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ミコ・サルウェ  作者: 皆月夕祈
冬花の奇跡、群狼の旅人(上)
117/123

ラピリス湖2

 船が湖面を滑っていく姿をシンクが眺めていると、西の方から誰も乗っていない船が、すーっと、静かにこちらへ流れて来るのが見えた。

 先程のオックルの様な交易で使われる大きな船という訳ではない。

 いっそ、太い倒木を趣味人が削って作った一人用のボートの様な佇まいの船だ。

 

「あら?」

 シンクは不思議そうに目をしばたたかせる。


 果たして如何なる用途で使われている物なのか、シンクには解らないが、誰か持ち主はいるのかと、シンクは周りをきょろきょろと見渡した。

 しかし、岸沿いに船を追いかける人はいなかった。


 では、持ち主の知らぬ間に、風に流されて、此処まで来てしまったのだろうかと、シンクは持ち主が心配になった。


「ねえ、マーロウ……。……?」


 シンクが呼びかけるが、何の反応も無い。

 怪しんだシンクが振り返るが、そこには誰の姿もありはしなかった。



 そんな筈はない。


 今の今まで、マーロウはシンクの左後ろに立っていたし、それを囲む様に、沢山の狼たちが居た。


「え?……え? マーロウ?」

 シンクは慌てて辺りを見渡す。

 しかし、マーロウも狼達も霞の様に消えてしまっていた。

 

 彼らの悪戯をまず疑った。

 だが、それどころか、先程までちょくちょく見かけた船乗りや、どこかで働いている使人らしき者達の姿まで見えない。

 

 一体どんな理由があって、マーロウが自分に対してそんな事をするのかが解らない。

 悪戯ではない気がする。 

 では、いったいこれは何だというのか。


 世界には、シンク一人だけが残されていた。


 

 風が吹いて、今度は冷たくシンクの頬を撫でる。

 体がすっーと冷めて行った。



------ゴットン



 湖に背を向けて、不安そうに立ち尽くすシンクの後ろで音がした。


 湖の周囲、砂浜の無い所を淵囲いしている木杭に、船のヘリがぶつかって鳴った、そんな音らしかった。

 

 音のする方へシンクが振り向いた。

 

 

 今しがた流れて来た船の上、先程までは誰も乗っていなかった筈であるのに、今見ると、そこには一人の女が立っていた。



(いたり、居なくなったり、何なのよ!?)


 シンクは苛立った。

 眉間に力を入れ、女を睨みつける。


 しかし、これは彼女の虚勢であった。

 

 どうして戦う気概など持とうと思ったのか、今、シンクは目の前にいる女に対して恐怖を感じていた。

 

 

 シンクがじっと観察する女の歳頃は20代後半程、容姿は十分美人で通用する器量だ。

 ただ、何処か疲れた様な、辛気臭い風情が表情に出ており、その顔の美しさにシミの様なじんわりとした粗を作っていた。


 女もハッキリとシンクの事を見ている。

 女は手に、種類は解らないが、植物のとても大きな葉を織り込んで作った草船のような物を抱えていた。

 シンクには、その姿が一瞬、子供をだく母親の様に見えた。



「久しいな。」

 女性にしては低めのアルトボイスが響いた。

 

 旧知の様に、シンクに対して女が話しかけてくる。

 無論、二人は初めて会うはずだ。


 シンクは小さく首を振った。

「知らないわ。誰なの? 貴女。」


 シンクがそう答えると、女は一瞬眉を上げて固まる。


 それから、「ああ、そうなのか。」と、勝手に何かを納得したらしく頷いた。


 シンクの引き絞られた眉間に、僅かな訝しさが滲み、しかし、警戒心をより高めた。 


 シンクには、女の姿形が人の物であり、更に言葉を交わした上でも、尋常の存在であるとは思えなかったのだ。

 少なくとも人間で無い何か。


 女が、船べりを跨いで岸に上がる。

 シンクも、それほど湖から離れている所に立っていたわけではない為、二人の間の距離は2メートルも無いくらいであった。

 

「愛する者の為、その無謬むびゅうたる意思を、血と肉のひつに閉じ込めたのか……。ふむ、いや、ならば私はお前の望みを尊重したいと思う。」

 

 恐らく、シンクに向けて掛けられているはずの言葉であるのに、まったく意味の解らない言葉。

 困惑を深めるシンクを置き去りに、女は何故か目を細め、切なげに眦を下げた。

 

「だが、それでは、あの娘がひどく哀れでは無いか。あれは、お前の為にいるのだぞ?」

 

 話にならない。

 言いながら、少し身を乗り出す女に不穏な空気を感じたシンクは、その場から逃げ出そうとして、振り向き駆けだした。


 

------ボスッ

 

 シンクが振り向いた先には、既にくだんの女が立っていた。

 しかし、勢いづいたシンクの身体は止まらず、飛び込む様に、女へと突っ込んで行ってしまった。

 

 そのまま、女はシンクを抱きしめた。



「!? ……ん!? 離して!?」


 シンクは女の手から藻掻き出ようとしたが、シンクの肩に回された腕はがっしりと彼女を拘束し、抜け出すことは出来なかった。


「身内の粗相の事もある。しかし、私以外は興味も示すまい。ならばせめて、お前が埋め合わせてはくれないか?」


「離しなさいよ!!」

 

 

 そして、女は必死で暴れるシンクの顔に、自らの顔を近づけた。

 

------ガツ!


 シンクの頭部が、女の顔に頭突きの様に当見入った。

 

 しかし、女は一度、頭突きの衝撃で仰け反った後、怯むことも無く、そのままシンクの左瞼に口づけをした。




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