輪転の川
シンク達が中に入ると、木張りの地べたそのままに、椅子ではなく、いくらかの草で編まれた様なクッションらしき物が、整然と並べられた広間があった。
奥は一段高くなっている。
そこには、この建物をそのまま何十分の一に縮めた様な大きさの祭壇があって、その両隣には男女8人の木彫画が飾られていた。
男女のそれぞれは、本を持っている者や聖鈴を掲げる者、そして大きな葉船と解る物を抱える者等、様々な姿で描かれていた。
マーロウ、シンク、狼達の順番に中に入って、最後入り口で待っていたオウノキが扉を閉めた。
中に入ると狼達は、部屋の端に移って寛ぎ出し、シンク達はオウノキの勧めに従って祭壇前まで案内された。
「さて、生憎まだ”使い”が帰って来なくてなあ。茶も水も無いが、その辺りに座って、どのような用件で尋ねて来たのか聞こうじゃないか。」
言ってオウノキは、二人に対してクッションを進め、自らはドカリと尻下には何も引かず胡坐をかいた。
二人との距離は2メートルほど離れている。
草のクッションは小さく段差を作って、座りやすくする程度の意味合いしか無いのかも知れない。
シンクが言われた通り座ると、無いよりは良いが、思っていたよりも随分と固い感触が帰って来た。
マーロウが口を開いた。
「オウノキ。ラピリス湖に八神が現れた可能性がある。」
シンクの顔を見ていたオウノキの目が大きく見開かれ、マーロウの方へ視線を移した。
「可能性か?」
言いながら、オウノキは少し身を乗り出していた。
「かなり高いと思ってるけどな。シンクが左目の視力を奪われた。その意図を知りたくてここに来たんだ。」
訝しい顔をしたオウノキの視線が再びシンクへと戻った。
「視力を奪われた……。誰に会った? まさか全員か?」
「違うわ。『衰微するもの』……だったかしら? 老いを司る神だって聞いたけれど……?」
シンクは言いながら、少し自信無さげにマーロウへと視線を移した。
すると次の瞬間、マーロウの頭上に木で出来たこん棒のような物が現れて、それがマーロウ目掛けて振り下ろされた。
------ビュオン!
「あっぶねえ。おい、何すんだよ。」
マーロウは寸での所で、それを避けると、目を細めてオウノキを睨んだ。
しかし、オウノキはそんな物に動じず、今一度こん棒を振り上げた。
すかさず、マーロウはシンクを抱えて、オウノキから距離を取った。
小さくシンクの口から悲鳴が漏れる。
マーロウはシンクの案内であり、護衛でもある。
だが、オウノキはシンクを害そうというつもりでは無かった。
「お前の入れ知恵じゃろう!? 馬鹿垂れ。中途半端な知識を与えよって。」
オウノキは自らの目の前を、座れという様に小さく叩いた。
「講談してやる。マーロウ、お前も聞け。」
突然、神官の説教である。
マーロウは苦い顔をして、シンクから手を離した。
「生命というのはな。目に見えぬ川の中に居るのだ。」
二人が元の位置に戻る前から、オウノキは話始めた。
「え、ええ、それは聞いたわ。」
「そうか、じゃが聞いてくれ。大事な話じゃ。」
少し前のめりに話すオウノキの圧力に、シンクは怯みながら頷いた。
「今、言った川は非常に流れの強い川だと言われておる。故に我等、生きる者は何もない、そのままでいると溺れてすぐに死んでしまうのだ。」
そこまで話すと、オウノキは前のめりな上体を起こした。
ここまでは、マーロウから聞いていた通りである。
「そなたがあったと言う『衰微するもの』は、そんな溺れ逝く生命を、その手に持った葉船で救い上げ、その時に我等はこうして肉体を現世で得ると言われているのだ。」
シンクは相槌を打って応じた。
「この、我らが存在する川だがな。この川の流れは上から下、下から上へと循環する様に流れる特異な川なのだ。」
オウノキは人差し指を立てて、指を上下、クルクルと円を描くように動かした。
「縦に?」
シンクは川を見たことが無かった。
しかし、そもそも水は上には登らないし、川がどういう物かぐらいは、知識として知っていた。
なお、夏でも雪の降るサルファディアで、生活水として利用されているのは、井戸でも河川でもなく雪を解かしたものであった。
「誰も、その目で見たわけではないがな。この川が生命の循環を産み出しているという事らしい。生命は生きている時、無意識のうちにこの川を上り、死後下るのだ。この下っている時、生命はそれまで貯め込んでいた記憶や業を川に溶かし、真っ新な生命となってまた生まれる。」
オウノキは続けた。
「ただ、『衰微するもの』が与えるこの身体という物はな。生きている時は、さしてそうは思わんが、存外丈夫な物であるらしいのだ。」
オウノキは自らのヨボヨボな腕をピシャリと叩いて、小さく笑った。
「身体というのは、自らの記憶や業といった物を、川に溶かし込む時には、非常に邪魔になるらしい。護る為のもの故、理には適うが……十全な身体から溶かしこもうとすると、生命というのは酷く苦しむのだよ。だから、『衰微するもの』は我らが苦しまぬ様に、この身体にとある仕組みを組み込んで下さった。」
