ゴルドの小天使
西の聖女ゼイリア。
彼女はスカリオン戦争の後、半月ほどをソール・オムナスにて過ごしていた。
その後はミコ・サルウェ政府の誘いもあって、旧ベンデルの首都、ゴルドへと招かれ、今は、そこで孤児院を開き生活しているのであった。
何故、彼女がベンデルに必要かといえば。
内政を顧みずに、戦争に明け暮れてきたベンデルの内部は、ミコ・サルウェ元領や旧スカリオンに比べて、同じ国とは思えないほどにボロボロであった。
そして、その”つけ”という物は、強者よりも弱者へと向かうのが世の常であり、国内3地方で圧倒的に孤児が多いのはベンデルであった。
政府としても、これを大きな社会問題として認識しており、その立て直しの一助をゼイリアは請われた形であった。
ゼイリアは、その提案にすぐに了解を示す。
それには、彼女の個人的な理由もあった。
元々の名声もあった上で、星降りの聖日と言われる、ネルフィリアが起こした(事になっている)奇跡をその身で受けた証人であり、彼女には神の使いとされている天使:アモルが懐いている。
結果、スカリオン地域内での彼女の立場は、下手な政府関係者よりも高くなってしまいるのであった。
ゼイリアとしては、ミコ・サルウェの統治に対して、自らの存在が邪魔になるという事を大いに恐れた。
幸い、スカリオン地方における孤児院の経営は軌道に乗って久しかった。
人が不足しているという事も無いので、信頼できる修道女たちに任せてしまっても問題ないだろうと、ゼイリア、それと戦災の中で家も友人も失ってしまったアモルも、彼女にくっ付いて来る形で、このベンデル地方へとやってきたのだ。
とある初夏の日。
アモルの境遇は孤児に近いが、本人としては、ゼイリアのお手伝いをするというつもりで彼女は一緒に居た。
だからアモルは、今日も自分が行くというゼイリアを押しとどめて、市場に買い出しにでていたのであった。
ゼイリアによる、相変わらずの過保護は変わらない。
今頃、数分に一度は、時計を眺めては、無事に帰ってくるかを心配しているはずであった。
もっとも、それは性格的に戦う事を得意としていないだけで、実の所、アモルは普通の人間よりも、よほど力のある種族なのだ。
それを証明する様に、今も、彼女の両手には山盛りの品を詰め込んだ買い物籠がぶら下げられていた。
彼女は、街の北門付近にある、北に在るのにゴルド”中央”市場で買い出しを済まし、市場から広場に向かってパタパタと背中の羽を羽ばたかせて飛行していた。
この地がミコ・サルウェの一部となって、飛行生物主体の天白師団の本拠地が置かれた。
それから、数年ばかりの時間がたっていた。
ベンデル当時であれば兎も角、今ではアモルが空を飛ぶ、そんな姿を見ても、住民たちは、何とも思わなくなっていた。
心地よい陽光を受けながら、呑気に鼻歌を歌うアモルは、ふと今の時間の事を考えた。
(随分、日が昇って来たわね。)
アモルは空を仰ぐ。
(そろそろ、”お昼の夜”が来る頃かしら……。)
視線を下ろし、辺りを見渡した。
人はまばらだ。
市場近くの広場といっても、この時間から数時間は、とある理由もあって、比較的閑散としているのが常であった。
(……あら?)
そんな中で、広場の一角に物珍しい一団を見つけて、アモルはその場に空中停止した。
数匹の狼達と、それに囲まれている女性。
その身体を包んでいる衣はミコ・サルウェの何処へ行っても、見る事の出来ない様式であった。
(足も布でグルグル巻きじゃない? あれじゃあ歩けないんじゃないかしら?)
