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ミコ・サルウェ  作者: 皆月夕祈
冬花の奇跡、群狼の旅人(上)
107/123

群狼の青年1

 オウジェンの谷底。

 パチッ、パチッと焚き木の鳴く声が、夜空に暖かく音を広げていた。

 

 昨夜もこの山で一夜を明かしたのに、多分、シンクの心に余裕が無かったからであろう。

 リンリンリン、キーキーキーとシンクは生まれて初めて、虫の鳴く声を耳にした。

 山という所は、存外人が居なくても、賑やかなところである。


「そろそろ、効いてきたんじゃないか?」

 男が気軽な様子でシンクに問いかけた。


 それに対して、シンクは警戒して目を細めた。

 しかし、男が気にする様子は無かった。


「薬を塗った足を自分で触ってみな。それで分かるはずだ。」


 シンクの足には、塗布する類の薬が塗られていた。

 薬と言っても、直す物ではなく痛みを消すだけの麻酔薬である。

 骨折を、根本から直すような薬は、存在していなかった。


「触らなくても解るわ。……痛くはなくなったけど、変な感じだわ。なんだか気持ち悪い。」


 一切の間隔を失った右足。

 シンクは自分の足とは思えず、強い戸惑いを覚えていた。


 すると、シンクの元に、狼が一匹近づいてきた。

 男にモモと呼ばれていた狼。


 モモはシンクの右足に、自らの前足を置いて、ギュッ……ギュッと押していった。


 添木によって固定はされているが、元は折れた足。

 そのような事をされては、激痛は必死の筈である。


 だから、シンクは一瞬、息を飲んで身体を固くした。

 しかし、その押されている感覚すら伴わない足に、ゆっくりと息を吐いた。


 それを見ていた男は、うんとモモに対して頷くと、口を開いた。


「すまないが、俺に出来る応急処置は、そんな所だ。まあ、薬の効果が切れるまでには街につけるから、心配する必要はない。」

 

 男はそういって、ニッと口角上げて笑った。


「町に連れて行ってくれるの?」


 未だ、目を細めたまま、警戒の抜けないシンクの問いに、男は頷いた。


「流石に置いて行きはせんさ。だが、いくつか聞きたいことがある。良いか?」


「……クレアよ。」


 シンクは頷きながら名乗る事で、肯定の意思を示した。

 

 しかし、男は一度眉を上げ、それから何故か困った様な苦笑いをした。


「嘘は辞めてくれ。シンク・レア・クリムガルド? 心証が悪くなるぜ?」


「な!?」


 シンクは肩を上げ、目を見開いた

 次いで、しまったと思った。


(そんな……? 私の事を知ってる?)


 シンクは男を睨み、様子を伺う。

 ”カマ”を掛けたという風ではない。

 ただ、誰かからの伝聞と、情報の齟齬があって、不快に思っている、そんな空気。


(私の事を知っているとしたら、ベンデル王家の人? いえ、でも……。)


 色々な事がシンクの脳裏に浮かんで、結局、適当な答えを返せず、遂には諦めて、シンクは、この男と正面から向き合う事を考えた。


 別に男はシンクを殺そうとしている訳ではないし、シンクの事を知っているのだとしたら、偽名で通すのは彼の言う通り、相当心証が悪かろう。


 そして、ベンデル王家に関係あるものであれば、シンクとしては大きな好機である。


「何なの貴方?」 


 男は笑った。

 肯定と受け取ったのだろう。

 

 男にしても、急に見知らぬ者が、自らの名を呼んだら驚くくらいの事は、理解していた。


「俺がここに居たのは、意味もなく、という訳ではないのさ。種を明かせば、俺はとある方に言われてきたんだよ。」


 シンクの感じ取った空気は、間違いでは無かった。

 ただ、種を明かされても、男の得体の知れなさは変わらない。

 むしろ、シンクがここに居る事を知りえる人物がいる、という事に疑念を浮かべた。


(どうしようかしら……。)


 迷う。

 しかし、迷った所で、取れる選択肢等、用意されてはいない。


 逃げようにも、この使い物にならぬ足で、どう逃げるというのか。



 男にとって、脅威とも思われていないのか、手荷物も、剣も、未だ彼女の手の内にある。

 

 実際、此処で戦った所で、狼達に秒殺されるのは、目に見えていた。



「まず、お前さんが何者なのか、教えてくれ。」


「?」


 シンクは思わず眉を上げた。


 男はクリムガルドの名を言った。

(なのにどうして? 山を越えたここはベンデル領内でしょ?)


 男が知らなくとも”とある方”という誰かの命令で動いている事を、彼は打ち明けていた。

 その人物は、人に命令できるくらいだから、それなりに立場のある人間であろうとシンクは考えている。

 ゆえに何十年以上も付き合いのある友好国の王家の名前を知らないとは、考えにくし、それすなわち、クリムガルドの名に反応しないとすれば、サルファディアや、ベンデルに関わる者ではないという事だ。



(もう、さっきからずっっと、訳が分からないわ。この人こそ、誰なのよ。聞いてしまった方が早いかしら?)



