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ミコ・サルウェ  作者: 皆月夕祈
冬花の奇跡、群狼の旅人(上)
101/123

キヤ2

 人間の精神という者は、どうにも脆い。

 全体の安全を図るうえで、此処の状況を把握する事、時に経験の深いキヤが何か助言する事で、せめて山脈の中に居る間だけでも、乗り越えてくれればよい、そうキヤは考えていた。

 しかし、昨夜のオルガ達の様子は、キヤが何か言ったところで、どうしようもない程であった。


(俺の判断が誤っていた。なぜ、俺はあの時、オルガ達を返さなかった? 俺はあの時、何を考えていたんだ?)

 キヤは自戒する。


 オルガは、それでもまだマシであった。

 ターナの方は、死んだような顔で泣き腫らし、それでも足りず、キヤが声を掛けても話しかけないでくれと言わんばかりに首を振り、手ぬぐいで顔を覆ってしまった。


(自らの娘ではないと言っていたが……あの調子では、どうだかな。別の子か? 歳を考えれば養子をとっていたとしても不思議ではない。)


 キヤは心の中でつぶやきながら、自らの遠い記憶に思いをはせて、苦しそうに顔を歪めた。

 

 キヤは知らぬ事であるが、オルガ達が故郷に残して来た子供は、娘ではなく息子であり、当然、シンクも彼らの養子ではない。

 ただ、キヤの想像が全く無関係かと言えば、そうでもない事情はあった。


 サルファディアの適齢期は十代半ば程であるのに、30代中頃過ぎまで到達した夫婦の子が、未だに乳飲み子を過ぎて間もないという事は、普通ではない。

 

 もともと彼等の間には娘がいて、それを事故によって無くしていたのであった。



 オルガとターナ。


 彼等は少々複雑な事情を持つ二人である。

 娘を失う事故の後、ターナの心は酷く傷つき、彼女は長い間塞ぎ込んでしまう。

 そして、娘を思い出すからと、夫婦の営みも、子を成すという事も、彼女は避けてしまう様になっていたのだ。


 オルガは、ターナを信じて待った。


 それは案外、容易な事では無かった。

 サルファディアの庶民には、家柄と言う物は存在しない。

 しかし、一部、それでも例外と言う者は存在していて、オルガの様な銀商という仕事は特殊であった。

 彼らが行う取引は、売る方も、買う方にとっても高額なやり取りが行われる商売で、通常の商売以上に信用という物が重視されるのである。

 

 どこぞの誰、というよりも、代々取引を行っている、誰々の子の誰、と言う方が、当然重宝がられるのは、自然な流れであった。

 だから、銀商に、氏姓はないが家柄はあり、オルガに対して周囲は、早く子を産め、産めぬのならば母親を代えよと、口うるさく言いつのり、その全てをオルガは突っぱねたのだ。

 

 それから、10年の年を経て、やっと授かったのが件の息子であった。


 吹っ切れはしまいが、ターナの心身は非常に安定していた。

 銀商という者は、サルファディアでは裕福である。

 今度は、自身で見ているよりも、しっかり護衛と乳母をつけて、子供を守る事にした。

 

 そしてターナは、夫への恩返しの為、今回も彼と共に旅に出た。

 前回の山脈越えも参加していたし、塞ぎ込んでいたとはいえ、商売という仕事においては、人一倍出来る有能な女でもある。

 今回はその障害となる物は無かった。


 子供の面倒は信頼できる者に任せてあるし、お金も彼が大人になるくらいの間は持つだろう。

 今回は、前回の山脈越えの時よりも、自らの才覚を活かしてオルガを支えると、ターナは意気込んでいたのだ。


 しかし、ターナは出会ってしまった。

 人懐っこい、成長すれば、かつての娘の歳くらいに見える少女に。

 オルガは始め、辛い記憶を呼び起こされるのではないかと、関わり合いになりたく無かった。

 しかし、ターナは少女の過酷な道行を放っては置けず、オルガからの「お前からも拒否してくれ」という合図を、敢えて無視した。

 

 これが、キヤの知らない、二人のここまでの物語である。




「……!」


 キヤは唐突に服布を引かれ、意識を現実へと戻した。


「キヤ……。」

 小声で彼の名を呼ぶ声がする。

 そちらを向くと、40手前になる女:アイニがいた。

 彼女はキヤの商組の仲間で、女だてらに既に4回、山脈越えを経験してる熟練者だ。


「あんたも懲りないね……。そろそろ来るよ。しっかりおし。」

 アイニは眉根を寄せ、しかし、どこか気遣うような声色で、キヤの臀部を軽く膝蹴った。


「ん……。」

 キヤは一瞬中空を睨むと、顔を激しく振った。


(諦めなくては。)

 

 そして、それまでひどく不格好に巻かれていた、頭の粗布を解いて行った。

 解きながら、キヤはアイニに問いかける。

「アイニ、空はどうだ?」

「そっちはずっと静かさ。奴らを餌にしているデカブツは、今のところ、近くには居ないね。」


「そうか……。仕方ない。では……旗を上げろ!! 来た!!」


 キヤが叫んだ時、動物の骨に鋭くとがった石が括られた、見るも粗末な弓矢が飛んで来た。

 小鬼の様な姿をした小型の魔物、ホブルだ。

 キヤは飛んできた弓矢を横打ちして払う。


 その弓が見た目通りであれば良い。

 しかし、小賢しいホブルたちの放つ矢じりには、毒が塗られており、当たれば痺れるか、幻覚をみるかして、確実に戦闘能力を奪いに来る代物であった。


「ふん。」


 採石穴からわらわらと湧き出るホブルたちを見下ろして、遂にキヤは頭を覆っていた布を完全に取り切った。


 彼の頭頂には、巨大で鋭くねじくれた角が二本が生えている。

「ぶもおおおおおおお!!」


 キヤは天高く咆哮する。

 もはや、物音を気にして隠れ過ごす領域は過ぎ去っている。

 後はホブルどもが逃げ去るまで、ひたすらの消耗戦であった。

 

