群狼の青年2
「そう……なのね。」
シンクは茫然として、その声は力なく発せられた。
もう、随分と会ってないとは言え、親兄弟を失ったうえでは、唯一の近親の死。
また同時に、頼るつもりであった存在を失ってしまったのだ。
シンクの心中は穏やかなはずもない。
しかし、彼女の瞳には、未だ半壊した荷車の残骸が映し出されていた。
彼女の立ち直りは男が思っていたよりも早く、ぴしゃり頬を叩くとすぐに我を取り戻した。
「でも、きっと何とかなるわ。……何とかする。」
シンクは微笑んだ。
男は眉を上げる。
「どうしてだ?」
男はシンクの何かを図る様に尋ねた。
「王族とはそういう者よ。」
------そんなことは無い。そうではない王族など、腐るほど見て来た。
男は不愉快そうな表情だ。
今でこそ、こうして男は一所の国に腰を落ち着けている。
しかし、元来、男はその居場所を群れにのみ見出し、誰かに仕えるという事は無かった。
「誰が、お前に望むのか?」
倒れた王朝の姫だろうと、男はシンクを挑発した。
「関係ないわ。言ったでしょ? そういう物だって。民が私を捨てても、私は捨てない。それに、ここはサルファディアではないわ。私が民を愛して行動する事を、誰が止めるの? 貴方が? どんな意味があるの?」
「生き方」とは結果を求める物ではない。
その在り方を求め続ける事だ。
そんな思いを込めて、シンクは真っ直ぐに男を見つめた。
「何をする気だ?」
「まず、人がいるわ。これだけ銀があれば、私兵として雇われてくれる人だっているでしょ? オルガ達とも合流しなくちゃだわ。」
そう言うと、シンクは剣を地面に突き刺して杖代わりにすると、骨折の無い左足で立ち上がった。
シンクはこの時、剣の鞘がどこにもない事に気が付いた。
(そう言えば、崖上で抜いた時、その辺に投げ出すてた気がするわ……。失敗ね。)
片足でバランスが悪い中、抜き身の剣に身体を預けるのは、危うい。
しかし、シンクはその事に目を細めるだけで、すぐに男の方へと向き直った。
「足の薬ありがとう。でも、もう私の事は気にしないでちょうだい。」
男が焦ったように眉を上げ、すぐに呆れ顔でため息を吐いた。
「おいおい……そんな適当な計画で。しかも、その成りで夜の山を下る気か? 少しは”結果”も気にしろよ?」
男も立ち上がり、シンクを静止しようとする。
シンクは自らが口にしなかった意図が、男に伝わっていた事に内心で驚き、しかし、いい加減、得体の知れないままの男に対して痺れを切らしていた。
助けてもらった恩はあるにしても、男の主人の目的は愚か、未だに男の名前すら名乗らないのは、公平ではない。
「今、私に出来る事は決断する事だけ。そしてそれは、もっとも大事な事だわ。悪いけど、貴方の主人には縁が無かったって伝えておいて。」
剣を半歩程の所に指し直して、シンクは歩き出そうとした。
「どんな行動力だよ……くっ、まて!!」
男はシンクに再び呆れた。
だが、途中で何か、はっとした表情をすると、シンクと男の間に有った焚き木を俊敏に飛び越えて、シンクの両肩を掴んだ。
そして、じっと彼女の瞳を覗き込む。
「決断がもっとも大事というのは何故だ?」
「え!?……ちょっと、何!?」
シンクは突然の事に驚いた。
しかし、身体のバランスが悪い今、肩を掴まれたまま、下手に動くと倒れ込んでしまう。
シンクは迷惑そうな顔をして、男の目を見返した。
男の瞳は鋭く、その中央に薄青い玉が嵌め込んであるナイフの様であった。
狼達も驚いたのか、耳を上げ、じっと二人の事を見つめていた
暫く、そのまま、二人が固まっていると、男は一つ小さく嘆息した。
「……なんで、どいつもこいつも、同じ事を言うのかね……。すまない。解ったから。お前さん、とりあえず座れ。」
シンクは思い切り眉を顰め、口をへの字に曲げる。
しかし、腕力で無理やりその場に座り込まされてしまった。
そして、男もシンクを抑えたまま、しゃがみ込んだ。
「乱暴だわ!」
そのまま、噛みついてきそうな顔で睨みつけるシンクに、男は苦い顔をした。
「悪かったよ。俺の名前はマーロウ。傭兵だ。」
「……。」
一瞬、シンクの瞳の奥に、何か考えるような色が浮かんだのを感じて、男:マーロウはシンクの肩から手を離した。
「団はもう解散しているけどな。」
言ってマーロウは笑ったが、シンクは「おふざけは結構よ。」と彼の目を見たままピシャリと切り捨てた。
マーロウは笑みに苦い物を混ぜ込みながら、肩を竦めた。
「解散した今も、俺はそう変わらんさ。さっきのは、今の雇い主と、その前の雇い主、みんな同じことを言うもんでな。つい、無作法を働いた。すまん。」
マーロウの主は、産まれたばかりのマーロウに
「人を率いる者にもっとも大事な物は決断力だ。でも、その為には情報がいる。だから、マーロウ、お前は皆の目となり耳となって、このミコサルウェを支えてくれ。」
そう、言っていた。
そして、その前。
