遭遇、険悪と忠告
「よーっし、何もなーい! お疲れさまでしたー!」
思い切り背伸びをしながら葵が軽く発する。わたしと幸花も肩を回したり腰を叩いたりしながら適当に返した。
「じゃあ、オレはちょっと用事あるんで。この辺で失礼しますね」
「ああ、手伝ってくれてありがとな。助かったよ」
葵と別れ、わたしたちは一度〈新月〉のフロア――九階へ戻る。人気のない廊下を歩きながら、今日一日の流れを再確認していると。
「――お待ちしておりました。桐嶋幸花さん、そして音島律月さん」
小柄な女性が、わたしたちの名前を呼んだ。あどけない少女のようにも見えるその容貌には見覚えがある。彼女の名前を思い出そうとしているわたしをよそに、幸花が口を開いた。
「……これはこれは真砂家の当主様。一介の護衛に過ぎないアタシたちに何か用でも?」
「ずいぶんと険のある言い方ですね。我々にへりくだる必要などないことを、あなたはよくご存じでしょうに」
刺々しいやり取りを交わす二人を眺め、わたしはようやく気づく。以前〈弓張月〉に所属していたとき、わたしへ謎の忠告をしてきたのが目の前の女だ、と。
「あんた、前に『忠告』してきた……」
「覚えていてくださったようで安心いたしました。……改めて自己紹介を。私は真砂亜理紗、かつて〈五家〉の一つであった真砂家の当主であり、現在は〈弓張月〉第二班に所属しております」
「そう。わたしは名乗らなくていいよね、知ってるみたいだし」
何の用、と温度のない声で吐き出す。女――真砂は表情を変えることなく「お礼を」とだけ告げてきた。
「異能研究所にて、冴島さんたちにご助力いただいたそうで。私からも感謝申し上げます」
「あんたに感謝されても……」
困惑と警戒を織り交ぜて返すと、真砂は肩をすくめる。そしてとある人物の名前を挙げた。
「冴島さんからお話を伺いました。我々としても研究所の暴挙は目に余るものだったので、弱体化に協力してくださったことには感謝しております。何の含みもなく、本心から」
まっすぐ見据えられ、深々と頭を下げられる。……正直どう反応していいかわからない。わたしが研究所に乗り込んだのは綾のため――ひいては自分自身のためであって、少なくとも真砂に感謝されるためではないのだ。
視線をさまよわせているうちに、幸花がわたしの前に立った。険しい顔のまま、言いたいことはそれだけか、と呟く。
「これ以上用がないならさっさとお帰り願いたいところなんだが」
「手厳しいですね。しかしながら、用件はまだあるのです」
真砂の言葉を聞いた幸花があからさまに顔を顰める。わたしはそんな幸花を軽く宥めながら、正面の女に続きを促した。
「現在〈新月〉を中心に波紋が広がっている派閥争い、その目的と行く末の忠告を」
「また『忠告』なんだ。好きなの?」
「……私も、不穏な内容を吹聴して回るのは嫌いですよ」
深いため息をつき、真砂が口を開く。新田派が〈五家〉の一つを牛耳ろうとしている――そこまでは玲に聞いたものと相違ない。むしろ「榛家」という言葉が出ていない分だけ情報が少ないくらいだ。
それがどうした、と続く言葉を待つ。すると、女は「ここまではもはや公然の秘密ですが」と言葉を一度切り、ふぅと小さく息をついた。
「問題は、その動きを認識していながら放置している幹部の存在です」
「それって……」
嫌な予感に口元が引きつる。……まさかこの女、またしても妙な疑惑を押しつけに来たのだろうか。
果たして、わたしの嫌な予感は的中してしまった。真砂は案の定「大崎」の名前を出したのだ。
「大崎の当主は、新田派の反乱に乗じて〈五家〉の壊滅を目論んでいます」
「おいおい、冗談にしてはキツすぎるだろ。真砂家では言っていいことと悪いことの区別をつけないのか?」
「不出来な冗談を実行するのがあの男です。……それと、私を蔑むのは構いませんが、真砂を巻き込むのはやめていただきたい」
お互いを睨み合う真砂と幸花に呆れつつ、わたしは本題に戻るよう促す。二人も異論はないようで、鋭い目つきはそのままに話が続けられた。
「私がこのような忠告を繰り返すのも、当然根拠があってのものです。この忠告をどう判断するかは個人の自由ですが、単なる空想、憶測ではないことは理解してください」
感情を落ち着かせるためなのか、言葉の途中に息をつくような音が何度か挟まる。わたしは小さく頷き、真砂の「根拠」を尋ねた。
「……こちらです」
真砂がスマホを取り出す。画面に表示されていたのは、複数人が参加しているらしきチャットルーム。そのうちの一つを指し示し、女は再び口を開いた。
「あの男は――不知火研究員に告発を促し、術者協会との取引を持ちかけたのです」