女性とはシンクの事である。
焚き木で一夜を過ごした後、彼女は荷物の様に狼の身体に括りつけられた。
そして、あっという間に山林を抜けると、ここ、ゴルドへと辿り着いていたのである。
道中、マーロウや狼達も、足は痛まないか、熱は出ていないかと、こまめに様子をうかがってくれたのは、有難かった。
ただ、この運び方はどうにか為らないのかという、屈辱は生涯忘れる事が出来そうになかった。
勿論、出会ったばかりの男に、おんぶをせがむのも気が引けるのは、確かではある。
マーロウに言わせると、鞍も無い中で、足で調律出来ないお前さんを狼に乗せるのは無理である、という事らしい。
今、シンクはアモルに見られている事にも気づかず、外国の街をきょろきょろと物珍し気に眺めていた。
シンクにとって、この街は”外国以上”である。
何せ、住んで居る者が人間だけではないのだ。
そして、彼等は別段いがみ合う訳でも、敵対するわけでもなく、仲良く共棲している様に、シンクには見えた。
シンクがこの街に入る直前、首の所に括りつけられた楽器を大きく鳴らし、何故か親し気に話しかけてくるグリフォンという魔物に出会った。
正直、この時、シンクとしては肝が冷える思いであった。
いや、シンクでなくても、普通は、街が魔物に占拠されていると思うのが普通だ。
結局、彼はマーロウの知り合いで、この国の軍人であるらしかった。
彼はシンクが、オルガ達コペレティオが、命をとして、この街に向かっている事を告げると、「人命救助か!? 俺たちに任せておけ!! 今すぐ行くから待ってろよー!ベイビー!」と必要以上に勇んで、兵舎がある方へと飛んで行ってしまった。
相変わらず、やかましい奴だと、マーロウは笑っているが、命をとしてこの街に向かっていると、シンクは告げたのだ。
つまり、そこには命の危険がある。
自分の同胞ならばいざ知らず、魔物が人間、それも外国の良く分からない人間を助けるために命を掛けて戦うという事自体が、物珍しいでは表現できない程、異様な事であった。
しかし、そんな物は、生きている世界が変わればお互い様である。
今、まさにシンクの姿は、アモルにとって非常に奇異で、興味深い物として受け止められていた。
アモルは、シンクの事をじっと観察していた。
すると、丁度その時、上空を見慣れた天白師団の軍人たちが、隊を組んで現れた。
(……何かしら?)
アモルはゴルドよりも北には、山脈があって、その先はもう外国だと聞いていた。
軍隊が、街の北側に集まるなんて、事情を知らないアモルからすれば、戦争でも起きたのか、乱暴で話の分からない怪物が暴れているのかと、そんな想像をして眉を顰めた。
そして、その隊列から一匹のゴルド名物珍獣が、アモルの気にする女性の元へ近づいていくのが見えた。
それから、彼と彼女は何事か話して、また隊列へと戻っていった。
(この人、軍関係の人?)
アモルは、そんな予想を立てて首を傾げる。
死者でもないのに、マミーの様な格好で、しかも、身を包む衣は決して、綺麗とは言えない。
どちらかといえば、薄汚いとすら言えた。
しかし、アモルには、なぜか彼女が、世界から浮き出した様に、縁取って薄っすら輝きを放っている様に見えたのだ。
周りに居る狼達も、随分と大人しく、彼女を守る様に囲んでいた。
普通ではない。
(余計な事なんでしょうけど……。でも、気になるわ。)
アモルは、シンクに声を掛ける事にした。
「ねえ、お姉さん。……。……お姉さん?」
シンクは反応を示さない。
狼達は、アモルの方を向いている。
アモルは首を傾げた。
耳が聞こえない人なのだろうか。
(そう言えば、軍隊の凄い人の中に、目が見えない人がいるって……いや、違うでしょ。その人は目だもの。でももしかしたら、耳も?)