 シンクは嘆息して、目を細めた。

「クリムガルドを知らないの?」


「……。」

 男は一瞬、眉を顰めたが、すぐに首を振って、肩を竦めた。


「サルファディアは?」

 

 続けてシンクが問うと、男は山の頂上を指さして、この向こうにそういう名前の国があるとは聞いていると答えた。


 シンクは、思わず何処かほっとした表情をしてしまった。


「クリムガルドは、サルファディアの元王家の名前よ。政変があったの。私は、その前王の娘よ。」



 途端、男の表情が凍り付いた。


 男は気持ちを落ち着けようとしたのか、大きく嘆息すると、目を瞑って天を仰いだ。

 そして、シンクには聞こえない小さな声で「陛下……聞いてないっすよ?」と呟いた。



 暫くの後。

 男は、シンクへと向き直った。

 そして、後ろ頭を掻いた。


「あ~……急に黙って悪かったな。」

 

 男は一度咳ばらいをする。


「それで? 王女様が何をなさっておいでで?」


 男は片腕を上げ、何処かお道化た態度を示すが、不思議と馬鹿にしている気配はなかった。


「元よ。叔母がこの国の王家に嫁いでいるから、そちらを頼るつもりだったわ。」


 男の眉が、ピクリと動いた。

 この国とは聞いたが、それはミコ・サルウェの事では無いと理解したのだ。

 

「亡命か?」

 男は途端、真面目な表情で、シンクに問いかける。


「違うわ!」

 しかし、シンクはそれに頷かず、強く否定した。

 それは、思いの籠った強い言葉であった。

 

 そして、足の感覚が無いせいか、折れている事も忘れ立ち上がろうとして、横倒しに倒れ込んだ。

 

 その様子を見て、狼達が慌てるが、男はそれを制した。

 そして、シンクの事を助けないまま、じっとシンクを見下ろした。

 その瞳に、先ほどまでの人間味のような物は無くなっていた。


「では、なんだ?」


「叔母様の助力を得て、私は絶対に溶石を持って帰るの! じゃないと浮かばれないのよ。」


 シンクは、縦腕をついて上体を起こし、すぐ近く、変わらず散乱しているクルルスを見つめる。


「貴方がどう、思うかは知らない。例え、民が私を捨てても。……私には、捨てる事は出来ないわ。」


 男は唇をかんだ。

 説明が足りない為、状況が今一歩、理解できていない男は、そのままじっと何か考えている様子で、シンクを見つめたままだ。


「そうか。だけど、俺たちがそれに付き合う義理は無いんだがな?」


 シンクは動じず、じっと男の目を見返した。

「貴方は私を殺すの? それとも、無理やり貴方の主人の元へ引っ張っていく? 別にこの身なんて、どうなっても良いけれど。悪いけど、今じゃないわ。私は、彼等の意志を引き継ぐの。」



 はったりでも構わない。

 出来る全てでもって、最期まで己を貫くために手元の剣を男へ向けた。

 狼の一頭が辞めさせようとして、シンクの手首に噛みつく。

 

 しかし、ここでは”彼等”が見てる。

 シンクはがっかりさせたく無かった。

 今、”彼等”の意志を代弁出来るのは、この世に自分一人しかいないのだ。

 シンクは決して離すまいと両手に握り直し、狼に振り回されながら、剣に必死にしがみ付いた。


 狼は主を守ろうとしながらも、シンクを殺そうとしている訳だは無い。

 とは言え、手加減していても、鋭い牙はシンクの手の皮膚を突き破り、タラタラと血が流れ落ちて行った。


「トウ。良い。」


 男が言うと、狼はシンクの手から口を離した。

 シンクは据わった目で男を見据える。


「お前さん。溶石って言うのは、なんだ?」

 男はまた、シンクに問うた。


 シンクは何を言っているのかと、男を睨む。

「貴方の国で採れるんじゃないの? 私たちは、それを輸入していたわ。」


 マーロウは、首を傾げ、シンクは訝し気に眉を顰めた。


「私たちの国、サルファディアは雪檻の国よ。」

 

 シンクはサルファディアの状況を始め、溶石と自分が同行していた連絡隊コペレティオの話を男に説明した。

 そして、荷車の残骸たちを見つめた。


「これらは、別に宝の山ではないわ。」


「対価は銀か。俺が奪う事は考えないのか?」


 シンクは男に視線を戻した。


「貴方の主人はそうしろと言ったの?」


「……。」



 その答えを聞いた男は、面白くなさそうに眉根を寄せて腕組みした。



「言っておくが、ベンデルはもう滅んだぞ?」


「ちょっと待って、何ですって?」


 男の言葉が、シンクの背中を打つように響いた。

 それには流石のシンクも動揺せざる負えなかった。


 逃がされたシンクは、あくまで例外であって、通常であれば、新たな支配者は、旧支配者の血族を粛正し絶やすのが、通例であり、ベンデルが滅んだのであれば、それとほぼ同時に叔母も粛正されているはずであった。


「ベンデルは今、ミコ・サルウェの一部になっている。」


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