国民と奴隷
「その……悪気は無いのだけれど、気を悪くしたらごめんなさい。ただ、戦争をしていたのよね? 戦争の後って、戦勝国が、敗戦国の国民を皆、奴隷にして使うのが普通じゃないの?」
シンクは、言いにくそうに、ゼイリアの方を向いた。
確かに面と向かって言う言葉ではない。
しかし、シンクが王宮で身に着けた知識には、それが当たり前の物として教えられていた。
「……? ……。別に構いませんよ。」
ゼイリアは彼女の発言に一度、何かに気付いたように眉を上げて、マーロウを見た。
そして、苦笑したマーロウが頷くと、ゼイリアは、シンクの無礼を怒るでもなく、頷いた。
ゼイリアは、シンクが、少なくとも普通の国民ではない事に気付いたのだ。
一般的なミコ・サルウェの国民ならば、そんな質問はしないであろうから、当然と言えた。
だが、敢えて藪は突かずに置いた。
「実際、そういう考えは良くあります。宗教戦争になると、相手を皆殺しにするまで終わらないなんてこともありますが……。普通の戦争は自国の為に、相手の全てを奪う為に行われますから。」
マーロウが、シンクに対して続きを答えた。
「だが、ミコ・サルウェには、そもそも奴隷という制度がない。……そういった制度は作れないといってもいい。国民は皆、陛下の物……っていうと、ちょっと違うんだが……。」
そこまで言って、マーロウは少し苦笑しながら、考えた。
「まあ、国の頂点である王様と繋がっているんだ。スカリオンもベンデルも、ミコ・サルウェの一部になった以上、そこに住むヒトも皆、ミコ・サルウェ人だ。奴隷になんて出来ないし、それをやっちまうと陛下に対する反逆、国権の一部簒奪を意味する。だから、そんな法律は作れないし、出来たとしても、すぐ潰されちまうんだ。」
シンクは、マーロウの説明を、初めは訝しそうに聞いていた。
しかし、次第に深刻な表情で何処かを見つめ、最後には自らの口を手で覆い、衝撃を受けた様に俯いてしまう。
ゼイリアが言ったように、この世界では、いや、EOEの世界にさえ跨って言える奴隷に対する潮流に従って言えば、シンクの感覚は他とズレた考えでは無かった。
しかし、実の所、サルファディアにも奴隷制度は無いのである。
それは、サルファディアの平時が、すでに緩やかでは無く、更に過酷な環境で労働などさせてしまえば、数時間も持たずに、その奴隷が死んでしまうからであった。
戦争奴隷だけではない、例え犯罪奴隷であっても、それでは即座に死刑にするのと、何ら代わりは無いのだ。
故に、サルファディアに奴隷は存在しないし、それこそ、民衆には奴隷と言う物が何かも理解されていない。
そして、一定以上の権力を持つ者や、為政者にとってすれば、富国、強国とは、自国の民が豊かに暮らしており、その傍には、他国の奴隷が傅いているという光景が、憧れの様な物として存在していたのである。
しかし、サルファディアからすれば遠く手の届かない強国ベンデルだけでなく、交流の無かったスカリオンという、もう一国までも、まとめて飲み込んだ超大国には奴隷が居ないと言われたのである。
シンクは困惑した。
それだけでは無い、敗戦国の民を、自国の民と同様に扱うという事もそうだ。
戦多きベンデルには、呆れるほど沢山の奴隷がいた。
それは、彼等にとっては、国民という者は、小国時代からの民、その子孫たちであって、ユカリキを始め、飲み込んでいった国の民に対しては、ベンデル王家は、国民という認識はそもそも持っては居なかったのである。
そして、それは、別にベンデルがおかしいという話ではない。
ベンデルではなく、もう少し国内政治の発展した国であったならば、例えば、支配年月がたてば、一等、二等、三等国民、そしてその下に新しい奴隷、という様に形上だけでも、奴隷から抜け出せる様な形式になっている国もある。
しかし、そこには必ず等級があって、まったく同様に扱うという事は無かった。
そして、最後に最もシンクを困惑させたことがあった。
世界には、無数の法が存在する。
しかし、どの法律でも原則、最も重いとされる罪は、大量殺人や放火ではなく、国家転覆罪であった。
もしくは、専制主義の国であれば反逆罪、また、それらに繋がる行為であり、それらに用意されている罰は苛烈を極め、一族皆殺しや、その人物を出した町は、町ごと見せしめに連座させられるという事が、珍しくもなく行われていた。
権力者だけではなく、”その国に住む者のすべての秩序を破壊する”というのであるから、何としてでも防ぎたいという事なのであろう。
そして、つまるところ、マーロウが言った事を理解してかみ砕いて言えば、奴隷を持つことは、大量殺人などよりもよっぽど重い、ミコ・サルウェで最も重い罪に相当するという事であるのだ。
シンクの持つ、王家に生まれた者のとしての、憧憬や、統治者としての到達点像は完膚なきまでに粉砕されてしまったのだ。
シンクだけではない、サルファディア王家や貴族、それを支える知識人達。
私腹を肥やそうという者も多くいたが、それでも大体において出された政策は、国の為、民の方を向いた政治を行っていた筈であった。
------でも、そもそも目指す方向が間違っていたらどうなるの?