かつて、マーロウが離れ、姉が仕えた王も「自分は決断する事しかできない。」とそんな事を言っていたのだ。
あの時、姉は兄弟を見習えよと、マーロウをせせら笑っていた。
姉が言いたかった事は解る。
王だけでは足りないから、それを補う為に部下が居るんだろうと言うのだろう。
しかし、今、彼が仕える神の如き王でさえ、マーロウに助けを求めていた。
では、その足りない王ばかりの中から、どうやって自らの主を選ぶと言うのだろうか。
(もっとも……このお嬢さんには足りない物が多すぎて、陛下と比べるのはあまりに不敬で、不憫ってもんだけどな……。)
「まあ、俺の素性やら、つまんない話は良いとして、一つ俺はお前さんと交渉しようと思っているんだがどうする?」
マーロウはシンクの目を再びじっと見つめた。
しかし、シンクは首を振った。
「信用できないわ。まず、貴方が誰で、どんな目的なのか教えて頂戴。」
マーロウはその答えに頭を掻いた。
「本当は”はい”の返事をもらってから教えるつもりだったんだけどな。」
「貴方、怪しすぎるのよ。」
「そりゃどうも……。怪我の手当てをしてやっただろう? まあいい。ただ、お前さん。自分がこの国において、どういう存在か理解しているか?」
マーロウは、不満げにシンクを見る。
シンクも眉を寄せた。
「どうって……。別にこの国に迷惑をかけるつもりは無いのよ? 叔母が居た頃は、ちょっと合ったかもしれないけど……。今はただ、より多くの溶石を買って国に戻りたいだけだわ。」
マーロウは目を細め、嘆息した。
シンクはムッとした表情を作るが、マーロウは気にも留めなかった。
「そもそも、投棄された遺留物の扱いなんて国によって違うだろ? この荷車は”まだ”お前が自由にどうこう出来る物じゃない。」
「別に私じゃなくても良いのよ。今、街に向かっている商人でもいいわ。彼等なら自分の懐に入れるなんてしない筈だし。」
反論するシンクに、マーロウはヒラヒラと手を振った。
「ああ、悪いけど。そっちはまだ余談なんだよ。まあ、とりあえず話をきけ。」
マーロウは真面目な表情で、シンクと目を合わせた。
「まずな、ベンデルを制覇した後、サルファディアには、外交使文を送っているんだよ。ミコ・サルウェは。……だけど、国のごたごたが収まらないから、後にしてくれって。2回送って、2回とも追い返されてるんだ。言ってみれば、現状、サルファディアは敵国、少なくとも友好国ではない。そんで、そこの王族が勝手に国内に居ましたと……。お前さん、俺の事、怪しいとか言えないからな? ましてや、政変が起こってて、その姫様は”元”ですとか。……お前さんが、この国にとってどんだけ厄介な存在か解るか?」
マーロウは両手を挙げて、肩を竦めて見せた。
理解出来てしまった。
シンクは不貞腐れた様に俯いた。
彼女も元は宮廷に居た人間。
ある程度説明されれば、その辺りの事は理解できる。
「追加でだ。」
まだあるのかと、シンクは顔を上げる。
「今、ミコ・サルウェの法律が適応されるベンデル地方で、国外に何か持ち出すには、物に応じた許可がいる。商隊を組んだ大規模貿易クラスの資源持ち出しなんて、そんな簡単に許可されないぞ。」
シンクは眉を上げた。
それでは、自分は愚か、今、街に向かっている商人の行動さえ無駄骨になりかねない。
深刻な表情でシンクは、マーロウを見返した。
「そんな……。じゃあ、どうしたら。」
「だから、交渉だと言っただろう? 最初にも言ったが、俺はとある方の指示でここに来たんだ。そんで、その方は、お前を保護するつもりらしい。」
そこで一度、マーロウは言葉を切って、シンクを見る。
「どうして? 私は保護してほしいわけじゃないわ。それに、した所で、得にはならないわよ。」
マーロウは頷いて、懐から首飾りの様に、紐でつるされた金属の札を取り出して、シンクに見える様に掲げた。
札に描かれた紋様は、五花弁の桜花。
マーロウが見せているのは、国が発券している旅券で、いくつか種類がある。
これは、そのまま身分証明書にもなって、裏書には出身と所属、任務内容が略式で書かれており、金属は軍関係で、桜花紋は王族からの任務という事になる。
また、一般文官の発行した札は、黒塗りの木札となり、ただの身分証明書(任務無)の場合は赤塗り木札。
上級文官の場合、彼等はこの旅券を嫌い、内容がしっかりと記入された書状の形で携帯するのが普通となっていた。
「これはな。桜花紋と言って、この国の王を表す紋章だ。」
シンクは眉をあげて、息をのんだ。
「お前さん相手に俺を遣わせたのは……もう、解ると思うがミコ・サルウェ王だ。会った後は俺じゃなくて、陛下との交渉次第になるが、上手くやればお前がやりたい事も、もっと安全に熟す事が出来るんじゃないか?……。俺からの要望は、俺と共に陛下に会う。それに対する対価は、それまでの身の安全って所でどうだ?」
マーロウは少しお道化た様子で話し、しかし、目は真剣にシンクの目を見つめていた。