑問を口にすると、小夜子がにんまり笑う。悪い笑みだ。
「その通り。そこも含めて、これから詳しい話をさせてちょうだい」
内緒話をするように声を潜め、小夜子はくるりと踵を返す。ついてきて、と続けられた言葉に従い、わたしも立ち上がった。
案内された部屋は上質そうな調度品が揃えられている。目の前の女性はここを応接室と呼んでいたが、そんな場所をわたしが使っていいのだろうか?
「ここなら誰かに盗み聞きされる心配がないの。監視カメラはあるけど、確認してるのは私が信頼してる人だけだから」
「すごいこと言うね……」
さらりと告げられる殺伐とした内容に唖然とする。同時に、これから小夜子がする話はそれだけの予防線を張らないとできないものだということも理解した。ぴんと背筋を伸ばす。
黙ったまま本題を待っていると、正面に腰掛けた小夜子が口を開いた。実を言うとね、と切り出される。
「音島さんには私の護衛も担ってもらいたい。何のしがらみもないあなたの力が必要なの」
「……」
正直なところ、やはりそうか、としか思えなかった。ここまで何度も派閥争いだの権力闘争だのに巻き込まれてきたのだ。発言の中に「信頼」という単語が含まれている時点で簡単に予想できた。
ずっと無言のわたしに、小夜子は読みが外れたと言いたげに首を傾げる。どうしたの、という声が硬くなっていて、彼女の警戒を察した。
「ごめん、拒否するつもりはない。あまりにも予想通りだったから何も言えなくなっちゃって」
「あなたの予想を超えない程度の頼み事でよかったと安心するべきかしら。ともかく、受けてくれるならそれでいいの。どう?」
小夜子の問いかけに頷きを返し、護衛の依頼を受け入れる。そして、わたしは気になっていたことを尋ねるために改めて口を開いた。
「わたしからも質問させてもらいたいんだけど」
「何かしら。答えられる範囲で答えるわ」
問いかけようとして、一拍。躊躇で唇を閉ざすと、小夜子は「どうぞ?」と催促してくる。意を決して息を吸い込んだ。
「あんたは、この組織のことをどう思ってる?」
「……そうね」
考え込む様子の小夜子をじっと見つめる。即答しないのは、感情が整理できていないからだろうか。単純にわたしを信用するか決めかねているだけかもしれないが。
無言のまま数十秒ほどが経過した。ようやく小夜子が顔を上げ、口を開く。
「理想を言えば、こんな組織なくなってほしいけど」
「どうして?」
「ここが不要になるってことは、異能のトラブルが起きなくなったってこと。それは理想だけど、そんなことはありえない」
小夜子は肩をすくめ、だから、と続ける。
「せめて〈九十九月〉がごく普通の企業のようになってほしい。異能者が虐げられるわけでも畏怖されるわけでもない、そんな世界を目指すための組織であるべきだと思うわ」
「そっか。あんたがそういう考えを持ってるなら、わたしは安心して護衛できる」
これからよろしく。改めて頭を下げると、小夜子も同じようにお辞儀を返してきた。