「仕組み?」
シンクは半ば理解しかけていたが、話を聞くために敢えて聞いた。
「丈夫、故に苦しむと言うのならば、脆くしてやれば良かろう? それが「老い」の正体よ。『衰微するもの』は我らの身体が月日と共に崩壊していくようにしたのだ。魂はまだ生きているうちから、次の生の準備を始める。『衰微するもの』が老いを司る等とする説は、本質を見ない俗説よ。本来、女神が司るのは肉体である。」
言い終わったオウノキは、マーロウの方を向いて鼻を鳴らした。
マーロウはまた苦い表情を作った。
しかし、流石に神の話を神官にされては仕方がない。
何も言い返さなかったし、両手を上げて降参の意を示した。
「まったく……適当を教えるくらいなら、さっさとわしの所へ連れて来い。」
オウノキは吐き捨てる様に言うと、もう一度鼻を鳴らした。
「だからつれて来ただろう……? で、どうなんだ。」
マーロウは後ろ頭を掻いた。
「どうも何も、状況を教えてくれ。それが解らねば、本物かどうかも解らんぞ。」
マーロウが言い返すと、オウノキは眉間の皴を深めて、そんな正論を返した。
それからようやく、シンクはオウノキに湖であったことを聞かせた。
・
・
・
「ふむ……。埋め合わせのう……。」
オウノキはシンクの話を聞くと、一つ唸って、そのまま数十秒程、ピクリとも動かなくなってしまった。
「神官でも何か解らんか?」
難儀な話である事は、マーロウも承知していた。
ゆえに彼の声には、揶揄うような色は感じられなかった。
オウノキがマーロウの方を向いた。
「おそらく、それは『衰微するもの』で間違いなかろう。ただ、神の成される事など、”本質的”には誰にも解らんよ。穏やかで、筋が通っていると思える神ですら、結局のところ彼等は自らの決めた理屈でしか動いておらん。月の都の巫女くらいではないか? 神の正しくを預言するのは。」
オウノキの言葉に、マーロウは眉を顰めた。
「巫女なら解るのか?」
「解るだろうが、彼女達は神出鬼没じゃ。必要な時に現れぬという事は、会う気が無いという事じゃろうな。」
言ってオウノキはシンクに向き直った。
「じゃが、解る事もある。シンクよ。目を良く見せてくれ。」
そう言ってオウノキはシンクに近づくと、身を乗り出し、その目を覗き込んだ。
シンクはなるべく瞳を閉じない様に、見えない左目の瞼を指で抑えた。
「ああ、抑えんでも大丈夫じゃ……これだけ近ければ解る。……確かに神気じゃ。学者どもが陽の気と呼ぶ物の残滓を感じるぞ。」
マーロウは首を傾げた。
「? どういうことだ?……神官は解るんじゃないのか?」
オウノキはシンクの目を見分しながら、今度はマーロウの方へと視線を向けた。
「ああ……神官全てが解るわけではないがな。解る。この陽の気の残滓、これが『衰微するもの』だろう。……そして、先ほどから、ずっとわしが感じている物があるのだ。」
オウノキは目を大きく見開いて、マーロウを見てから、シンクへと視線をずらし、じっと見つめながら話した。
「これは誰様じゃ? ……これだけハッキリと感じるという事は、恐らく、その場にもう一人……より神格の高い神がいたぞ。」
冬花の奇跡、群狼の旅人(上) 了
此処までの読了ありがとうございました。
冬花の奇跡、群狼の旅人は前編終了という事で、ひとまずはここで一度切らせていただきたいと思います。
正直を申しますと、10話位には、シンクはミコ・サルウェに入っている。
というのが、当初の予定だったんですが、20話過ぎてもゴルドにも入っていないという……。
今章で書きたい事というのは、ミコ・サルウェに入った後(下)の部分に殆ど詰まっていますので、
私は趣味で書いているので、楽しんでいますが、読者の皆様的にはイマイチだったのかな……と、こういう事は言わない方が良いのでしょうが、全然増えなかったブクマと評価が物語っているなと、頭を掻いて反省しております。
次章投稿時期に関しまして。
昨年は私の異動がありまして、その引継ぎやら教育やら何だかんだ2月くらいまでバタバタしていたんですが、何と今の部署の業務を、隣の部署が巻き取るとかで、今年も10頃に異動の話が……。
ふざけんな!……と、言ってもしょうがないんですけどね。
8.9月である程度進めて、早ければ年内を目標に、遅くとも年明けまでには再び皆さまにご挨拶できる様にしていきたいと思います。
更新まで日が開きます。
定例ではありますが、されていない方は、これを機にブックマークの更新通知機能をご活用ください。
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よろしくお願いいたします。
長々と愚痴の様な事まで書いてしまいましたが、すいません。
また次章 冬花の奇跡、群狼の旅人(下)でお会い致しましょう。
2022/8/13 皆月夕祈