トルファン
暗闇の中、すぐ近くに灯された灯り。
シンクは目さました。
視界はぼんやりとして、身体には随分とだるさを感じた。
(まるで鉛になったみたい……なんて。鉛なんか持ったことが無いけれど……そうね。きっと同じ金属なんだし、ターナに持たせてもらった銀鋼くらいかしら……。)
そこまで考えたあたりで、身体の覚醒に、頭が追い付いてきた。
(嫌だわ……私、寝ぼけているみたい。)
目を軽くこすり、薄目を開いて周りを見渡した。
シンクにくっつくようにして丸くなっている狼たち、そして少し離れたところに、自分と同じく、狼たちに包まって目を閉じているマーロウが居た。
その時、明かりが揺れた。
飛竜である。
腰にランタンを括り付け、置いてある木箱を覗き込んでいた。
(そうだわ。)
シンクはアモルたちと別れた後、彼等が「バン」と呼ぶ巨大な箱が、沢山積まれた広場へと連れていかれたのだ。
そして、その箱の中に入った後、疲れのせいか眠ってしまった事を思い出した。
辺りをきょろきょろと見渡すシンクに、飛竜が気付いた。
「おう? すまねえな。起こしちまったか? さっき来たときは、ぐっすり眠っている様子だったから、大丈夫だと思ったんだが悪かったな。橋が上がってくるまで、もう少しかかるはずだから、まだ寝てても問題ないぜ。」
そう言って、飛竜は作業に戻った。
飛竜は羽と一体化した、その体躯には似合わない小さな手に筆のような物を持って、木板に乗せた紙に何事か書き付けている。
シンクには、飛竜の顔区別など付きわしないが、恐らく、箱に乗る前、マーロウから紹介があったトルファンと言う飛竜であろうとアタリを付けた。
「ありがとう。……トルファンさんだったかしら?」
シンクが声を返すと、トルファンは作業の手を再び止めて、その蜥蜴顔をくしゃりと歪め、笑っているような顔を作った。
トルファンの瞳は縦割れで、開かれた口から覗く歯は、ノコギリの様にトゲトゲで鋭い。
人間の目から見る彼の笑顔はそれなりに怖かった。
(別に”その気”は無いのよね……?)
「おう、トルファンだ。アルテラ港を本拠地にして、ミコ・サルウェ唯一の空輸運送業をしている。」
シンクに運送業と言っても解らない。
しかし、正しく理解していないにせよ、物を運ぶ仕事である事は、なんとなく察する事が出来た。
(きっと行商人みたいな事よね?)
シンクがその様に想像していると、トルファンが話を続けた。
「ぐっすり眠っている様だったから大丈夫だと思うが、空の旅は怖くは無かったかい? ……飛ぶ事に慣れてない種族を乗せると……まあ、たまにな?」
具体的には明言せずに、トルファンは先ほどとは違う笑い方をした。
シンクには、それが苦笑いの様に見えた。
(……。)
しかし、さらりと言われてしまった事実が、シンクの中に様々な思いを去来させた。
すぐに眠ってしまったシンクには、空の上に居た記憶は無い。
シンクは、それを能天気に惜しいと思う気持ちと、怪しげな箱に入れられて、すぐに眠りこける自らの豪胆さや警戒心の無さに呆れ、恥ずかしさを感じていた。
シンクは頬を朱に染めてトルファンに答えた。
それは、自らに対するいいわけでもあった。
「興味はあったけど、残念ね。空の記憶は無いわ。地方から出て来て……、着いたばかりで、すぐだったから……自分が思っていたよりも疲れていた見たい……。」
「そうなのか?」
トルファンは一瞬、自らの目を大きく開くと、マーロウの方を一瞥して、再びシンクに
向き直った。
「あ~……。まあ、それなら本当はゴルドで休んでからの方が良かったんだろうがな。タイミングが良くなかったな。」
シンクはきょとんとした顔で首を傾げた。
「? どういう事かしら?」
その様子を見たトルファンは再びマーロウを一瞥して苦笑いした。
「ゴルドから今いる南ラピリスまで、俺たち飛竜便に乗れば、こうしてたった15時間程、まる一日かからないで着いちまう。」
シンクは随分と長い時間寝ていたらしい。
「……。」
「ただ、ゴルドみたいな……かつては首都だったっていっても、国の端っこの田舎都市に行く便って言うのは、かなり少なくてな。これを逃すと半月はゴルドに足止めか……4,5日くらい掛けての歩き旅になっちまう。嬢ちゃんに説明してねえのは”連れ”としてどうかと思うが、多少無理してでも飛竜便に乗っちまった方が時間的にも体力的にも楽なのは間違いないんだ。タイミングが悪いっているのはそういう意味だ。すまんな。」
トルファンは器用に肩を竦めて見せ、それから彼が悪い訳でも無いのに、謝罪して見せた。
「……。いえ、暫く歩き通しだったから、同乗に間に合ったのは、きっと幸運だったのよ。」
ゴルドが田舎であるという事には引っ掛かりを覚えた。
しかし、その思いはいったん飲み込んで、シンクは首を振り、トルファンに微笑みを返した。
「はっはっは。良い娘だな。」
トルファンはマーロウがまだ寝ている事はお構いなしに、大声を出して笑った。
狼たちはとうに目を覚ましており、二人のやり取りを欠伸しながら、静かに眺めていた。
「ゴルドと違ってラピリスは、国の3本指に入る大都市だ。必要な物は大抵なんでも揃うし、ゆっくり体を休めるにもうってつけの場所がある。何か目的のある旅なんだろうが、楽しむと良い。」
「そうなのね。ありがとう。」
ラピリスの現在は、出来たばかりの頃とは、随分と様変わりしていた。
日本で言う所の、琵琶湖の半分ほどの大きさであるラピリス湖に浮かぶ本城:城塞都市
ラピリスは当然に健在。
それとは別に、湖の四方岸にそって東西南北それぞれに港町が出来ており、それら全てを合わせてラピリス地方、もしくは単にラピリスと呼ばれていた。
シンクが今いるのは、南ラピリス。
執政官であるミリアリア・ラピリスや、此処を本拠地としている群緑師団のいる本城には夜明けとともに、橋が水中より登り、また、日が沈むとともに水中へと沈んでいく。
飛竜であれば、橋など待つ必要はないが、決まりは決まりである。
律義なトルファンはこうして、荷物の検品を行いながら、日の出を待っているのであった。
「ごめんなさい。仕事の邪魔をしてしまったわね。
「いや、構わんさ。むしろ、こちらこそ起こしてしまって、すまん。多分あと2時間くらいで日が昇るはずだ。そしたら朝飯はラピリスの名物をご馳走してやるから、それまでゆっくりしてな。」
そう言って、トルファンは片手を上げると。再び仕事に戻って行った。
シンクはその様子を眺めていた。
久方振りに以前の章を読み返しまして、どうにもやたら現在形で文章を書いている所が気になりまして、ボチボチと修正を始めたいと思います。
一章は今日明日で終わるかな……。