桐嶋幸花の提案
紗栄から一通り話を聞き終えて、わたしは〈九十九月〉への道を歩く。新しく手に入れた情報――〈月神祭〉の儀式で引き起こされるかもしれない事件――を誰に共有するかを考えながら。
順当に考えれば榛家の面々――正人に正輝、それと月子――に伝えるべきだとは思うが、こちらから接触する手段がない。どうしたものか。
「おーい律月、どこ行くんだ?」
突如声をかけられた。我に返って声の方向を見ると、幸花が〈九十九月〉のビル前で手を振っているではないか。どうやらわたしは、気づかないうちに目的地を通り過ぎかけていたらしい。
「幸花だ。昨日も会ったはずなのに、なんか久しぶりに会った気がする」
「気持ちはわからんでもないけどな。今日は荷物を引き取りに来たんだ」
ひらひらと片手を振る幸花は、ここにいる理由を説明してくれる。彼女は本当に〈九十九月〉を辞めたのだ、と思い知らされてしまう。
あんなに突然の指示で、幸花に不満はないのだろうか。もやもやする気持ちを抱えていると、彼女は「どうした?」と首を傾げた。
「なんか元気ないな。アタシがいなくて寂しかったか?」
「それもあるけど」
素直じゃないか、幸花が目を丸くする。しかしすぐさま元の表情に戻り「考え事か」と問われた。
「うん。……どうにかして〈五家〉の人に伝えたいことがあってさ」
詳細は伏せつつ説明すると、幸花は納得したように頷く。それは厄介だな、と笑みを含んだ言葉が返ってきて、他人事とはいえ他に言うことはなかったのか、とため息をついてしまう。
「アタシに言えることはないが、この前会った奴……真砂の当主様に相談してみるのはどうだ?」
吐き出したため息を覆うように、幸花が提案してくる。わたしは眉を寄せた。
実際のところ、幸花の提案は的を射ているのだろう。新田派が問題を起こそうとしている現状で、他の派閥を頼ることは間違いではない。だが、わたしにはその提案を素直に受け入れづらい理由があった。
「……でも、あの人って〈新月〉の人ではないんでしょ? 前に〈弓張月〉で会ったことあるんだけど」
他にも個人的な理由はあるが、最大の理由はここだ。いくら〈新月〉における派閥のトップとはいえ、安易に情報を流していいものだろうか?
首をひねっていると、正面の表情が和らぐ。何かに安堵したようなその様子に、わたしは首を反対側に傾けた。
「何その顔」
「お前が目先の提案に飛びつく人間じゃなくて安心してるんだよ。……確かに、真砂の当主様は〈弓張月〉で働いてる。だが本来の籍は〈新月〉にあって、そこから出向いてるっていうのが正確だな」
だから心配いらない。幸花はそう言葉を締めくくる。初耳の情報を記憶しながら、改めて考え直す。もしかしたら、真砂は新田派に気づかれないよう〈五家〉と接触する方法を知っているかもしれない。……それなら。
「情報が漏れるのを心配しなくていいなら、一応話してみる。ありがとう」
「礼を言われるようなことでもないがな」
幸花が肩をすくめて笑う。考えがまとまったわたしは、もう少し彼女と会話することを選んだ。
「……にしても、幸花はその当主と仲悪そうだったけど。もしかしてそうでもない?」
「別にアタシは嫌ってるわけじゃないぞ。一応派閥が違うってこともあって、ああいうポーズを取った方が変な疑いを生まないんだ」
「なるほど」
こくりと頷く。なるほど、得心がいった。派閥争いの面倒さは術者協会でのあれこれで理解している。あんな面倒事を避けられるなら、少し演技をしてでも避けたいと思うだろう。
二人の不仲が演出されたものなのを裏付けるように、幸花が自身のスマホを差し出してくる。そこには、二人がどこかの飲食店で食事しているツーショットがあった。〈九十九月〉の食堂ではないから、休日に会って食事していたのだろう。
「本当だ。……仲が悪いわけじゃないというか、想像以上に二人が仲良くてびっくりしてる」
ピースなんてするのか、真砂という女。しかも真顔で。もっと違う表情をしてもいいだろうに。
「ははっ、あいつは意外といい奴だよ。さっきもアタシのこと心配してくれたし」
「さっき……あぁ、荷物取りに来たって言ってたか。身軽そうだから忘れてた」
引き止めてごめん、と謝罪する。幸花は「気にすんな」と笑った。
「……ま、そろそろ解散するか。律月もやることあるわけだしな」
「……うん。幸花、いろいろ教えてくれてありがとう。派閥とかのこともだけど、わたしがこうして動けるのは幸花のおかげでもあるんだ」
これからの彼女がどこへ行き、何をするのかはわからない。もしかしたら今生の別れかもしれない、と思うと、感謝の言葉が溢れた。幸花本人には「湿っぽくなるからやめてくれ」と言われてしまったが。
「アタシはアルブールに行くつもりだから、旅行するときは連絡してくれよ。案内するさ」
「わかった。そのときは美味しいご飯とか美味しいおやつとか、いろいろ聞くから」
「食べ物のことばっかだな」
けらけら、くすくす。笑い合ったわたしたちは、それぞれが進むと決めた道を歩き始めた。