途方もなく違う価値観の大槌に、頭を殴打されたシンクは、足元がグラグラと揺れている様な錯覚を覚えていた。
あまりに長く動かずにいたシンクを心配して、マーロウがシンクの顔を覗き込み、肩を触る。
それでも、何かを考えこんでいるシンクは動かず、やがて、苦い笑みを浮かべて、マーロウを見た。
そんな事を考えた所で、自らは最早王女で無いのだ。
例え理解できない事でも、余所は余所、そういう物だと思って、例え活かす機会が無かろうとも、そのまま丸呑みして、脳みそに溜めて持ち帰ればよい。
狼狽したところで、民も、かつての王家も救われぬのだ。
シンクは自らに、そう言い聞かせたのだ。
「急にごめんなさい。大丈夫よ。」
シンクを見つめていたマーロウは、首を振った。
「お前が何を考えているのかは、解らないけどな。多分ここでは、色々と自分の常識と違う事がいっぱいあって、頭がびっくりしたんだろ? 俺も昔、そうなった。悪かったなちゃんと説明してなくて。」
マーロウが、シンクに謝った。
「貴方は、この国の人じゃないの?」
「もとはヘリクレイドという森と草原の国が出生地だ。傭兵だからな、彼方此方転々として、今は、ここらに”産まれ直した”という訳だ。
ヘリクレイドと言う国に、シンクは聞き覚えが無かった。
そして、”産まれ直した”という言い回しに、何か引っかかりを覚えたが、使える主を変えた事の比喩か何かだろうとして受け止めた。
その事で、シンクは、また一瞬考え込む様な素振りを見せて、それを見たマーロウは薄く苦笑いした。
「色々思う事はあるんだろうが、この国は敵ではないし、最も尊い方も、お前を庇護するつもりであるらしい。考える事は、もう少し状況が落ち着いた時にした方が良いだろうな……。さて、疲れているのは解るんだがな……。あまりこの街にいる時間は無いんだ。シロ。ハク。」
マーロウが声を掛けると、シロはシンクを再び担ぎ、ハクも彼女の荷物を口にくわえた。
「え? ちょっと! もう歩けるわ!?」
シンクの声には驚きと、僅かばかりの非難が含まれていた。
荷物扱いはいい加減、嫌らしい。
しかし、マーロウは「今はいい」と、短く切って捨てると、ゼイリア達の方へ向き直った。
アモルは飽きもせずゼイリアの腰に甘えているが、ゼイリア自身は少し居辛い様なむず痒い表情をしていた。
構わないと言ったものの、何故、お前は奴隷ではないのかと問われ、その事に目の前で衝撃を受けられたのだ。
怒りはしないものの、マーロウ達の立ち去りそうな雰囲気に、安堵の感情が薄っすらと表情に出ていた。
「つれが悪かったな。」
マーロウがすまなそうに、頭を掻いた。
「いえ。何も聞きませんが、何か訳が御有りなのでしょう?」
「まあ、……ははは。」
マーロウは笑って誤魔化した。
「これから、ソール・オムナスまで送るんでな。いったんラピリスを経由するんだが、2時に飛龍が飛ぶ。」
マーロウがそう言うと、ゼイリアは眉を上げて頷いた。
「左様ですか。では、もうすぐ夜も明けます。急いだ方がよろしいですね。……王都に御着きの際には、ゼイリアが、陛下に対して最大限の感謝をしていたとお伝えいただければ幸いです。」
そう言うとゼイリアは、深々と頭を下げた。
この所、投稿時間が安定せず申し訳ありません……。