三雲葵の根回し
施錠された食堂の前まで来て、わたしはようやく二人の目的を理解する。……彼らは、開店前の食堂に異常がないか確かめるつもりなのだろう。
「鍵は預かってるんで大丈夫だと思いますけど、一応人に見つからないよう気をつけてくださいね」
「わかってるって。んじゃ、行くぞ律月」
「はいはい」
適当に返事をしながらも、調査の重要性は理解している。気持ちを切り替え、わたしは食堂の中へ入った。
何の変哲もない、代わり映えしない食堂。一歩踏み入れたときの感想はこうだ。それは他の二人も同じだったようで、揃って拍子抜けしたような顔になった。
「……何もなさそうだけど」
「パッと見た限りはねぇ。何もない方がいいんだけどさ」
「ま、油断は禁物だろ。とりあえず手分けして探すとするか」
幸花の提案で二手に分かれて探索する。テーブルの下も、椅子の座面裏も、壁と床の境目まで。目と腰を酷使しながら調べ回るのに集中していると、突如頭に衝撃が走った。
「……ッ!」
「いっ、て……!」
呻く声からして、わたしは葵とぶつかってしまったらしい。痛む頭を押さえながら視線を向けると、同じようなポーズの葵が頬を膨らませていた。
「もう、音島さん! ちゃんと前見てよ!」
「ごめん……って、葵も前見てたら気づけたでしょ」
「それは確かに。ごめんねー」
痛み分けのように謝り合い、再び探索に戻る。
しばらく調査を続けていると、不意にとある記憶が脳裏をよぎった。わたしが昭人と出会ったとき、彼は葵から話を聞いていたのだと言っていたはず。
「ねぇ、葵」
気づいたときには、声を発していた。ぱちくり瞬きして、葵が振り向く。
「どうして昭人にわたしのことを話したの? 何の理由もなく話すとは思えないんだけど」
「……なーんだ、そのことかぁ」
普段通りの口調とは裏腹に、葵の表情は真剣そのもの。簡単な話ですよ、とうそぶきながらわたしを見据える。
「音島さんが利用されて、困るのはオレたちだから」
困る状況を回避するために動くのは当然でしょ。葵が微笑んだ。わたしは無言を貫きながら、必死に思考を回す。
今、葵は「オレたち」と言った。そこに含まれるのは第二班の面々なのか、それとも別の何かなのか。
「それに、散々あいつのこと振り回してるんだから、ちょっと嫌がらせしたくなったんだ」
「あいつ、って……」
「要のこと。今まで〈五家〉がどうとかで苦労してきてるんだから、少し邪魔したっていいでしょ」
尋ねたこちらが拍子抜けするくらいあっさりと「嫌がらせ」を暴露し、葵が笑う。オレたちは利用されるだけの駒じゃないんだよ、と吐き出す顔には、明確な怒りがあった。
「音島さんが外部にいれば、とりあえずここでのゴタゴタに利用されることはなくなる。だから、昭人さんに話しておいたんだ」
「……わたしが〈九十九月〉の外に出るって知ってたの?」
「それは知らなかったよ。あんな大事件が起きるとも思ってなかったし」
大事件――侵入者のことだろうか。気になったがそれを追及することはせず、わたしは無言を貫く。
「もちろん、変わった異能を研究所に知られたらマズいから、っていう理由もある。オレだって他人事じゃないもん」
運がよかったんだよね、いろいろと。葵が肩をすくめた。
「音島さんが戻ってきたってことは、ここからが正念場かな。恩返しするのもいいけど、頼むからただの駒に成り下がらないでね」
「……」
湧き上がった怒りを霧散しきれないのか、葵はいつになく刺々しい言葉を発する。わたしの返事を待つこともなく、彼は探索に戻っていった。齎された新たな事実を咀嚼する余裕すらないまま、わたしも緩慢に手を動かす。それでも思考は横滑りしていき、気づけば葵の話を考えている。
葵自身は「オレだって他人事じゃない」と言っていたが、きっとほとんど要のために動いたようなものなのだろう。二人は気の置けない友人だから。
「正念場、か……」
ぼそりと呟く。幸いにして――という表現が正しいかはわからないが――二人の耳には届かなかったようだ。
もし、わたしが〈九十九月〉に呼び戻された理由が「駒として利用するため」だったとしたら。……わたしは、それを認めない、許してはいけない。
人の行動の裏には、大なり小なり思惑がある。それなら、駒に成り下がらないためにも――わたしは考え続けなければ。相手の思惑を、自分自身の目的を。
気合いを入れるように頬を叩く。ぺちん、と間の抜けた音がしたが、それでも意識を切り替えるのには役立った。まずは目の前のことからこなしていこう。