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ミコ・サルウェ  作者: 皆月夕祈
冬花の奇跡、群狼の旅人(上)
104/123

クルルスの車輪1

本日2本目です。

お間違えの無いようお願いいたします。



 時間は少し戻る。





「……ング!?」


 気を失っていたシンクは、足に強烈な痛みを感じて目を覚ました。

 

 角ばってゴロゴロとしたつぶてが、足の骨と肉の間を暴れまわって、内から外へ飛び出そうとしているのではないか。

 そんな想像ができるほど、余りに常軌を逸した激烈な痛みがシンクの右足を襲っていた。 

 

 そして、その痛みが彼女の感覚を狂わせるのか、吐き出した吐息がブルブルと震えるほど寒いのに、傍から見れば、体中がずぶ濡れに見えるほどの汗を流していた。


 意識はあるのに、指一つ動かしたくない。

 そんな有るのか無いのか解らない程度の衝撃でさえ、激痛を呼ぶ気がした。

 

 しかし、このままでは埒が明かない。

 荒い脈動を何とか落ち着けようと、深呼吸を試みた。

 息を吸うと、じんじんと痛みに響いて、ゆっくりと吐いている時は、気持ち痛みが楽になるような気がした。

 それからは、なるべく大きく息を吸って、長く長く息を吐けるようにした。


 そして、痛みの感覚が少し落ち着いたような気がした時、それまで気にする余裕すらなかった獣からする様な独特の臭いが、シンクの鼻を突いた。


(?……ああ、そうか。)

 シンクはすぐに思い出した。


 意識を失う前に、自分が何をしていたのかを。

 そして、恐らく転落した際に、自分はこの魔物の身体を緩衝材に生を繋いだ事を察した。


 鼓動を感じない魔物の死骸。 

 それが解ると、今この瞬間もシンクがうつ伏せに倒れ込み、顔を埋めているこの羽毛の様な物がひどく汚らわしく思えた。


 いや、実際魔物の体毛など、汚らわしいに決まっているとシンクは考えを決めつけて、何とか”これ”から身体を離すために、周りを確認しようと考えた。

 今、自分がどの様な場所に居るのか解らない。

 

 しかし、上体を動かせば、その衝撃は確実に無慈悲な雷となって、今も鋭く感じている痛みを刺激し、また再びシンクの身体に叩きつけられる事が、容易に想像できた。


 シンクは躊躇する。

 それから、たっぷり20秒程考えた。

 そして、何時かは動かねばならないと自らを激励する。

 このまま状況を知れぬまま、それこそ魔物の死骸にしがみ付いたまま、人生を終える等、まっぴら御免であった。


 シンクは名一杯息を吸い込むと、なるべく下半身を動かさない様にしながら上体を起こした。


 

 そして、一拍おいて、次の瞬間、シンクの息が止まった。

 

 当然、激痛はやって来た。

 しかし、シンクの息を止めたのは死んだわけでも、激痛の影響でもなかった。


 シンクが今いるのは、どうやらオウジェンのブイ字型に削られた谷底であるらしかった。

 生きているだけでも幸運とは言え、下半身の下方向に向かって、ついていなければならない筈のシンクの右足が、自らの腹の下敷きになって曲がっていた事。

 その痛々しさに卒倒し、シンクは今一度気を失いそうになった。

 

 しかし、とある物達が、シンクの意識を繋ぎとめる。

 それはシンクが息をするのも忘れ、また、あれ程苦しんでいた痛みすらも一瞬忘れ去る様な物であった。


 見る者が見れば、宝の山に見えるかもしれない。

 沢山の投げ出された荷車クルルスに、そこから零れ出た沢山の銀や、それ以外の希少金属や石英。

 それらが谷底に、ぽつりぽつりといくつもの小山を作り上げていた。

 落下の衝撃で溶石が発火したのか、焼け焦げて炭になっている車もあった。

 

 これは、地球で言う”虹の谷”である。

 無論、その名をシンクが知ることは無いし、地球に住む者でも、知っている者は登山家か、それ以外のごく一部の雑学好きくらいだろう。

 

 ヒマラヤ等、登頂が難しい山峰は、緻密な計画の上、完全な装備、気力、体力をもってしてでも死者が絶えない危険な地域である。

 だから、そんな場所の遺体と言う物は、そもそも回収が困難であり、また主にクレバスの底など、亡くなる位置というものは似通ってくるものであるのだ。

 そして、勝手に土に還るというのならば、まだ良い。

 しかし、ヒマラヤの難所の様に標高の高すぎる場所だと、そこで死んだ遺体は腐敗せず、そのままの姿で残され続けるのだ。



 登山家という者は、視認性を考えてなのか、発色の良い色の服を着こむのが殆どであり、死者という者は、わざわざ服を脱がない。

 ゆえに、クレバスの谷底は、彩色豊かな遺体で埋め尽くされ、それを指して”虹の谷”と呼ぶのである。


 妖精でも住んで居そうな幻想的な名前だが、その実態は哀惜の沈殿したディストピアであった。

 