眉をへの字にして、アモルがそんな事を考えていると、狼の一頭が、シンクの服袖を咥えて、アモルの方へと引っ張った。
シンクは、狼に促されて、初めてアモルの存在に気付いて、はっと眉を上げた。
別に、急に耳が遠くなったわけでも、無視している訳でもなかった。
祖国では、体躯の事もあって大人としてよりも、子供扱いされる事が多かったのだ。
だから、アモルのお姉さんという呼びかけと、自らの事が結びつかなかった。
人間に限定した話になるが、ゴルドにおいて、男も女もサルファディア人程、大柄という訳では無かった。
シンクくらいの小さい女性は普通にいる。
「あ? え? ……ええ?」
慌ててシンクは反応しようとした。
しかし、アモルの背に生えるアーリオンが持っていた様な、純白の羽に視線が行って、思わず手を口に当てて、驚いてしまった。
アモルは、最近ではあまり見なくなった、以前は初対面において、比較的見慣れていたシンクの反応に苦笑いを返した。
この街に来たばかりの頃は、誰に話しかけても驚かれ、怯えられる事も珍しくは無かった。
アモルが、ミコ・サルウェの外には天使がいないと学んだのは、この時である。
「お姉さん。お姉さんはだれ? 別の町から来たの?」
アモルは、言葉が聞こえているか、確認の意味も含めて、もう一度、シンクへと話しかけた。
「え?ええ、さっき着いたばかりなの。……ごめんなさい。その……私がいた所には、羽が生えた人はいなかったから。驚いてしまったの。ごめんなさい。その羽、白くて綺麗ね。」
シンクは、自らの非礼を2度、詫びた。
しかし、アモルは気にした様子もなく、手に持ったバスケットを肘裏に掛けると、手だけを顔の前で振った。
「ありがとう。あんまり居ないみたいね。ゴルドの辺りには、そこそこいて、本領地方にはいっぱい居るわ。私は天使のアモルよ。」
シンクも自らの名をシンクと答えた。
サルファディアを出て、この国の保護を受けるとなってからは、偽名を使い続ける意味はあまりなかった。
「そうなのね。シンク。貴女、これから行く所あるの?」
アモルは、小首を傾げながら、問いかけた。
シンクとアモルは初対面だ。
シンクは一瞬、何でそのような事を問うのかと考えた後、自らの今の、出で立ちを思い出して、顔を朱色に染めた。
喰い詰めて、都市部に流れて来た浮浪者と思われたのかと思ったのだ。
恥ずかしさを誤魔化す様に、怒りを覚えて、しかしすぐに思い直して、口を結んだ。
アヴィアに渡された銀板や、鞘を用意すると、今はマーロウが持っている剣など、財産と呼べる物は未だに持ち合わせているだけマシである。
とは言え、家どころか、国にすらまともに居られないのだ。
それに、王宮時代の知識が、シンクに訴えてくるのだ。
先程から、ゴルドの民が着ているのは、皆、絹であると。
皆が絹なのは、単に安いから、絹が涼しいからであるが、その事をシンクは知らなかった。
そして、目の前に居るアモルが着ている服も絹製である。
純白のシャツに、一部フリルが可愛くあしらわれていた。
普通、貴族か王族でも無ければ、服とは防寒具か、着れればなんでも良い物であって、フリルなどのお洒落要素等という物は、庶民の間に有る物では無いはずなのであった。
だからといって、別にアモルが貴族であるという風には、シンクも考えてはいない。
ただ、素材も粗い麻で、着た切りのボロ布を身体に巻き付けた女は、さぞ、みすぼらしく見られているのだろうなと、心が折れた。
(これが、大国なのね……。)
シンクは一人くらい、自らと同じ様なボロ着纏いが居ないものかと、周囲を見渡して余計、惨めになった。
黙っているシンクに、アモルは首を傾げ、シンクは苦笑いをしながら、「足に大きなケガを負ってしまって、今は人を待っているの。」と答えた。
シンクの行く場所。
当初、シンクが行こうと思っていた所は、すでに失われていた。
この後は、マーロウに連れられて、この国の首都へと連れていかれると聞いている。
そこで、どのような扱いを受けるかは、解らない。
ただ、保護と言うのだから、恐らく敵意を持たれているという事は無いだろうと、シンクはこの国を信じる事にした。
だから、この国の主に会うまでは、マーロウに付いて行って、最低でも溶石の輸出許可を取り付けた上で、何らかの支援を得られれば自分の出来る役割としては、上々なのではないかと、シンクは考えていた。
その為ならば、どのような事でもするし、まだ、この血に価値があるというのならば、伴侶や側として、王に傅く事も否とは思わない。
そんな大層な決意を固めているとは、露とも思わず、アモルは何処か困ったような顔をした。
「えっと、あのね。……その人、すぐ来るの? ……多分、知らないんだと思うけど、この街は、もうちょっとすると、お昼の夜が来るのよ。」
結論を言えば、アモルはシンクを浮浪者扱いしていたわけではなかった。
「え?」