 アイニ達が後ろから援護する中、キヤはホブルたちの群れへと突撃してくと、ホブルたちの身体を、その立派な大角で引き裂いて、凶悪な腕力で粉砕していった。


 キヤは人間ではない。

 

 大山羊の獣人。

 今、ここにいる彼の名は、あばれメルシャの首を素手でねじ切る、血壺の大角キャニドルである。

 

 周囲の敵の弓矢や、小鬼手製の槍やこん棒による攻撃は、あまりに目立つ、黄色と黒の縞々模様の巨体へと集中した。

 ホブルたちにとっても、この障害を取り除かねば、数秒先の自分の身体に未来が無い事は理解できたらしい。

 叩いて、裂いて、振り回して、へし折る。

 キヤの戦いは荒々しい物であった。

 

 しかし、そんな中でも、キヤの頭の中には、いまだ、オルガ達夫婦たちの事が抜けきらず、存在し続けていた。


 もっとも、それでも問題はない。

 キヤの鋼のような体をホブル如きが傷つける事など出来はしないのだから。




 キヤという男は、実にちぐはぐな男である。

 体はこれ程までに強いというのに、その精神は実に繊細であるのだ。

 先程、彼が心の中で唱えた、諦めなくては、とはターナの事である。


 恐らく、ターナは死ぬ。

 

 キヤには、わかる。

 今頃、キヤ以外の商組にも、ホブルたちは攻勢を仕掛けているだろう。


 何故ホブルたちが人を襲うのか、キヤは知らないし、本当は彼等の浮かべるこの下劣極まりない薄ら笑みを見れば、ホブルの事など一辺たりとも知りたいとは誰も思わないだろう。

 だが、それなりに顔を合わせていれば、知り得ていく事もあって、こいつらは数だけは居る上に、道具を使い、常に弱い物を探し、そこを狙うという事だ。


 オウジェンの谷で、アングー達に襲撃されたことで、オルガ達は手負いとなった。

 ホブルとアングーでは、アングーの方が10倍は強い上に、オルガ達の所は比較的裕福で連れている私兵の質も非常に良い。


 しかし、いくら屈強な私兵でも、飽和攻撃を仕掛けてくるホブルに対して、全て対応する事は出来ない。

 非戦闘員であるターナも、その身を、自らの手で守らねばならない時はきっと来るのだ。


(オルガでさえ、危ういというのに、あの時の状態ではな……。)

 

 キヤは体の中から鼻筋に向かって、カッと火花が散る様な感覚を覚えた。


「ああ!! 胸糞悪い!!」


 キヤがどれほど気遣い、心を砕こうとも、毎年必ず犠牲者は出てしまう。

 これがいっそ、自然や、神の御業ならば、諦めもつく。

 だが、相手がこんな醜悪下劣な化け物では、憤懣やる方ないというものだ。

 

「それもこれも、てめえらのせいだ!! 毎回毎回、何なんだよ、ゴミども!! 消え失せろ!!」


 大太刀周りをしながら、キヤは吼える。


 死ぬと解っている者を見捨てるのが、キヤはどうしても嫌だった。

 叶うのであれば、自分が行って、オルガやターナを助けてやりたい。

 

 しかし、自分も商組の中でもっとも大きな組を預かる身。

 多くの生命を背負っている。

 この場を離れるわけにはいかなかった。

 

 

 キヤは”また”自らを呪った。


(俺は罪人、俺は罪人、俺は罪人!! 思い出せ。小事の為に大事の生活を脅かした男だ! 同じ罪を犯すな! 出来る限りの事はやっている! 思い出せ! 汝、大事の為に小事を見捨てよ!! それこそが進むべき道である!。)


 キヤは熱心な龍神信仰の信徒であった。

 サルファディアの伝承で、もっとも有名な言葉に、王角煌めく時、龍神、たりて我等豊穣の大地へと誘うであろうと言うものが有る。

 そして、龍神信仰の信仰者は、その時に備えて、より多くの同胞の命をこの地に残す事が使命である、と教えられているのだ。

 

 だから、キヤは自らの子の為に、村の財産を失わせたことを過剰に悔いているし、この様な自己問答をもう、何年も繰り返していた。


 この山では、人は正常ではいられない。

 それはベテランと言われるキヤ、その仲間たちも同様である。

 

 体は丈夫でも、心は後、幾度持つのか。

 それは、本人にも解らない事であった。


 しかし、それでも止めようとは思えない。

 この山脈で、もっとも長く生き抜いてきたのは、自分であるから。

 

 恐らく、この連鎖は終わることは無いだろう。

 先達が自らを導き、この山脈に骨をうずめた様に、キヤ自身が、自らもそうするのだと決めている限りは。


 そう、その時まで、キヤは思っていた。



「ぱぱっぱぷ、パパパラパプパプパパ~♪ブパッ。」




 何ともひどく不細工で、調子外れなラッパの音が周囲に響き渡った。



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