 話をこっちの世界に戻す。


 コペレティオの商組が魔物に襲われた結果、組が壊滅してしまうという事は、それほど珍しい事では無い。

 ゆえにその後の動きも大体決まっていて、運よく生き残った人命があれば、他の商組が連れていって面倒を見るのが普通であった。

 

 しかし、割合として守るものが増えれば、その分、守りは薄くなり隙も増えていくものである。

 人数不足で運搬できなくなったクルルスを運ぶため、人員を他の商組が貸して運ぶという事は、ほぼほぼ有りはしなかった。

 

 そしてそれがオウジェンであれば、クルルスが道幅を狭めて、後続の足かせにならない様にと、谷底へ投げ出して、それで魔物の気が少しでもそちらに惹かれてくれればそれでよいと考えられていた。


 今、シンクが見ている物は、それらの積もり積もった成れの果てである。


 

 シンクはそれを瞬き一つせず、見つめている。

 そしてある時、常軌を逸した痛みにさえ耐えた瞳の関は、堪えきれなくなってポロポロと雫を零し、それはすぐに止め処ない涙の川へと変化した。


 いてもたっても居られなかった。  

 立ち上がろうとして、その拍子に膝下がねじれた。

 灼熱の痛みが再びシンクを襲い、それに思わず屈しそうになった。


「ん、グアアアアアアアア!!!」

 

 顔を伏せて、獣の様な咆哮を上げた。

 荒い息を上げ、魔物に刺さったままでいた剣を引き抜くと、ずり、ずりとそれを支えにして、少しずつ這って行った。


 


 民を思いなさい。角なしの貴女様は特に。

 政治の事は貴女様のお父様であるアリタイ様や、お兄様であるアケルス様にしか行う事は出来ません。

 出来る事は少ないかも知れませんが、民の為に生き、戦う。それがいつか龍神様に与えられた王家の使命なのです。

 

 これが、いつもシンクに、乳母が口にしていた教えであった。

 

 そして、母も同じように、角の無い貴女は、世の中を変える事は出来ません。

 だからせめて、勉学に励み、民を思い役に立ちなさい。

 と、常々、シンクに言って聞かせ、シンクも良くそれを聞き、王宮に居た頃は過ごしていた。


 本人の気質もあろうが、官吏として働くと言い始めたり、志があって民の為に戦える相手でなくては、嫁に行く意味が無いと反発したり、性格の難しい姫という評判を受けていたのは、本人なりに、民を思う真っ直ぐな気持ちがあっての事であった。

 


 しかし、今、シンクの目の前にあるのは、シンクでなければ、王族の誰かの骸でもなかった。

 民の為に戦っている者は、シンクの代わりに血を流していたのは、紛れもない民自身であったのだ。


 コペレティオに参加した時点で、そんな事は解らねばいけない事である。

 それすら想像出来なかった自分が、ひどく無様で浅ましく思えた。


 獣や魔物たちが持ち去っていったのか、それとも自然に風化したのか、付近に人骨等の遺体は無い。

 しかし、残されて崩壊したクルルスは間違いなく、彼等の墓標達の一つ一つであった。



 シンクは這いずったまま、その墓標の一つに近づいて、身体を預ける様に寄り添った。

 流れる涙は止まる気配もなく、むしろ、その勢いを増していった。

 その流れ落ちる涙が、クルルスの車軸に落ちて、それを湿らせると、シンクは顔を怒りに歪めた。

 

「こんな物……ないでしょう!?」


 自らへの叱責。

 嗚咽に震え、かすれた声。

 しかし、最後の言葉だけは、自らを打ち据える様に力強くその場に響いた。


 シンクには、涙がなかみの無い血液に見えたのだ。

 彼らが流した物に比べて、私が流すべきは、こんな物では無いだろうと、自らの不明を打擲ちょうちゃくしているのだ。


 

 実際、そうは言っても、シンクが理解したものは、明確な展望の無い、稚拙で未熟な事である。

 未だに、では如何したら良かったのか、何が出来たのか、それも良く分からないまま、王家わたしたちは足りなかったと、考えているだけなのだから。


 サルファディア王家は、長い歴史、勿論、そうでは無い者もいたが、基本的に皆、善良であった。

 シンクの父も、兄も愚かではないし、民に苦労を掛けている事に心を痛め、必死に役目を成そうとしていた。


 しかし、土地が悪すぎる。

 どうにもならなかった。


 彼等では、サルファディアの神には成れなかった。

 タリタスはそれが解っていたから、その王たちの忘れ形見であるシンクを路傍へと逃がしたのである。 



 しかし、この墓標たちは、シンクの心に新しく、大きな火を灯すことになった。







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